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女性像(ラフスケッチ 1)(woman portrait:rough sketch 1)

この一年は、いろいろ大変だったから、

静かに年を送りたいと思う。

来年は、心新たにいろいろやって行きたい。

簡単なスケッチで締めるのもいいかな。

 

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似顔絵(トリンドル玲奈さん 2)portrait ReinaTriendle 2

描くのは2回目です。

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女性像(軽く彩色)

少し前に描いたもの。色は少し控えめ。

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うたのイラスト(「赤いハンカチ」 母を偲ぶ歌)

「アカシヤの花の下で」で始まるこの歌は有名だから、説明するまでもないだろう。

私の母ももちろん知っていただろうし、「石原裕次郎はいいなあ」と、その歌声を聴きながら言っていたような記憶もある。「二人の世界」というヒット曲のレコードが家にあった。

 ここでなぜこの歌を取り上げるかと言うと、こんなことがあったからである。

末期胃がんだった母がいよいよ自宅で療養(私たち子供が交代で介護のため宿泊していた)とは行かず病院に入った時、私たち夫婦は見舞いに行き、枕元で使えるようにと柔らかいタオルハンカチを買って枕元の手すりに掛けて見せた。

もう話すのもやっとになっていた母は、それでも手を伸ばしてその赤いハンカチに触れ、いとおしそうに撫で続けた。

自分の病状をはっきりと認識していた母は、そのハンカチの柔らかさにせめてもの救いを求めていたのだろうか。

それとも、ハンカチを持ってきた私たちに、苦しい中でもせめてもの謝意を示そうとしたのだろうか。

母は律儀な人で、世の中の礼儀や仕来りはきちんと守ろうとした。2年前に亡くなった父の一周忌を滞りなく済ませられるかどうかを気に病んでいた。それがやっと済んで、これから少しはのんびり過ごそうかと思っていた矢先に、スキルス性の胃がんという診断を受けたのである。それでも「5年でも10年でも行きたい。」と言い続けた。入院はさぞかし無念であったと思う。

自宅療養の期間でも、世間への礼儀はきちんと守ろうとした。お祝いやお見舞いは忘れなかった。「お母さんは行けないから、これを渡しておくれ。」とお金を預けられたりした。

 

そんな母だったから、ハンカチを何度も指先で撫でるのを見て、「母さん、そんなに無理しなくてもいいよ。気持ちは分かったよ。」と思ったが、もちろん口には出さなかった。

 

母と言葉を交わしたのは、その時が最後だった。半月ほどして、母は亡くなった。

それからもう半年になる。私の心の中でも、母はあの世の人になりつつある。

これから「赤いハンカチ」を耳にするたび、この時のことをきっと思い出すことだろう。

 

 

 

 

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