日々描いたマンガやスケッチ、似顔絵などを貯めていく貯金箱のようなブログ。
スケッチ貯金箱
うたのイラスト(「羽衣(はごろも)」)
文部省唱歌。
最近は教えていないのでしょうか。
歌詞はこんなふう。
「羽衣」作詞:林柳波 作曲:橋本国彦
1白い浜辺の 松原に
波がよせたり かえしたり
2あま(天)の羽衣 ひらひらと
天女のまい(舞い)の うつくしさ
3いつかかすみに つつまれて
空にほんのり 富士の山
簡単だけれど、印象的な良い詩だと思います。
同名の曲がほかにいくつかあるそうですが、私が知っているのはこの曲だけです。
こういう歌は、歌い継がれて欲しいなと思います。
というわけで、羽衣の絵を。
飛んでいる絵はよくあるので、松の木の上に座っている羽衣を。
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うたのイラスト(「シナの夜」)
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うたのイラスト(「この広い野原いっぱい」2)
以前描いたことがあるけれども、もう1回描いてみようと思った。
この歌は恋する少女の内面風景を主に歌っているのだけれど、
それは歌詞が歌うのに任せて、
絵はその少女の姿を見つめるように描くのがふさわしいと思う。
以前もそのように描いたけれど、斜め後ろからのアングルだった。
今回は斜め前からのアングル。
このアングルだと、顔をきちんと描かねばならず、それは大変難しいことである。
とりあえずこんなふうになったが、もっと違う風に描けるかもしれない。
難しいものを描くのは、反面とても楽しいことではある。
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うたのイラスト(そよ風のバラード)
ザ・スイング・ウエストというバンドが唄っていた曲。
湯原昌幸さんがリードヴォーカルだった。
私が高校生だったころ、土曜の昼過ぎの番組で歌っていたのを何度か聞いた。
学校から自転車で風を切って家に帰るとこの歌が流れていた。
それでうららかな昼過ぎの光景と、風を切る感覚とこの歌がマッチして記憶に残っている。
軽快だが哀愁を含んでいるところが好きな曲だった。
カーナビーツのアイ高野さんが歌っているヴァージョンもあり、これもなかなか良い。
とにかく季節が荒々しくなって、猛暑だの突風だのゲリラ豪雨だのという情緒の無いものになってしまったので、
なおさらこの歌に感じられる「そよ風」の吹く季節にノスタルジーを感じてしまうのかもしれない。
イラストは「そよ風」のイメージで。
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うたのイラスト(テレサ・テン「人約黄昏後」)
でも取り上げられるのは日本でのヒット曲ばかりで、台湾で歌っていた歌はそんなに取り上げていなかった。
彼女には「淡々幽情」という、古い漢詩を現代曲にして歌った傑作アルバムがあるが、これなど日本では話題になることが少ない。しかしいい曲があるのだ。
元時代の朱淑眞という詩人の「人約黄昏後」という詩を歌った曲は簡潔だが情緒があってとてもいい。
去年元夜時
花市燈如晝
月上柳梢頭
人約黄昏後
今年元夜時
月與燈依舊
不見去年人
涙濕春衫袖
去年、元宵節の夜に
花市の灯りは昼のようで
月は柳の梢の上に掛かり
私たちは日暮れてから会おうと約束した
今年、元宵節の夜に
月と灯りは前と変わらないのに
去年の人を見ることはなく
涙が春の袖を濡らす
これだけの詩である。しかしとても味わい深い。
テレサ・テンも美しい。
イラストは似顔絵ではなく、詩のイメージで描きました。
手に持っているのは小さなランタンを先につるした柄の部分。
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うたのイラスト(「星屑の町」)
私が小さいころ流行っていた。
ドドンパのリズムで歌う歌謡曲、というのが珍しかった。
しかし歌詞の意味は、子供の私にははっきりとは分からなかった。
何か孤独に帰り道をたどる感じが印象に残っていた。
だが大きくなると、この歌は都会での夢破れ、一人故郷に帰る人の気持ちを歌った唄だと感じるようになった。
町の灯りを背に、遠い故郷の灯を目指して帰る人。
「分かるなあ」と生意気にも思ったりした。
しかしもう今になると、違う意味に思えてならない。
これはこの世に別れを告げる人の歌だ、と思えてくる。
この世に生まれてくる前の世界に戻る人。
優しかった夢、忘れない花の数々、というのはこの世の記憶。
そして、まだ遠い赤いともしび、というのはあの世の入り口の灯りなのだろうか。
