教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

教材「国民教育の始動―明治期の教育」

2021年01月07日 18時56分13秒 | 教育研究メモ
 昨年のことになりますが、貝塚茂樹・広岡義之編『教育の歴史と思想』(ミネルヴァ教職専門シリーズ2、ミネルヴァ書房、2020年9月)の第8章「国民教育の始動―明治期の教育」(115~130頁)を担当執筆しました。
 このところ教育史教育について考えるようになって、既存の教育史の教科書叙述に不満を感じることが多くなりました。教師教育・教員養成の教材として考えたとき、単に年表を書き下したような叙述では不十分です。どのような事実を選択し、どのように解釈・構成するか。もっともっと考えなければならないと思っています。そんな問題意識をかかえながら執筆しました。論文構成は以下の通り。

 第8章 国民教育の始動―明治期の教育
1 明治教育の出発点
 (1)江戸から明治へ
 (2)「教育」とは何かをめぐって
2 国民教育制度の形成
 (1)共通年限の義務教育を目指して
 (2)普通教育の模索
 (3)普通教育と人材養成
3 国民教育の影響
 (1)就学慣行の定着と臣民教育
 (2)立身出世主義と良妻賢母主義
 (3)学校・地域・家庭
4 国民教育始動の意義

 明治期の教育史をどう描くか考えたとき、まず一度まとめておきたかったものが「国民教育」でした。明治以前(江戸期)の教育と明治期の教育とが異なることは何か。明治期の教育が明治以後に残したものは何か。そして、その中で教職課程で取り上げるべきテーマは何か。明治期が、江戸期になかった国民教育の原型を形成し、それを実際に始動させた時期であることは間違いありません。そして、今の教職課程で育てている学生たちは、教師になれば、国民教育の制度の上で国民教育を実践する立場に立つことになります。そう考え、章を貫くテーマを「国民教育」にしました。なお、国民教育というテーマは国民国家論から得ています。国民国家論自体はやや使い古された感のある理論ですが、我々の生活において国民意識の意義が失われない限り、我々の教育制度が国民教育をあきらめない限り、有効な理論の一つだと思っています。
 今回、明治期の国民教育史を描くときに私が心がけたのは、明治期の教育は江戸期から引き続く教育の伝統を基礎に作られた事実を無視しないこと、それから義務教育制度を国民教育制度の中心にすえて、中央や法令のレベルだけでなく周辺的な位置づけにあった地域のレベルをも意識しながらその形成過程を明らかにすること、普通教育制度と人材養成制度を区別してそれらの交錯と接続の形成過程をとらえること、社会や国民生活の中に国民教育制度の影響をとらえること、立身出世主義と良妻賢母主義を男女それぞれの生き方に関わるものとして明確に位置付けてその分離状態に注目すること、国民教育の始動が学校のみならず地域・家庭・社会のあり方を変えたことに触れること、国民教育始動の意義を課題とともに批判的にとらえようとしたことなどです。私の専門である教育会についても、教育社会の形成史の中に位置づけました(江戸期には教育社会はなかったので、明治期の教育社会の形成は歴史上画期的な出来事です)。章末の問いにも、学生が教育史を身近に感じるように、本文から得た国民教育の視点を用いて教育制度や社会のありようを理解・解釈する練習の機会を得られるように工夫をこらしました。
 本論文の出来は個人的には満足しています。特に、義務教育制度の形成過程を中央だけでなく地域(山間・島しょ部や植民地含む)をも意識して描けたことや、国民教育史を普通教育理念と人材養成理念の交錯と接続という視点に基づいて描けたこと、立身出世主義・良妻賢母主義に基づく教育制度が国民の生き方を男女に分けたことを指摘できたこと、教育社会の形成は国民教育始動が日本社会に与えた影響の一つであったこと(その代表的な現象の一つとして教育会の結成・活動があったこと)を指摘できたことなど、日本教育史研究者として書きたかったことも多く書けました。ぜひ読んでいただければ幸いです。
 書けなかったと思っていることもたくさんあります。いつか機会があれば、また挑戦してみたいです。
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