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納豆の発見

稲の藁(わら)には、もともと納豆菌がたくさん住み着いているのだそうだ。
そういう話を聞いて、想像してみたのだが、
納豆というのは、煮た大豆をうっかりして藁の上に置いたまま
しばらくして気が付いて恐る恐る食べてみたら美味かった、
というような経緯(いきさつ)で発見されたのではなかろうか。
根拠のない推論だが、どうしてもそう思えてならない。
何の食べ物についても言えるが、初めて口にした人の勇気は相当なものだと思う。
キノコの有毒性の有無も、食べた人がいて初めて分かったのだろうし。
納豆を初めて食べた人は幸運だったし、その瞬間の喜びも大きかっただろうな。
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頭を振る子

もう少しで1歳になる孫娘が最近
ご機嫌になるとやたら頭を振る。
でも頭が大きいのでバランスをくずして
どこかに頭をぶつける。
週1回我が家に顔を見せるのだが
成長がはっきり分かって楽しい。
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無観客は果たしてマイナスか?

オリンピックはほぼ無観客と決まった。
盛り上がらないオリンピックだとか史上最低だとか、
こんなオリンピックで勝ってうれしいのか、だとか、
議論が喧(かまびす)しい。
でも私はむしろ「無観客のオリンピック」をこそ見たいと思っている。
常日頃、最近のオリンピック放送が、やれ金メダルが何個だとか、
メダリストの家族だの友人だのまで巻き込んだ感動ストーリーを作り上げるのに辟易していたからである。
私は競技が見たいのだ。
競技者が孤独の中で自らを研ぎ澄まし、最高のレベルで競い合う
(団体競技でも一人一人の選手は孤独な競技者である)。
その果てに、競技の結果を越えて、同じ人間として認め合い尊敬し合う。
平和も何も、「国や言葉や人種は違ってもお互い同じ人間だ」という意識が心の底から育たなければ生まれないだろう。
それが生まれる数少ない場がオリンピックなのだと思う。
そして観客というのは、選手の発奮材料になるかもしれないが、同時にナショナリズムを煽る興奮をもたらしかねない存在である。
いてもよいが、いなくてもよいものだと思う(プロは商売だから話は別だが)。
私の好きな陸上競技など、むかしは閑古鳥が鳴く状態が当たり前で、
今のように拍手を要求する選手など皆無だった(あれは三段跳びのウイリー・バンクスあたりが始めた行為ではなかったか)。
選手は観客がいようがいまいが、全力で競技するだろう。成功すれば、勝てば喜びの声を上げ、負ければ失望の表情を浮かべるだろう。
無観客の舞台でどのようなドラマが繰り広げられるか。
むしろオリンピックの本質が現れるのではないか。
そしてテレビ局の実力が試されるオリンピックでもあるだろう。
コロナ禍での開催に議論があるのは理解する。
しかしやるとなった以上、意義あるものにしてほしい。
テレビでそれを見届けたいと思っている。
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世界は見ている

 オリンピックは有観客になるようである。  しかも外国人観客は日本居住者以外はゼロ。  そこでちょっと心配なのは、日本人ばかりの観客の応援態度を世界の人々がどう見るか、ということである。  圧倒的アウェイ状態で戦わされる自国選手と、日本人の活躍にしか関心の無い観客の姿や応援態度を見せられたら、 「日本人はこの程度のものか」 「おもてなし、だなんて、うわべだけの優しさだ。本当は排他的な民族だ。オリンピック精神とは無縁の人々だ」  などという感情を、世界の人々がテレビ画面から感じてしまわないか、という危険性である。  ネットしか見ない人が増えた、といっても、やはりテレビの映像のインパクトは強烈だし影響も大きい。のちのち日本人と言えばあの映像と結び付けて思い出される、などということになりかねない。  無観客ならこんな問題は無かったはずだが。  マスコミの報道もひたすら「日本頑張った!」「日本強い!」「世界が認めた日本の実力」的なものばかりではなく、日本人は絡んでいないが世紀の名勝負であったシーンとか、これぞオリンピック精神、フェアプレイの精神と呼べるような外国人選手の姿などを努めて放送してほしい、というのが私の望みである。  とにかく、観客も報道も、街頭で騒ぎたい人たちも、世界の目が注がれているのだということは忘れてはならないことだろう。
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イコンとしての三蔵法師

