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飼い鳥のこと

鳥は見ていて飽きない。
ことにフィンチの類はそうだ。
子どもの頃にジュウシマツとベニスズメしか
飼ったことがないから大きな顔はできないが、
一つ一つの仕草に鳥の気分が現れているみたいで楽しい。
昔、キンカチョウを飼いたかった。
嘴が朱色の、可愛らしい小鳥だ。
それとキンパラ、ギンパラという
ペアのような2種類のフィンチ。
でもジュウシマツ以外はみんな気難しいのだ、
というか、自分で繁殖しようとしない。
卵を産みっぱなしで抱かない。
だからジュウシマツを仮親にしたりするという
面倒なことをしなくてはならない。
文鳥ならなんとかできるかもしれないが、
やっぱりオス・メスの相性の問題とかがあって、
子どもにはそう簡単でない。
文鳥のあの、「ジュッ、ジュッ」という感じの
鳴き声は好きだ。
手乗り文鳥もうらやましかった。
人の口真似をするオウム・インコや九官鳥も面白いが、
これはとても手に負えない。
大人が本気で取り組まないと飼えないだろう。

こんなことを思い出してはみるのだけれど、
今や鳥を飼うような悠長なことはできなくて、
家で飼っているのは、餌を欲しがって仁王立ちし、
挙句の果てに裏返しにひっくり返る
おバカな亀ぐらいである。
鳥は、ホームセンターのペットコーナーで
眺めさせてもらっている。
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ショートストーリー

今は懐かしいフリッパーズ・ギターの音楽を聴いていたら
マンガを描きたくなったのですが、
ストーリーマンガは余裕がないと描けないので、
絵物語風にします。
彼らのファースト・アルバム「three cheers for our side」の
冒頭の曲、「Hello ハロー/いとこの来る日曜日」が
軽やかでリリカルな佳曲です(歌詞は英語)。

ある初夏の日曜日、母親が言う。
お前のいとこの女の子が駅まで来るから迎えに行きなさい、と。
自転車に乗って、森を抜け、丘を越えて行く。
歌を口ずさみながら。
お行儀よく「こんにちは」なんてあいつは言わないぞ。
僕のほっぺたをつねってから、やっと挨拶する。
そんな子だよな、あいつは。
夏の初めの空気の中を、うきうきとそんなことを考えつつ
僕は駅に向かう。

こんな歌をマンガ風に。

駅に着いたが、彼女は見えない。
「まだ来てねえのかよ。ルーズだな。まったくもう。」
ベンチに腰かけて、待つ。
後ろで口笛が一つ。
振り向いたら、


そんなのが挨拶かよお。



とまあ、こんな風によろしく始まりまして、
彼女は、しばらく僕の家で夏休みを過ごすことに。
もうそれは積極的にあちこち行きたがる子で、
近所のお祭りやら何やら連れて行くことに。
ほとんど振り回されている状態。



そしてある日、海辺のシーサイドパークに行くことに。
張り切る彼女。



水族館を見て、アイスクリームを食べて、
アトラクションの乗物に乗って、
食事をして、
そしてアシカやイルカのショーを見る。
水に濡れないようにポンチョを着る彼女。
格好つけて「平気だよ」とそのままの僕。
そこへイルカの大スプラッシュ。
ずぶぬれになった二人(彼女の服は大丈夫)を、
「撮ってあげるよ」と僕のカメラで撮ってくれた人がいた。
彼女は写真を撮りまくっていたのに、
僕は照れて、一枚も撮っていなかった。
この写真だけが、僕の手元に残った。




何十年も経ったある時、
この写真を僕は見つける。
彼女はどうしたんだっけ。
そうだ、アメリカに行った、って聞いてる。
元気にしているだろうか。
もうこんなことは忘れているだろうな。
でも今から思えば、
あんなに、心の中まで青空が広がったような日々は
その後もなかったような気がする。
一枚の古い写真を見ながら、僕はそんなことを考えていた。



ストーリーマンガにすれば、数十ページの作品になるだろう。
でもストーリーマンガは、時間と労力が必要で、
今の私にはその余裕がないので、
こんな形にまとめてみました。
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コジュケイ(漫画随筆)



 コジュケイは、帰化動物である。
 もともと中国南部に生息していたものを、
 大正時代に、狩猟用に放鳥したものが
 すっかり定着してしまい、
 在来種と勘違いするほど日本に馴染んでしまった。
 我が家のそばの林にも棲んでいて、
 朝から「チョットコイ、チョットコイ」という
 大きな声で鳴いている。
 もっとも、この鳴き声の聞きなし方は、
 「チョッ、ト、コイ」という三拍子で、
 「キュッ、キュッ、キューッ」と書いてもいいようなものである。



 「鳴いてるって、何が?」
 「コジュケイ。・・・チョットコイ、チョットコイ、って
 鳴いてるの。聞こえるでしょ。」
 「『チョットコイ』・・・って鳴いてるのかな?
 そうは聞こえないな。『コ、ジュ、ケイ』って鳴いてるんじゃないか?」



 それはともかく、コジュケイの鳴いている姿は
 なかなか見ることができない。
 時折、あの声は本当にコジュケイのものか、と思うことがある。
 ブッポウソウという鳥がいて、
 長い間そう鳴くものと思われていたが、
 後にその声はコノハズクというフクロウの仲間の声で、
 ブッポウソウはそう鳴かないと分かったのだそうだ。
 コジュケイもその口ではないか。



 「いいから、いいから。」
 「なに?」
 「チョットコイよ。コジュケイがいるぜ。」



 時々こんな風に歩いているのを目にする。
 しかし鳴いているところはまだ見ていない。
 コジュケイは本当にあの声の主なのか。



 そ、そうですね。失礼しました。
 かくして、また朝からあの「チョットコイ」を聞きつつ
 姿を想像している私なのであります。
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