先日、義母が亡くなった。
私の親の世代の人はみなあちらに行ってしまった。
この歌の流行した昭和の時代ももう過ぎ去ってしまった。
私もいずれは、遠い灯を目指して一人歩いていくのだろう。
そんなことを思いながら聞いている。
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うたのイラスト(かえり船)
田畑義夫(たばた・よしお)さんという歌手が唄った。
戦地から帰って来る兵隊さんたちが、この歌を聴いて涙を流したというエピソードが有名である。
「かすむ故国よ 小島の沖じゃ 夢もわびしく よみがえる」という歌詞に万感の思いが込められている。
私の父は海軍の爆撃機乗りだったから、こういう状況にあったわけではないが、
それでも特攻まがいの作戦に駆り出される寸前で終戦を迎えた。
あのころの人たちは多かれ少なかれこの歌に感じるものがあったはずである。
その子供の世代の私たちがその何分の一かでも、あの時の人々の心を伝えられたらと思う。
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うたのイラスト(「エーデルワイス」)
作曲はリチャード・ロジャース、作詞はオスカー・ハマースタイン2世。この二人は、「オクラホマ!」「南太平洋」「王様と私」などのヒット作を次々と手掛けたブロードウェイの重鎮でした。
その最大級の名声を手に入れたハマースタインが胃癌にかかります。もう余命いくばくも無い彼は「サウンド・オブ・ミュージック」中の挿入歌としてこの「エーデルワイス」を人生最後の作品として作詞したのでした。
栄光と名誉を手に入れた彼が最後に歌ったのが、アルプスの高地にひっそりと咲く「高貴な白」を意味する白い可憐な花、エーデルワイスでした。人間というものが、結局最後はどういうところに戻って来るのかを暗示しているような気がします。
小さく白く 清らに明るく
私に逢えば 楽しげな花
白雪の花が花咲き生長することを願い、最後に「祖国に永遠(とわ)の祝福を」と祈ります。もちろん「サウンド・オブ・ミュージック」のストーリーに合わせた歌詞なのですが、なにかこの世を去る前のハマースタインの心境の一端を覗くような気がします。
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うたのイラスト(「音楽のような風」)
松任谷由実さんが今も取り上げられるのに比べて、epoさんは比較的話題にされていないような気がする。
しかしepoさんの曲は非常に洗練されていて、私は好きだなあ。
特に「身代りのバディー」とか、この「音楽のような風」は本当に素晴らしいと思う。
この曲の内容は失恋の歌なのだが、80年代の東京の雰囲気を、ソフィスティケートされたスタイルでくるんで届けてくれる。
もしかすると時代を先取りしすぎていたのかもしれない。
この曲には私も想い出がある。
実は昔、新婚旅行で当時としては珍しくトルコを選んだのだが、妻があいにく風邪をひいてしまい、イスタンブールのホテルで寝込んでしまった(幸い1日で回復した)とき、私は妻の寝ているそばに座りながら、ウォークマンとカセットテープでこの曲をくりかえし聴いていた。
この曲を聴くとそのことを思い出す。懐かしい思い出である。
イラストは、「テラスでお茶を飲みながら」失った恋を思い出している人、のイメージで。
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うたのイラスト(「今日の日はさようなら」)
友達と別れる場面がベースになっているけれど
いつまでも友達でいよう、という内容で、子供たちに歌わせるのはうなずける歌だ。
けれどもどこかに、もう会えないのではないか、それでも夢を持って自由に生きて行こうね、
というニュアンスが漂っているところが大人の胸に響く曲だとも言えるのである。
イラストは、引っ越ししてしまう友達を見送る女の子、という設定で描きました。
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うたのイラスト(「赤いランプの終列車」)
春日八郎という、素晴らしい歌手がいました。
「長崎の女(ひと)」「お富さん」といった大ヒット曲がありますが、
その春日さんのデビュー曲がこの「赤いランプの終列車」です。
現在では想像もしにくいでしょうが、戦後すぐの時代には
人と連絡をとる、ということがすごく難しかった。
基本的には手紙やハガキでしか連絡はできないのです
(ただし住所を知っていて、読まれても差し支えない内容に限る)。
電話も裕福な家にしか無かったし、もちろんスマホなんてものはない。
旅の人と恋に落ちた、この歌の主人公のような人は、
