教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

疲れと眠気の中で固く決意する

2007年09月24日 19時35分10秒 | Weblog
 21日、翌日以降の教育史学会大会の準備に参加。
 22~23日、四国学院大学(香川県善通寺)にて教育史学会第51回大会に参加。

 ということで、学会づくしの週末でした。20日~21日の徹夜の影響を受け、大会当日は常に疲労と眠気に襲われていました。22日のシンポジウムの時は、眠気に堪えきれず… 23日の国際シンポジウムの時は、何とか保たせました。
 最後の教育会に関するコロキュウムでは、大正期にしぼったテーマだったので、特別口を出せそうなことはありませんでした。ただ、S会員・I会員の発表ともに教育会における研究活動に関する内容だったので、感想は少しあります。大正期の教育会における教育研究活動も、明治期に始まったものと同じく「現実的な教育問題の解決を目指す活動」だったのだなぁ、ということです。この感想の裏には、相対的に「現実問題の解決ではなく学問(教育学・教授学)の自己完結的発展を目指す活動」としての研究活動を想定しています。まだよく調べていないですが、大正昭和期には後者の研究活動が現れるように思うので、教育会のものが前者である理由として明治のものとの連続性を感じ、興味深く思ったわけです。自由討論の時間では人材の観点から見た教育会組織の性格論議が延々と続き、「大事なことだけど、これはもう聞き飽きたなぁ…」という感も正直ありました。でも、私としてはあまりよく知らない大正期の教育会の具体像をかいまみることができて、とても有意義な時間でした。
 今回の大会では、上記のもの以上に得たものがあります。すなわち、私を応援してくれる先生方と同世代の方々に会えたこと。もちろん以前から応援してくださっている方々がほとんどですが、今回、その方々の存在を改めて「有り難いこと」だと感じました。私の研究者としての自信は、学振採用2年目くらいから常に下がり調子です。「研究をやめたい」とよく思っていますが、やめたからといって代わりにすることはありません。私がいなくなっても学界は変わらないでしょう。でも、「がんばれ、私にできることならしてあげるから」と言ってくださる方々の気持ちを考えると、今が苦しくても私はドロップアウトするわけにはいかないのです。苦悩に打ち克ち、努力して、一歩一歩進んでいく―そういう決意を今回固いものにできました。本当に、皆様ありがとうございますm(_ _)m。
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