今日は、昼過ぎに登校=登研究室。遅い。
今までしばらくの間、研究の理論化を行うため、社会学の成果(主に社会システム理論)をカジってきました。だいたいまとまってきたので、本日、来週火曜の特研(ゼミ)に出すため、レジュメを書き始めました。もちろん、そのままでは社会を分析するという社会学の研究になってしまうので、教育史研究・教育学研究である(はずの)私の研究の中に組み込んでいかなくてはなりません。組み込むにも、その理論の目的・定義・原則・限界などをねつ造してしまってはいけないので、注意が必要です。
しかし、自分の中では社会学を利用する今回の部分は、すでに掴んだものがあります。もちろん社会学だけで博士論文を理論化するつもりはないので、まだまだやらなくてはいけないことがある。こちらも掴んでいるものがありますし、あとは書き上げるだけ。まあ、OK出るかどうかは微妙なところですがね。
ただ、書き上げる、この行為が最も難物なのである。書いたり削除したり、構成を直したり、これらの行為が最も難しいのだ。さらに、私には怠け癖という天敵が… 気合を入れなければ!
しかし、適度なリフレッシュの時間も必要。特に、気がおけない人と話をするのは、たとえ何でもない話であっても、よっし頑張るぞ!という気持ちが盛り上がってきて、とてもよいリフレッシュ効果がある。睡眠時間も必要。破裂してしまわないようにね。この緊張と弛緩の調整をうまくやれるかかどうかが、忙しいときを乗り切るポイントであろう。
今までしばらくの間、研究の理論化を行うため、社会学の成果(主に社会システム理論)をカジってきました。だいたいまとまってきたので、本日、来週火曜の特研(ゼミ)に出すため、レジュメを書き始めました。もちろん、そのままでは社会を分析するという社会学の研究になってしまうので、教育史研究・教育学研究である(はずの)私の研究の中に組み込んでいかなくてはなりません。組み込むにも、その理論の目的・定義・原則・限界などをねつ造してしまってはいけないので、注意が必要です。
しかし、自分の中では社会学を利用する今回の部分は、すでに掴んだものがあります。もちろん社会学だけで博士論文を理論化するつもりはないので、まだまだやらなくてはいけないことがある。こちらも掴んでいるものがありますし、あとは書き上げるだけ。まあ、OK出るかどうかは微妙なところですがね。
ただ、書き上げる、この行為が最も難物なのである。書いたり削除したり、構成を直したり、これらの行為が最も難しいのだ。さらに、私には怠け癖という天敵が… 気合を入れなければ!
しかし、適度なリフレッシュの時間も必要。特に、気がおけない人と話をするのは、たとえ何でもない話であっても、よっし頑張るぞ!という気持ちが盛り上がってきて、とてもよいリフレッシュ効果がある。睡眠時間も必要。破裂してしまわないようにね。この緊張と弛緩の調整をうまくやれるかかどうかが、忙しいときを乗り切るポイントであろう。
現在教育社会学研究では歴史研究がかなり大きな比重を占めていることは周知のことだけど、そのあたりとの競合にもなるんだろうね。
「誰もやったことのない」っていうのはどのあたりのことを言うのだろうか。いずれにせよ新しい世界を開拓するって言えるのはすごいよね。期待していますよ。
※記事本文2行目、「社会学の成果」の後に「(主に社会システム理論)」を追加しました。
削除した部分は、誤解を招く表現でした。内容をぼかしすぎて、非常に大きな話に読みとれる文章になっていました。ただ、私がこの部分を書いた時の趣旨は、以下の通りです。
歴史研究分野には、社会学的手法を取り入れた研究はいうまでもなくたくさんあります。私が「誰もやったことのない」と言ったのは、私の主要研究対象である大日本教育会・帝国教育会を、社会システムとして分析し、特にその自己組織性に注目する分析方法についてです。別の分析対象(学校とか)の研究には、社会システム理論を用いたものがあるかもしれません。いえ、おそらくあるでしょう。ただ、大日本教育会・帝国教育会を分析する際の方法として、これを意識的に採用し、実証している先行研究はないのではないかと思います。そういう意味での「誰もやったことのない」でした。
教育史研究に社会システム理論を持ち込むことは、別に新しくもないでしょう。ただ、「教育会」という戦前教育史の未解明分野を分析する一方法として、多少なりとも意味があるのではないかと思ってます。
まあ、まだ完成してないし、うちの先生がすんなりOK出すとは思いませんし…
そのままお蔵入りかも