日々描いたマンガやスケッチ、似顔絵などを貯めていく貯金箱のようなブログ。
スケッチ貯金箱
似顔絵(黒木華さん:「重版出来」黒沢心 3)Portrait Haru Kuroki
小熊ちゃんのスケッチ、ふたたび。
漫画家・高畑一寸の担当になるも、そのネームの出来具合に疑問を持ち、勇気を出してダメ出しをする。
激怒して怒鳴り散らす高畑にひるまず、編集者としての意見をぶつける小熊。
締められたドアに向かって「待ってますから!」と言いながら、憧れの漫画家に意見してしまったことに内心大きな後悔と恐怖も抱いてしまい、思わず涙ぐむ心情を、黒木さんが見事な演技で見せてくれた。
この人は、日本映画の伝統を引き継ぐ、正統派の女優さんだと思う。堂々たる正道を歩む人だ。
その、泣き出しそうになる直前の一瞬を写してみました。
そして下は、修正された原稿を嬉しそうに眺める小熊ちゃん。
うたのイラスト(「丘を越えて」)
最近CMでも使われたので、この歌を知っている人も多いだろう。
歌詞は全部載せることは出来ないので、検索して見ていただきたいが、
この歌の絵を描こうとして、人間をどう入れようかと考えたが、構図がどうしても浮かんで来ない。
考えてみると、この歌には人の気配というか、体温が感じられないのである。
これは決してけなしているわけではない。
楽しい心や胸の血潮などを歌っていても、人の気配が感じられないというのは、
実はこの歌は逆に深い虚無感を歌っているのではないか、と思うのである。
人生に対して何らかの絶望感を抱いている人が、ふと見上げる丘の上の青い空に、希望のようなものを感じる。
あの丘を越えれば、あの青い空に近づけば、何か人生への希望を取り戻せる。
そんな気持ちが、刹那の感覚に過ぎないことは知っている。
しかしその刹那の感覚にすがりたい。それほど虚無は深いのである。
これは作詞者の島田芳文の持っていた感覚なのだろうか。
それとも作曲者の古賀政男の感覚だろうか。
私には分からない。しかし現にこの歌は、そんな楽曲として存在している。
名曲である。しかし見かけのシンプルさに比べて、深い歌だ、と私は感じている。
従って、無人の絵を描かなければならなかった次第である。
黒木華さん(「重版出来」 黒沢心 3)Portrait Haru Kuroki 7
黒木華さん(「重版出来」 黒沢心 2)Portrait Haru Kuroki 6
うたのイラスト(ズンドコ節)
今でもコマーシャルで使われるから、知っている人は多いと思うが、もともとは「海軍小唄」という題名だったそうだ。
この、戦争末期の兵隊たちが歌っていた歌が本家である。
その内容は、ドリフターズや氷川きよしさんの歌った歌しかしらない人(若い人ではそういう人が殆どだろう)には意外な、悲しい歌である。
戦争に行く兵隊の歌である。
送り出す人たちは、日の丸を振って万歳をして送り出す。そうしなければいけなかったのだ。列車に乗った兵は、車両の窓から皆に最後の別れの視線を送る。
その時に目に入るのである。ホームの陰で人に気付かれぬようにそっと泣いている、彼女(恋人)の姿が。
決して忘れられないであろう姿である。そういう別れをして、その姿を脳裏に焼き付けたまま戦死した人も多かっただろう。ここには人間の本当の心情が歌われている。そうでなければ、戦時下にそれほど愛唱されるわけもないではないか。
その歌詞は次の通り(作詞者不明なので、全歌詞を示します)。
1 汽車の窓から手をにぎり
送ってくれた人よりも
ホームの陰で泣いていた
可愛いあの娘(こ)が忘られぬ
トコズンドコ ズンドコ
2 花は桜木人は武士
語ってくれた人よりも
港のすみで泣いていた
可愛いあの娘が目に浮かぶ
トコズンドコ ズンドコ
3 元気でいるかと言う便り
送ってくれた人よりも
涙のにじむ筆のあと
いとしいあの娘が忘られぬ
トコズンドコ ズンドコ
私以上の世代には常識みたいなことでも、若い人たちは教わらないから知らなかったりする。余計なお世話でも、一度書いておこうと思った次第である。
うたのイラスト(月がとっても青いから)
母の三回忌がもうすぐだ。もう二年経ったのだ。
時には母の時代の歌のことを書こう。
この歌を歌った菅原都々子さんが、先日テレビに出てこの歌を久しぶりに披露していた。
もうこの年配の歌手に、かつての美声を求めるのは無理だと思っていたから、
あんまり期待しないで見ていたら、昔とさして変わらぬ張りのある声で歌われたのには驚いた。
青い月夜に、好きな人と歩いた想い出の鈴懸の道を、
二人きりで遠回りして歩いていこうという(これが最後の、二人しての散歩なのだろうか)
本当に慎ましい恋の歌である。
恐らく短い、実らぬ恋だったのだろう。
たとえ「もう今日かぎり逢えぬとも」、
その「想い出は捨てずに」、
青い月の下、「君と誓った並木路(なみきみち)」を歩いて行く。
もしかしたら、あの時代の人たちの中には、
戦争に行く人とこんな別れをした想い出を持っていた人もいたかもしれない。
自分にそんな経験は無くとも、この歌の持つ慎ましさは、
あの時代の人には共感できるものだったろう。
そんなことを考えて聴くと、一種のいとおしさを覚えるのである。