台湾の旅6日目・1月2日は、ローカル線・集集線と、南部の主要都市・高雄を巡りました。
集集線の始発駅は台中から南に下った二水ですが、一部の列車は台中まで乗り入れて来ます。8:17発の列車は、西部幹線の区間で一部駅を通過する「区間快車」です。
お馴染みのローカル線向け軽快気動車に乗って、台中を出発しました。
架線下を快走すること約1時間で、分岐駅の二水へ。単線の細道に乗り入れ、ローカル線の旅が始まります。平渓線、内湾線と同様の、時速40km前後のゆっくリズムです。
特等席には鉄っちゃん風の男性一人。横に立って景色を眺めていたら親子連れがやって来たので、ベストポジションを譲りました。日本でも海外でも、子ども鉄っちゃんには大人になっても鉄道を愛してほしいと思う故です。
線路は重軌条、PC枕木の立派なものですが、保線状態はベストとは言えず、素人目にも線路には狂いが見えます。狂いの部分に差し掛かると、車体がぐっと横揺れしました。
線路と生活の場が近いのは集集線も同様で、線路の敷石なのか側道の砂利なのか、はっきりしない場所もところどころに。生活道路として線路を歩いていたおじいさんが、警笛を鳴らされていました。
なつかしいタブレットが現役。運転席にも冷気が流れ込むようにか、ワンマン運転でもないのに運転席のドアは開け放たれていました。
台中から2時間弱で、終点・車埕に到着しました。こちらも熱帯の木が出迎え、南国ムード満点です。天気は快晴、今日も暑くなりそう。
車埕駅は木造ながら、現代風のウッディな建物。
さっそく駅前探検に出かけてみました。車埕駅周辺の集落はごくごく狭い範囲にまとまっており、家々へは路地が結びます。
平日ながら観光客の姿が目立ち、さっそくお土産屋さんには人が群がっていました。ガヤガヤは嫌なので後で戻ってくることにして、先へ進みます。
鉄道書家の工作室、見学歓迎…という意味なのでしょう。入ってみます。
鉄道をモチーフにした木工製品や絵が飾られていました。画家さんにもぜひ会ってみたかったですが、ご不在のようで残念でした。
どん詰まりの先はダムになっていました。ダムの放水路下は木道の散策路になっており、青空に色付いた木々が映えます。
路地に戻り、さきほど賑わっていた車埕小飯店に入ってみました。駅弁でもある、名物・木桶弁当の本家のお店です。
店内には古い鉄道路線図が掲げられ、歴史を感じさせられます。
看板猫と、近所の方とウーロン茶を片手に談笑する店のおやじさんを見ながら、弁当の出来上がりを待ちます。
おやじさんは日本語ができて、穏やかながらも商売熱心。木桶は欲しいけど荷物になるからとお断りすると、小さな瓶の檜油を進めてくれました。少し付けただけで檜のいい香りが広がり、お土産に即決。これは家族に好評でした。
できあがった排骨飯の木桶弁当は、できたて、揚げたて。カリカリした肉が、おいしかったです。
木桶で食べたら、おいしさも ひとしおだったろうと思います。
木造駅舎、木工細工、木桶、檜油と、木に関する名物が続いたのは、車埕が林業の街ゆえ。木工資料館もあり、大断面の木造ドームは「木構之美」として解説されていました。
木材の切り出しのために活躍した鉄道車両も保存されており、阿蘇の小国を思い出す集落です。
カフェも数軒あるのですが、時間もなかったのでテイクアウト専門の店へ。
ポットか、よくてもコーヒーマシンから供されるのかと思っていたら、注文を受けてから豆を挽く本格派。フィルターを蒸らし、カップを温めるという手順の一つ一つまで丁寧で、もちろん美味でした。
1時間半の散策を終え、上り列車でバック。20分弱で下車した街・集集は、観光地でもあります。
木造駅舎は歴史ありげですが、1999年の大地震で全壊した後、原図を元に再建されたものだとか。ぱっと見、再建したものとは思えないほどの味わいがある駅舎です。
集集の街は、自転車で巡るのがお決まり。駅前には無数のレンタルサイクル屋さんがあり、外国人の対応にも慣れているようでした。
午後5時まで150NTを提示されましたが、1時間後の列車で発たなきゃいけないんだと伝えると、100NTになりました。それでも370円ですから、そこそこの値段です。
自転車とはいえ異国で乗り物を操るのですから、ちょっと緊張しつつ慎重にペダルをこぎ始めました。
寺院の武昌宮までは、自転車で10分弱。
ここにもいましたか、アヒルちゃん。全土で流行していることが分かります。
武昌宮の裏手にあるのが、大地震で倒壊した旧武昌宮。集集は「被災地」と呼ばれた街の一つで、その震災を後世に伝える遺構として保存されています。
現行の震度基準に照らせば、震度7に達するのではないかと言われる激しい揺れを、視覚に訴える遺構です。
破壊され、鉄筋が露わになった柱も間近で見ることができます。
立ち入りを制限する柵はないに等しく、自己責任での見学です。
