日々描いたマンガやスケッチ、似顔絵などを貯めていく貯金箱のようなブログ。
スケッチ貯金箱
うたのイラスト(「露営の歌」「暁に祈る」)
今回は少し毛色の変わった歌を取り上げる。
戦時中に歌われた「軍歌」である。
兵士を戦場に送る時、これらの歌を歌って送り出した。
むろん私は戦後生まれなので、実際には知らないのだが、
軍歌は戦後も、ある時期までよく耳にした。
大人が酔ったりすると、歌っていたように記憶する。
曲としてはなかなか良いものが多いのだが、
なにせ目的が戦争のためである。
歌詞は、調べてもらえば分かるが、今では考えられない内容である。
私の父は、海軍の爆撃機に乗っていた(一式陸攻という機種)。
戦争の話をよくしたが、私は真面目に聞かなかった。
息子というものは、父親の話を聞かないものだと思うが、
戦後生まれの私には、どうしても説教のように聞こえてしまったせいもある。
父が話したことのうちで、それでも私の印象に残っているのは、
「あんな子どものような顔をした奴が、みんな死んじまうんだもんなあ。」という一言である。
その時の父の顔は、何とも言えないくやしそうな顔で、
さすがにそれを見ると、兵士にとって、いかに戦争がひどいものだったか
理屈でなく分かるのであった。
むしろ哀愁をたたえたメロディーに載せられた歌詞で、
戦場に送られた兵士も多かったろう。
そして、虫けらのように殺された兵士も。
妻や子の顔や声を思い出して死んだかもしれない。
しかし残された者たちは、夫の、父の顔や声を
忘れることは決してなかっただろう。
現在闘病中の父が思い出すのは、そういった具体的な戦友の一人一人なのだろう。
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似顔絵(福島千里さん) (portrait CHISATO FUKUSHIMA)
得意のスタートで若干出遅れたが、
後半追い上げて僅差でかわした、日本人選手には稀なパターンでの優勝。
私は彼女のファンであるので、とても嬉しい。
彼女の走りは本当に魅力的である。美しい。
頭を低く抑えたスタートダッシュの切れ味。
素晴らしいピッチで快調に走る中間走。
しぶとくスピードを保ち続けるラスト。
一連の動きが、えも言われず美しい。
長く人の記憶に残る選手であろう。
そして、表彰台で君が代を聞いているその表情の晴れがましい美しさ。
100mという、誰でもが経験している普遍的競技でのアジアチャンピオン。
陸上競技の中でも、100mのチャンピオンというのは、特別な存在だ。
私も少し陸上の経験があるが、特別な敬意を100mの勝者には抱いている。
金メダルを胸に、誇らしげでありながらはにかんだような彼女は
女優とは違う、アスリートだけの持つ輝きに満ちていた、と思う。
これからも秘かに応援させていただこうと思う。
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似顔絵(石原さとみさん 3) (portrait SATOMI ISHIHARA 3)
久しぶりに描きます。
ここのところ、身内の逝去とか入院とか
気持ちの沈むことが多くて、
こんな時はなかなか絵を描くこともできないのですが、
やはり優しい表情の人物画を描くと、
少しは心も癒されます。
考えたら、大変なことがあるときほど、
一生懸命絵を描いて、自分を立て直してきたような気もします。
結局、自分のために描いているのだろうな、と思います。
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似顔絵(村上佳菜子さん) (portrait KANAKO MURAKAMI)
村上選手と言えば「氷上のアヤヤ」などと呼ばれて、
にっこり笑った顔が愛らしいので人気があるのだが、
メイクアップしてインタビューに真剣に答えている姿は
むしろきりりとした美人顔である。
こんなに表情の幅がある人は珍しい気がする。
最初のイラストは、そのシリアスな顔を描いた。
彼女は、表現力があるタイプのように思われる。
しかし、ジャンプも高いし、スピードもある。
浅田真央選手と、鈴木明子選手の中間のようなタイプだろうか。
とくに、エキシビションで演じた「Be Italian」というのが、
大変素晴らしい出来で、16歳とは思えない色香すら漂わせている。
踊りが、とにかくうまい。
浅田選手が、「優雅なアスリート」であるなら、
村上選手は「スポーティーな踊り子」である。
指先まで神経の通った、それでいて大胆な振付が魅力的である。
椅子を小道具にした演出も心憎い。
瞬間瞬間が絵になるので、どれを描こうか迷う。
いい選手が出て来たものだ。
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ひさしぶりにペンを使う
ペンをしばらく使っていなかった。
で、しばらくぶりにペンを使う。
ペンタブレットをやっと買ったので、彩色したいのだが、
まだ全然使いこなせないので、当分はモノクロになりそう。
デジタル音痴も困ったものだ。
最初はこういうシンプルな線のものから始めようと思っているのだが。
イラストの下書き、といったところか。
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すんぐに戻ってくるきい。(似顔絵・真木よう子さん・「龍馬伝」 お龍8) (portrait YOKO MAKI 8)
もちろんその時は、決して最後だなどと思ってはいなかったろう。
だがそれは、後から考えれば、いかにも今生の別れを前にしたひと時と
感じられるものだったろう、とドラマは描いている。
山内容堂に幕府の大政奉還を推し進めるよう求めに出かける龍馬は
もう死を半ば覚悟していたはずで、
お龍もうっすらとそれを感じていたからこそ、
わずか一日の時間を濃密に過ごしたいと望み、
酔い潰れて朝帰りした龍馬を平手打ちしたということだろう。
それにしても。
にっこり笑って、お龍に向かい
「待っちょれよ、お龍。
すんぐに戻ってくるきい。」と去っていく龍馬の姿は、もはや幻のようである。
それを見送るお龍の、せつなくも優しい笑顔は
やはり結末を知っている「歴史」の視点から我々が見ているせいだろうか。
龍馬の暗殺まで、あと2カ月。
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似顔絵(余貴美子さん・「龍馬伝」 大浦慶) (portrait KIMIKO YO)
「龍馬伝」では、長崎の貿易商、大浦慶を演じている。
実際の大浦慶は、日本の茶を外国へ売る道に先鞭をつけた女傑だったという。
そんな人が、龍馬と出会い、見込んで、援助したそうだ。
今回のラスト近く、密かに英国へ脱出する芸妓のお元を見送る時の表情、
余さんは情感たっぷりに演じていた。
お元はフィクションらしいが、しかし、仮に似たことがあったとしたら、
慶はどんな感情を抱くのだろう。
あくまで日本を変えようという龍馬の熱情に感じ入る。
異国へ去らなければならないお元に、深く同情する。
自分も海外へ雄飛し、思う存分活躍したいと羨望を抱く。
まともに生きようとしているだけの人間が、こんなに苦しまなければならない時代を嘆く。
もしかすると、これら全ての感情の入り混じった気持ちかもしれない。
言うに言われぬその気持ちを、余さんは演じていたのだろう。
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