50メートルの海岸線

2007年08月09日 | 神戸、兵庫
村上春樹の街・神戸篇の続き。

それから僕たちは阪神元町駅から特急に乗って芦屋まで行った。芦屋駅から阪神バスに乗りシーサイド西口で降りた。目的地は芦屋川だった。ジェイズ・バーが芦屋川のほとりにあるという設定だった。

村上春樹は戸籍上は京都の生まれだが、育ったのは芦屋だった。早稲田大学に入学するまでこのあたりに住んでいたらしい。子どもの頃、夏になると毎日、芦屋川で泳いでたそうだ。



高度経済成長時代、列島改造ブームの頃に、山が切り崩され海が埋め立てられた。村上春樹がちょうど上京していた頃の話だ。芦屋川は海に注ぎ込んでいるが、昔あった海岸線は埋め立てられて、今は50メートルしか残ってない。



かつて低い防波堤があった。その向こうは海だったそうだが、今は埋め立てられて住宅地となっていた。古い防波堤の名残りがあり、そこには絵が描かれていた。




「古い防波堤」と「50メートルの海岸線」は『五月の海岸線』(短編集『カンガルー日和』収録)に登場する。この短編はやがて『羊をめぐる冒険(上)』の中に組み込まれて小説の一部となった。

次に僕たちが向かったのは病院だった。『ノルウェイの森(上)』では直子が入院していた設定になっていたところだ。僕の好きな短編『めくらやなぎと眠る女』(短編集『レキシントンの幽霊』に収録)では、右の耳が悪いいとこの検査がこの病院で行われたという設定だった。そして野坂昭如の『火垂るの墓』の舞台にもなった場所だ。



バスの待ち時間に僕は短編『めくらやなぎと眠る女』を思い出していた。バスの行程が震災被災地に重なるので、震災直後の'95年夏に神戸と芦屋で行われた朗読会で村上春樹が読んだ短編だ。たしかその時、オリジナルが長かったので大幅に手が加えられたという。『レキシントンの幽霊』にはその手が加えられたヴァージョンが収録されてたはずだ。

僕たちの乗ったバスは目的地まで行かなかった。その時間、病院の近くまで行くバスはなかったのだ。そのせいで僕たちは暑い中を歩く羽目になった。『めくらやなぎと眠る女』の中に八月の砂浜に放り出されたチョコレートの箱のエピソードがあった。登場人物たちの不注意さと傲慢さによって損なわれ、かたちを崩し、失われていったチョコレート。あのチョコレートの箱のことを僕は歩きながら思い出していた。今も僕の心の中にあのチョコレートの箱があり、それは僕を揺らし続けていたのだ。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 村上春樹の街・神戸篇 | トップ | 香櫨園 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

神戸、兵庫」カテゴリの最新記事