昔「西遊記」のテレビ放送で夏目雅子さんが玄奘三蔵を演じて話題になった。

あの姿を記憶している人は多いと思う。

それ以来、この役は女性が演じるものになったようだ。

そのイメージは女性的、というより中性的なもので、

仏法を求める精神性と相まって、一種の理想的な人間と化した感じがする。

語弊があるかもしれないが、「イコンとしての三蔵法師」となったのである。

その姿を描くときは、精神を集中して描かなければいけない気がする。

ちょっと神妙な気分で描いてみた三蔵法師。

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せめて聖火を利用する

オリンピックが中止になるかもしれない。

私自信は楽しみにしていたのだが、

あまりの事の成り行きに、もうダメかもしれないという気がしてきた。

それにどうやら「オリンピックなんて嫌いだ」という人も結構いるようだ。

国民が支持しなければさすがに厳しいだろうなあ。

すると聖火リレーも無くなるわけだ。

もったいないから、せめて種火を分けてもらって国民におすそ分けし、

その火で焼いたものをお持ち帰りで販売したらどうかなどと

不埒(ふらち)な妄想をする。

「聖火焼肉」「聖火焼き鳥」「聖火弁当」を売っていたら

せめてはかない夢に終わった東京五輪のために買ってあげようと思う。

でも実際どうなるんだろう。

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公園で

2歳の孫が家に来たので、近所の公園へ遊びに行く。

転ぶのが怖いのか、腕を上げて面白い走り方をする。

滑り台やブランコで遊んだ後、公園にいる鳩に興味を示す。

鳩のいるところへ、あの走り方で向かう。

鳩が一斉に飛び立つと、驚いていた。

そしてまた走り回る。

きっと世界がいろんな風に見えて面白いのだろう。

家へ帰ってまたひとしきり遊び、2時間以上お昼寝をした。

小さいながら、精一杯生きているなあと思う。

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カメの日除け

毎日暑いので、もうヘトヘトである。

昨日カメの水槽(玄関先の軒下に置いてある)を掃除したら、水が日光のせいでぬるいお風呂ぐらいの水温になっていて驚いた。

これではカメも大変だ。水替えしたから当面は涼しいが、また直射日光を浴びたら同じことである。かといって玄関の中に入れると常に餌を欲しがって暴れるので、とてもやっていられない。水槽には網の枠をかぶせ、その上に若干の雨除け・日除け用に、こわれたエアコンのカバーをのせているが、それではあの水温になってしまう。そこで、掃除の時に使うバケツを載せてみた。ちょうどよいくらいの日陰が水槽内にできる。カメも水槽内の島の下に潜り込んでひっくり返していたのが、おとなしくその日陰でじっとしている。しばらくこれで様子を見てみよう。去年はそんなことをしなくても無事夏を乗り越えたから、これで大丈夫とは思うが。

生き物を飼っていると、何かと気を遣う。

それにしてもこの暑さ、どうにかなりませんかねえ。

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ナツノマスク

気が付かなかったのだ。

夏になるとマスクは暑いということに。

熱中症というものがあることを失念していたのだ。

マスクの値段が急に下がり始めたと思ったら、こんどは暑さの問題である。

「涼しいマスク」を研究して開発しているところもあるらしいが、

今度はその冷感マスクが高騰するのだろうか。

夏はガーゼマスクの方が過ごしやすいかもしれない。

水分補給が肝心、と言われても、

ウイルスがついているかもしれないマスクをずらして飲むのも勇気が要る。

鼻を覆ったまま上に外した方がいいのか、

下に外した方がいいのか、よく分からない。

エアコンは空気が循環しているだけだからかえって危険で、

換気が大切と言われても、家ならともかく

35度もある日に、オフィスの窓を開けても熱中症になってしまう。

「どないせえっちゅうねん。」と突っ込みたくなる人は多いだろう。

 

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手洗いが大事

コロナウィルスで世の中は大混乱。

マスクも消毒薬も見つからないので、とにかく手洗いと、うがいしかない。

こんな状況はいつまで続くのでしょう。

とにかく手は洗いましょう。

 

 