駅での別れが今生(こんじょう)の別れになることも十分あったでしょう。
「きっとまた来るよ」という言葉にすがるしかないわけです。
そんな前提を理解した上でこの歌を聞かないと、
恋しい人が乗った最終列車の赤いランプが「悲しく」消えていくという心情は理解できないでしょう。
この歌をものすごく好きだ、というお年寄りが多いのもうなずける名曲・名唱だと思います。
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うたのイラスト(「有楽町で逢いましょう」)
有楽町でデートを約束したカップルの歌。
ティールームで彼女を待っていると、小雨が降って来る。
濡れてくるのではないかと気をもむ彼氏。
そして有楽町の情景が次々と歌われる。
東京への憧れが結晶したかのような歌詞だ。
街の情景は本質的には変わらないが
私たちの内面の情景が変わってしまったのだろう。
その頃の輝きというのは、もう想像するしかない。
ティールームは「ビルのほとり」と歌われているので
もしかしたら1階かもしれないけれども、
2、3階から彼女が来るのを待っている彼氏と
その姿を見つけて微笑む彼女、という感じで描いてみました。
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うたのイラスト(岡田有希子さん「恋・はじめまして」)
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うたのイラスト(ヒデとロザンナ「恋愛狂時代」)
あまりヒットしなかったので知っている人は多くないかもしれない。
でも都倉俊一・なかにし礼のコンビの曲だから、なかなかの佳曲。
酒場勤めの女の子と同棲する決心をした男が「とめてくれるな おふくろ」と
母親に向って歌っているという、ちょっと変わった内容だ。
線路わきのおんぼろアパートに住むことになった二人だが
それでも明るい。
「パジャマ姿のあの娘が」この俺のためにブルースを歌って眠らせてくれる、と、のろけている。
曲調も軽快で、ミュージカルか何かで使ってもいいような気もする。
YouTubeにも最近アップされたようだけれど、いつまた消されてしまうかもしれないので
興味を持たれた方はお聞きになられてはいかが、かと。
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うたのイラスト("On the Sunny Side of the Street"「明るい表通りで」)
"On the Sunny Side of the Street"「明るい表通りで」が流れている。
ドラマの上で重要なテーマにもなる曲だ。
この曲のベスト・バージョンと言われるのが
1947年にボストンのSymphony Hall(シンフォニー・ホール)での演奏・歌唱で、
これは心も震える名演である。
ここでサッチモは同じ歌詞を二度歌う。
一回目はさらりと軽く歌う。いい感じである。
だが二度目の歌詞は、同じ歌詞なのにがらりと様相を変える。
まるで自らの人生そのものを振り返りながら、魂の底から湧き出るような声で歌う。
恐らく人生で受けたであろうさまざまな差別や抑圧、それを耐え忍んで来た道筋をかみしめるように歌うのだ。
そんな説明は一切ないのに、誰にもそのことが分かる。
それでも明るい表通りを歩いていれば、ロックフェラーのようにリッチな気分さ、と歌うのが感動的である。
それは聴衆の割れんばかりの拍手で確信できる。
このコンサートの映像は残っていないのだけれど、もし残っていたら是非見てみたいと思えてしかたがない。
そんな姿を想像して今回は描いた。
同演奏はYouTubeで聴くことができる。
Louis Armstrong, on the sunny side of the street , 1947, symphony hall
のキーワードで検索すれば出てくるはずである。
下に私のつたない訳詞を載せておきます。
明るい表通りで
コートをつかんで
帽子を手にとって
心配事は戸口に置き去りにして
足を向けてごらん
明るい表通りの方へ。
パタパタという響きが聞こえないか?
その幸せな調べは君の歩む靴音。
人生はこんなにスウィートなんだ
明るい表通りを歩いていれば。
暗い陰の中ばかり歩いてきた
悲しみをたくさん道連れにして。
でももう僕は怖くない
さまよっていたけれど もう道のこちら側にやって来たんだ
1セントも無くたって
ロックフェラーみたいにリッチな気分さ。
足元に金の埃を舞い上げながら
明るい表通りを歩いていれば。
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