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うたのイラスト(「お正月」)

日本人なら誰でも知っている歌。
でも作曲があの滝廉太郎とは知らなかった。
1900年の発表(「幼稚園唱歌」)だそうだから、
もう110回も正月を迎えた曲ということになる。
漱石「猫」の登場人物たちにとっては、最新の歌曲だった、ということだ。
お正月のことを歌っているけれど、
もういくつ寝るとお正月、と言っているのだから
歌われている時点は年末である。
だから今描くのがふさわしい。
この頃の正月は着物の人などほとんど見かけない。
ましてや着物の子どもは絶無である。
なんだか華やかさに欠ける。
もっとも子どもにとっては着物など窮屈でしょうがないだろうから、
まあ無理もないかもしれないですね。
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母の肖像 (portrait MY MOTHER)

同じく、若き母の肖像画です。
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父の肖像 (portrait MY FATHER)

今回は、私的な絵です。
病床の父のために描いた、父の若い頃の肖像です。
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似顔絵(北乃きいさん) (portrait KII KITANO)

いい写真が出ていました。
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雪江さん読書

雪江さん、読書中。
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父の戦友として(一式陸上攻撃機)

飛行機の絵を初めて描く。
私はメカの絵は、得意ではない。
実はこれは、私の父が海軍で搭乗していた、
一式陸上攻撃機という、爆撃機である。
この先端部分、ガラス張りの所に乗り組んでいたという。
飛行機のナビゲーター役というか、飛行している位置や方角を計測・計算して
伝える役割であったらしい。
この飛行機で、爆弾や魚雷を積んで出撃したということだが(南方方面が多かったようだ)、
二度ほど、訓練中に故障で不時着というか着水したそうだ。
一度は霞ヶ浦、もう一度は三宅島沖で、
後者の時は一昼夜洋上を浮遊物につかまって漂った末、
島に漂着したという。
また、米戦艦を攻撃するのに、船首を回して魚雷を避けられないように、
四方から同時に十字型に戦艦へ魚雷攻撃をし、
戦艦の上で、クロスするように互いをよけながら飛ぶ、という
もうほとんど正気とは思えない攻撃もした、という話だ。
その時、戦艦を越えようと機首を上げた視界の先に、
船上の米兵の顔が、表情が見えたそうである。
何という出会い方なのだろう。
お互いに、こんなことをするために生まれて来たわけでもなく、
互いに殺しあう謂われはないはずなのに。
その父は、終戦間際、何と陸軍兵を乗せて(父は海軍)、
サイパンの米飛行場へ強行着陸をし、そこから敵陣へ切り込んで奪回する、などという
活劇さながらの無謀な特攻作戦を準備させられたまま、終戦を迎えたそうである。
滅茶苦茶ですよね。
戦争っていうものが、どういうものだか、私はこういうことから想像するのだ。
その父は、今病院で過ごしている。
母は、「お父さんは軍に勤めた期間が少し足りないから恩給が貰えないんだよ。」
と言っている。
そんな目に遭っているのに、父は戦友の話などを懐かしそうにしていた。
父の青春は、そこにあったわけだから、私は何とも言いようがないのだ。
若くして亡くなった戦友を悼む気持ちは、分かるような気がするし。
(分かる、と偉そうに断言することは、さすがに気が引ける。)
その父のために、絵を描いたのだ。
この飛行機も、父の戦友であろう。もしかすると、父自身の一部かもしれない。
ただの機械ではないのだと思う。
戦争に使った飛行機だから、人によっていろいろな考えはあると思う。
しかし、この機については、私は客観的にはなれそうもない。
だから、これは正確な「図」ではなく、
父の戦友を、父自身を描いた「絵」のつもりである。
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似顔絵(菅野美穂さん・「坂の上の雲」 正岡律) (portrait MIHO KANNO)

