日々描いたマンガやスケッチ、似顔絵などを貯めていく貯金箱のようなブログ。
スケッチ貯金箱
うたのイラスト(「相模原音頭」ふたたび)
「相模原音頭」のことはずいぶん以前に書いたのだけれど、
また書きたくなったので、書く。
この両三年の内に父も母も亡くなってしまって、
相模原にある実家(借家)も明け渡してしまい、
もう私にとっての郷里には、拠り所が無くなった。
町も、私が育ったころとはだいぶ様子が変わってしまい、
結局、私にとっての「ふるさと」は、記憶の中にだけあるものとなった。
大都市や、都市近郊生まれの人々にとっては、「ふるさと」とはそんなものかもしれない。
思い出の中にだけ、郷里はあるのだ。
その思い出を構成する大きな要素が、音楽である。
育ったころの流行歌、学校で聴いた曲、
そして地元ならではの歌。
それらが当時の空気をよみがえらせてくれる。
その時に、頭の中で「ふるさと」は蘇るのだ。
相模原音頭も、私にとっては記憶を呼び起こす大切な曲だ。
これは相模原に育った人間にしか共感してはもらえないだろうが。
歌詞が聞き取りにくい部分があるので、相模原市のホームページにでも載せてくれないだろうか。
うたのイラスト(北條暁「生きてゐるのに」)
この歌は、有名ではないかもしれない。
しかし、作詞はあの川端康成である。
作曲は北條暁。北條氏本人が歌っている。
エマノンズというグループも歌ったらしいが、私は聴いたことがない。
家に兄の買ったレコードがあり、「いい歌だなあ」と思って聴いていた。
北條暁という人については、ほとんど何も知らない。
ただ川端氏が、北條氏の依頼で作詞したというようなことを聞いたか読んだかした記憶がある。親しかったのだろうか。
何も定かではない。ただ、レコード音源の曲そのものだけが、手許にある。
だがそれでよい。とにかく詩(詞というよりも)が素晴らしい。
一番の歌詞は静かな竹林の情景。「二人語れど 声は聞こえない」という歌詞が不思議な静寂感を醸し出す。
二番では夕陽と黒くそそり立つ山、三番では月光と沖の空を貫く稲妻を描く。そして最後に「生きてゐるのに」という言葉で終わる。
実はこの詩は新潮社刊の「川端康成全集」35巻の447〜448頁に収録されている。
しかし、ここに収められた原詩は、歌詞になったものと若干違うのである。歌になるまでの間にどのような経緯があったのだろうか。興味深いものがある。
歌はYouTubeにアップはされていないようである。私はデジタル音痴だからできないが、中古レコードは出回っているようなので、そのうちアップしてくれる人が現れるだろう(追記:その後、この曲はアップされました。YouTube検索で「北條暁」のキーワードで探すと、「北條暁」のタイトルで現れます)。曲もアレンジも歌声も、この詩の清潔な孤独感にふさわしい見事な出来栄えである。森山直太朗さんあたりがカヴァーしてくれないかな、などと夢想している。
女子野球マンガイラスト 16(アウトをとって笑顔)Baseball Girl Illustration 16
うたのイラスト(李香蘭「夜霧の馬車」)
李香蘭こと山口淑子さんが先日亡くなられたが、
さすがに私はスター時代を直接は知らない。
満映時代の作品も断片的にしか拝見したことはない。
知っているのは代表曲の歌唱だけである。
それでも「蘇州夜曲」「蘇州の夜」「夜来香」などを聞くと、
やはり傑出した歌手だったのだなと感じるのだ。
他の曲はまた別の機会に譲るとして、
今回は「夜霧の馬車」を取り上げよう。
作詞・西条八十、作曲・古賀政男。1941年の曲。
何か映画の一場面でも浮かんでくるような歌である(Youtubeで聴けます)。
夜霧の中、馬車で街を去る女。
出だしから一種緊迫感のようなものを感じさせる歌詞である。
嘆きを抱きつつ、ジャンクの浮かぶ港を横目に、胡弓の音を聴きながら、
夜霧の中を馬車は進んで行く。
こんなシーンを映画で見てみたい。
イラストはちょっと勢いで描きました。