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夢の中の山

以前不思議な夢を見たことがある。

山の麓にいた。そこには人がたくさん訪れていて、神社のような雰囲気である。

回りは高い木が鬱蒼と立ち並び、山頂は見えない。

しかし一カ所、木々の間から山頂が見える場所があって、そこに人が集まっている。

私もそこへ行って山の頂を見た。

だがそれは異様な光景だった。

昼間なのに、山頂の空は真っ暗である。

高さはわずか二百〜三百メートルくらいなのに、冬の富士山のように真っ白な雪が覆っている。

しかも雪嵐のためか、雪が吹き上げられているのが見える。遠くの富士山頂を望遠レンズで見たような光景である。

そして全体に、侵し難い神々しさが満ちているのだ。

そこには決して人間は到達できない、と瞬時に了解する。

そこへ登ろうとしたら、決して戻って来られない、ということも。

その姿に、ただただ見入っていた。

そういう夢である。

この山頂のイメージがあまりに強烈だったので、これは何だろうと考えた。

もしかすると人間の根っこにある自然への畏れみたいなものかもしれない。

山岳信仰、というものもこういう感情と関係があるのかもしれない、とも思った。

絵にしたい、と思いながらなかなか出来なかったが、今回試みてみた。

充分に表現した、とは言えないけれど、漠然とイメージは理解してもらえるかもしれない。

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戦後も消えて行く

菅井きんさんが亡くなり、

カラテカの矢部太郎さんの『大家さんと僕』の大家さんが亡くなったりと、

私の亡き母と同じ世代の方々が次々とこの世を去ってしまっている。

戦争体験を伝えられる人がいなくなったと言っている間に

戦後を語れる人も少なくなりつつある。

大家さんの話などを聞くと、あの世代共通の慎ましさを感じるのだが、

あの、控えめで慎ましい人たちはどこにいってしまったのだろう。

物悲しい気持ちになる。

 

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そういえば昔・・・

暑い日々が続いていて、高校野球も真っ盛りだが、ふと自分も中学時代に応援団をやらされていたのを思い出した。

「自律委員」というクラス毎の委員があって、それになると自動的に応援団をしなくてはならない。私も学ラン着たまま、エールなど応援の練習(けっこう無茶な)をやらされた。今も歌を歌うのに声があまり出ないのは、あの時校庭の端から端へ向かって声を張り上げたせいだ、と全てそのせいにしている。

さて本番の野球応援は、母校が1回戦であえなく敗退したので、1試合のお務めで済んだ。内心すごく嬉しかったのを覚えている。こんな応援団員がいたのでは野球部も気の毒だった。

応援団の主導権を男の番長と、女の団長が争うという、なんだか危ない組織の抗争みたいなものもあった。結局女性団長の勝利に終わって、ちょっとその人を尊敬した。

あの頃の夏より、今年の夏の方が遥かに暑い、一生懸命応援するのは尊いが、くれぐれも体調には気を付けてほしいと思う。

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オフィスに死す?

「働き方改革」だとか何とか、世間が騒がしい。

実際これから、職場はどうなっていくのだろう。

もっともこちらはもう卒業、という歳なので、あまり実感はない。

いやいや、そうは行かないか。

70歳定年だとか、元気なうちはいつまでも働けとか言う声もあるようだし。

昔「山椒大夫」という映画で、病気になった(ぬひ)のおばあさんが、

気遣って大丈夫かと声をかけた娘に向かって

「あたしたちは死ななきゃ休めないんだよ。あたしたちは人間じゃないんだから。」

という場面があった。

何だかそれが現実になって来ているような気がする。

楽隠居などという夢のような贅沢はもう絶望的なのだろう。

それにしても超高齢者が通勤電車で亡くなったり、

オフィスでいつか息絶えていた、なんてことが起きないことを祈る。

いや祈っているだけでは食い止められないだろう。

だって年寄りは、どう形容しようが歳を取っているのであり、

体も弱っているのだ。

サテライトオフィスでも作って通勤時間を短縮するとかしないと、

冗談でなくあちこちで悲惨なことになりそうである。

「あの席は、二人続けて亡くなっているから呪われている」などという

「会社の怪談」みたいなことになる前に、

真面目に高齢者の働き方は考えてあげないといけないだろう。

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自由過ぎるバスガイドさん

 日帰りのバスツアーで温泉に行った。

 連休で道路が混雑するので結構早朝の出発である。

 バスの中で眠ろうとしていたら、バスガイドさんが話し始めた。

 バスガイドに成り立てなのだろうか。その話が変である。

 変と言っても、たどたどしいというのではない。

 そうではなくて、その内容が自由奔放すぎるのだ。

 「私、恋人の聖地っていうのに憧れるんですよね。」と話し始めて、あちこちの聖地を巡ったり、これから巡りたいという話。恋人がいるのかどうかは話さなかった。

 それぐらいなら別にどうということもないのだが、話は揚げパンの話題に移り、

「私の給食メニュー・ベストテンの第4位が、揚げパンです。」と発表。

 3位まではどうなっているのだ。しかしそれについては説明なし。

 最後に、

「私、眠るのが好きなんですよね。

 生まれ変わったら、掛蒲団(かけぶとん)か、

 線を引く定規に生まれ変わりたいです。」

 と発表。

 蒲団になればずっと寝られる、ということか。

 それにしても定規とは。寝ていて仕事ができる、という意味だろうか。

 乗客は笑っていいのかどうか、茫然としていた。

 それでも、その後彼女はにこやかにしていた。

 このガイドさん、自由過ぎる。

 でも、何かもう一度聞いてみたい気もする。

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