NHKの「坂の上の雲」で、正岡子規の妹役を演じている菅野美穂さん。
病の床に臥す子規の許を訪れた幼馴染み・秋山真之(あきやまさねゆき)に向かって子規は、
自分の無念の心情と、俳句文学への想いを吐露する。
子規の妹で、その介護を一手に引き受けている律(りつ)は、
それを物陰から聞いている。
結核から脊椎カリエスになり、背中の傷口からは
神経が剥き出しになっているような凄まじい状態。
介護といっても、結核の薬も無い時代、
激痛に泣きわめく兄をなだめすかしつつ傷の手当てをする毎日。
苛立つ兄に「木石(ぼくせき)のような女」などと随筆に書かれたり、
介護の他の日常の用事、子規の門人たちの相手、
その目まぐるしい生活は、自分のことなどとても考えられないものだったろう。
しかしその兄は、買い物に出かけた妹をひたすら待つ俳句も読んでくれるのだった。
結局律は、兄を尊敬していたのだろう。
しかし、真之を送る道すがら、律は言うのだ。
「うちはいかん妹なんじゃ。
兄(あに)さん、もう死んでもええよ…心の中でそうつぶやくんじゃ。」
もう十分苦しんだから、短いけど十分濃い人生だったんだから、
もう楽になってもええよ。そう思う妹。
「でも兄さんは、どんなに苦しゅうても、生きようとするんじゃ。」
上の絵に描いたような表情で、律は真之に訴えかけるように言う。
「兄さんは、私の作ったごはんを、残さず食べるんじゃ。」
兄の生きたい気持ち。無念の気持ち。
それを可哀そうで辛く思う自分。その情けなさ。しかし兄を楽にしてあげたい気持ち。
その心の中のせめぎあいを、切なく溢れるその気持ちを、
菅野さんは素晴らしい演技で演じ切った。
日本人は、明治人は、美しかったと思う。
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スズメのお家

スズメが、減っているらしい。
なんでも、巣を作れる場所が減っているからだそうだ。
瓦屋根のある家の軒下が、理想的らしいが、
瓦屋根が少なくなり、そういう隙間と、防護壁としての屋根が揃った環境が
なかなか見つからないらしい。
マンションの排水用の穴などに作ったりしている。
しかしカラスなどの餌食になりやすく、安心して営巣できないようだ。
布団を干したところへ、手すりと布団の隙間に魅かれて
巣を作ろうとしたりするらしい。
そう言われて、町中を見まわすと、確かにいい場所は少ない。
いつでも見られると思っていた生物が、いつの間にかいなくなる。
その原因は、やはり人間だったりする。
メダカやバッタやスズメ、こういう身近な生物がいなくなるのは、淋しいしなんだか怖い。
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雪江さんお団子

何だか雪江さんというキャラクターが
頭の中に住みついてしまったようで、
時々描きたくなる。
これ、マンガを描く時の状態に近いのかもしれない。
だから、時折、頭の中の雪江さんについて行って
その行動を写させてもらおう。
失礼しますね、雪江さん。
いきなり団子を頬張っているところを描きました。
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うーみ。(似顔絵 真木よう子さん・「龍馬伝」 お龍9) (portrait YOKO MAKI 9)

最後の最後は、やはりお龍さんで。
龍馬が殺されて、その知らせを受けた日なのだろうか。
浜辺に佇むお龍に、龍馬の幻が現れる。
「うーみ。」
お龍に、笑顔を覚えさせるために教えた言葉。
それを笑顔でまた口にする龍馬。
しかし幻は、すぐに消える。
お龍には、分かっていたのだろう。
いつかは、こうなることを。
それを承知で、龍馬について来たのだ。
お龍を心配して、龍馬の兄と姉が浜に来る。
その二人に向かって、お龍は、花のように笑う。
龍馬が言ったのだ。「笑ったおまンは、誰よりも別嬪(べっぴん)じゃきい。」と。
だから、こうやって、笑うのだ。
張り裂けそうな心は、人に見せずに。
真木さん、本当に素晴らしいお龍さんを、ありがとうございました。
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似顔絵(福山龍馬、というか、坂本龍馬) (portrait MASAHARU FUKUYAMA 12)

「龍馬伝」も最終回。
したがって、その似顔絵も最終回。
惨殺シーンは描くに忍びないので、
龍馬が風車を買って、それを吹いている、
最後の童心を見せたシーンを描く。
ところが、描いていて、ふと、福山さんと本物の坂本龍馬が重なってきた。
もっと福山さん寄りに修正すればできるだろうが、
この、本物の龍馬に少し似た顔が、捨てがたく思えてきた。
番組を見ていて、いつも、
「本当の坂本龍馬は、どんな顔をして笑ったんだろう。
悲しんだり、怒ったりは、どんな表情と声でしたんだろう。」と、
想像することが多かった。
写真は、3枚しか知らない。
どれも真面目な顔なので、余計に想像がふくらんでしまう。
もしかすると、最後になって、「少しは俺も描いてくれ。」と
あの世の龍馬がいたずら心を起こしたのかもしれない。
そんなふうに考えると、それはそれで面白い。
まあ、私の勝手な妄想ですけど。
1年間、ありがとうございました、福山さん、坂本さん。
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