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こどもをめぐる季節たち(画文集・3 端午の節句)

端午の節句


鯉のぼりは、かっこいいな。
ぼくは、青空にゆうゆうと泳ぐ鯉のぼりがかっこいいと思うのに、
弟のやつ、全然関心がない。
いさましい五月人形にも、興味がなさそう。
あいつの好きなのは、柏もちだけだ。
あとは菖蒲湯だ。「葉っぱのおふろ!」なんて喜んでる。
でも、この大きくて堂々として、
からからと矢車を回して、家族と吹き流しといっしょに、
明るい光の中をゆっくりと泳いでいる真鯉を、ぼくはじっと見つめる。とても誇らしい。
え、柏もち、そんなに食べちゃったの?
待ってよ。ぼくも食べるんだから。ちまきも残ってるよね?
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似顔絵(堀北真希さん 2 「梅ちゃん先生」) (portrait MAKI HORIKITA 2)

堀北さんが朝ドラの主役になったので、
録画したものから写しました。
でも実力派ですね。コミカルな演技もうまいし。
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似顔絵(和久井映見さん 「平清盛」 宗子) (portrait EMI WAKUI)


平清盛の父、平忠盛の正室・宗子(「むねこ」と読むのか「そうし」と読むのかよく分からない)。
ドラマでは、清盛の本当の母である白拍子(清盛の父は白河上皇)の面影を忘れられずにいる夫に悩み、
実の子と清盛への愛情の持ち方に苦しむ、不運な女性を演じている。
しかし、老いた忠盛が清盛を後継ぎと決め、全ての荷を下ろした時、
よろける忠盛の身体を支えた宗子にかけた忠盛の「かたじけない。」という言葉に、
「妻となって初めて言われた気がします。」と少し恨めしそうに言う。
しかし忠盛は「そのようなことはない。ありがたいと思っていた。一緒になってからずっと。」と答えるのだった。
宗子は意外な言葉に、無言で「本当?」とでも言いたげな視線を送る。
忠盛は笑う。そしてうなずくのだ。
宗子は一瞬泣き笑いのような顔をして、嬉しそうに下を向く。
年を経た夫婦の、静かな、しかし束の間の幸せを描いて出色のシーンだった。
忠盛はこの少し後に死ぬのだ。
和久井さんの、その、少し泣きそうな笑い顔をスケッチしました。
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うたのイラスト(「バラの恋人」)

今話題の、宮あおいさんが出演しているウーロン茶のコマーシャルで
バックに流れているのが、ザ・ワイルド・ワンズの往年のヒット曲「バラの恋人」。
初めて見たときに感じた、懐かしさと同時に「忘れていた」ゆえの新鮮さで、
以来頭から離れない。
当時は、アイドル風の渡辺茂樹さんがメンバーに加わり、この甘いメロディーのナンバーを歌っているのを見て、「なんだアイドル歌謡か」と軽く見ていた覚えがある。
何を聴いていたんだろう。身近にある優れたものに気づかない大馬鹿者だ、と今では当時の自分のことを思う。
いい歌だなあ、これは。
憧れの彼女をひたすら想う少年の心を歌って、こんなにストレートで、いじらしい歌はないだろう。
宮崎さんを模写する人は、他にもいそうだから、私は私なりの「バラの恋人」を描いてみた。
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うたのイラスト(ザ・スプートニクス「夢見るギター」)



スウェーデンのエレキギター・バンド「スプートニクス」のヒットナンバー。
1966、7年頃のヒットだったように思うが、はっきりしない。
「霧のカレリア」「空の終列車」などの大ヒットでおなじみのバンドだが、
この「夢見るギター」は日本人の手になる作曲で、
そのリズミカルだけれどセンチメンタルなメロディーがなつかしい。
インストゥルメンタルだから、内容は説明できないが、
ギターが何を「夢見る」のか、想像したくなる。
恐らく、ギターは音楽を奏でることを夢見るのだろう。
憧れている彼女の前で、この曲を奏でることを。



彼女を目の前に座らせ、少年は弾き始める。
はじかれた弦の響きは、高く低く、メロディーをなぞっていく。
君のために唄う日を待っていたギターの心をなぞる。
部屋の片隅の薄暗い闇の中で、その夢を見続けるギターの心。
むろんそれは、ギターを弾く少年の心である。



こんな少年の心が、彼女にどれくらい伝わるのだろう。
しかしこれは、少年の心の内の、秘かな想像にすぎないのだった。
こんなセンチメンタルな場面を描きたくなった。
シンプルだけれど、とても良い曲だと思う。
Youtubeでも聴けます。
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棒高跳び



今は女子も棒高跳びをする時代になった。
私が中学生の頃は、男子しかやらなかった。
今の世界選手権の女子の記録水準(4m台の後半から5mにかけて)が、
ちょうどその頃の日本の男子の水準だったので、
世界選手権の女子決勝などは、似た感じの内容になり、とても面白い。
日本人で初めて5mをクリアしたのは、鳥居義正選手(鳥栖高校教員だったと思う→訂正:静岡県富士市立吉原商業高校、が正しいとのご指摘がありました。)で、
たしか1968年冬の室内競技会だったと記憶している。
その後メキシコ五輪(1968年秋)で丹羽清選手が5m15の記録を出した。
今の女子の世界記録が5m06である。
だから技術的にも何か往時を彷彿とさせるものがある。
6mを越えている男子は、もう別次元の競技になっているが、
5m前後の棒高跳びは何か人間臭い感じがして好きだ。
クリアの応酬でスタンドを沸かせる棒高跳びは、フィールドの花である。
オリンピックでは、また名勝負が見たいものである。

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ベリーロール(その4)

以前もベリーロールを描いたけれど、
今回はまた別のアングルで。
ベリーロールは一種の完成された型で、美しいものだった。
もう見られないのは淋しい。
フォーム別の走り高跳び選手権をやったら面白いと思うが、
今ではこのフォームを出来る人はもういないだろう。
記録の意味でも描いておいていいかもしれない。
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こどもをめぐる季節たち(画文集・2 花見)



遠くからこっちまで、人がいっぱい。
この公園でお花見するの、私は初めて。
お父さんや近所のおじさんたちが、いい場所をとってくれたんだって、朝早くから。
そこにお酒や料理を持ち込んで、地面に敷いたござの上で、
大人も子供も、みんな食べて飲んで歌って、踊る人までいる。
うわあ、にぎやかだなあ。
はるかむこうの彼方から、桜色の霞が空にかかって、
小さな花びらがつぎつぎ舞い降りて。
私は花見団子を食べながら、ずっと眺めていた。
明るい光に、散りつづけるたくさんの花びら。
ふとなぜか、今が昔で、昔が今で、
今この時がたまらなく大切な時のような気がして、
なにか悲しいような気持ちがしていた。
笑い声の中で。歌声の中で。
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