熱帯植物が並ぶ街の外れまで来ました。帽子をかぶってこなかったのは迂闊で、熱い日差しが容赦なく照りつけます。
ヒマワリが並び、夏の終わり頃を感じるほどです。
案内看板に「十三目仔窯」と出ており、窯元かなにかかなと思いながらペダルを進めました。
レンガ造のそれは、レンガやタイルを焼くために作られた窯とのことで、今は売店などに活用されているようです。残念ながらこの日は、すべての店がお休みでした。
集集線の真横にあり、線路に面した「模擬駅」もあります。本物の列車が通過する瞬間を、見てみたいものです。
集集駅前に戻り、自転車を返却。
駅前からは、こんな豆汽車も走ってます。もちろん本物の蒸気機関車ではなく、エンジンはSUZUKI製です(笑)。
ミニ遊園地へは、集集線の線路を跨いでいきます。踏切はありません。
鉄道側が設けた「通行禁止」の看板の下には、「線路の上に留まらないで」「置き石しないで」「列車に近付かないで」の注意書き。渡っていいのかダメなのか、なんとも迷う光景ですが、要は自己責任でということでしょう。
帰路も特等席を確保。線路右手には並行して、グニャリと曲がったもう1本の線路が残されています。これも震災遺構の一つです。
さらに傾いた鉄塔もそのまま。
保存か撤去か、東日本沿岸の各地で震災遺構の今後が議論されており、もちろん台湾でも多くが取り壊されたのでしょうが、一定数は遺す道を選んだようです。
二水では接続する特急がないため、1駅、西部幹線を上ります。
特急電車とすれ違い、集集線の列車も水を得た魚の如く、負けじと全力疾走です。
田中着。親しみを感じる駅名ですが、日本起源の地名ではないとのこと。
田中駅の周辺には、味のある古い商店建築が多く残っています。日本流に言えば「看板建築」…通りの表面のみを洋館風に飾った建築物のようですが、台湾式に通りに面した1階部分はオープンになっています。
大地震は田中でもかなりの揺れだったはずで、あまり強い構造には見えませんが、多くが耐え抜いていました。
小腹が減ったので、路上の小龍包の店でおやつを買い出し。
1つ35NT、1袋100NTとあったのですが、どどんと9個渡されて35NT(130NT)でした。それでも列車の中でペロリと平らげてしまったのだから、美味しかったことには間違いありません。
田中からは14:55発の自強号で、高雄へと下ります。自強号は特急に相当する列車種別ですが、高鉄が開業した今は停車駅を増やして、地域間の足として活躍しています。
乗車率はざっと7割といったところで、平日昼下がりの「並行在来線」であることを考えればよく乗っています。
有名な阿里山登山鉄道が分岐する嘉義は、今回は後ろ髪をひかれながらもパス。記憶にないのは、うつらうつらしていたからです(笑)。
主要都市の台南も、今回は通過。駅名板は正面が旧字体の臺南、側面が新字体の台南となっており、どのように使い分けられているのか、興味深い所です。
高速鉄道の左営駅が見えてくれば、台鉄の新左営駅。ちなみに台鉄の左営駅は別にあり、さすがにこれは世を惑わしそうです。
台鉄は並行するMRTとともに高雄市内へのアクセスも担い、自強号にも乗り換え客が乗ってきました。
長旅を終え、高雄駅着。新しい駅舎の横には、旧駅舎が保存されていました。
旧駅舎では、台鉄の地下化事業の広報施設になっていました。「曳家」されて一時的に現在の位置に立っている旧駅舎ですが、地下化の完成後にはまた元の位置に戻す計画だとか。
建物がそこに建った歴史そのものまでも、大切にしている証です。
今日の泊りは、高雄駅から徒歩5分の宿泊施設「Single inn」。最小限の宿泊室は窓なしで、壁は天井まで通じておらず、日本でも見られるキャビンタイプのカプセルホテルに近い感覚です。代わりに大型テレビを始め、設備は最新式です。
楽天トラベル経由で日本からでも予約可能、宿泊料は900NT(3,300円)でした。今回泊まった宿泊施設では一番の高値でしたが、たまには熟睡しないと(笑)。
まだ時間は夕方6時、一休みもそこそこに、街歩きに出発です。
高雄にもMRTが通っており、十字に交わる2路線が運行中。改札機にはICカードの読み取り機がありますが、悠遊カードは使えません。市内のコンビニやバスでは使えるのに、何て分かりにくい!と思いますが、日本の地方都市でも見られる現象ではあります。
美麗島駅で、紅線から橘線に乗り換え。乗り換え通路は暗く、本来は広告が入っているべきであろう柱も、空白のままです。
橘線の電車は、3両という短い編成で、夕方のラッシュ時にも関わらずガラガラでした。
台湾第2の都市とはいえ、地方での地下鉄運営は厳しそうだなと、この時は思ったのでした。
終点・西子湾駅から周辺の見どころまでは距離がありますが、マイクロバスが接続していました。カードの読み取り機があったのでかざそうとしたところ、運賃はなんと無料とのこと。
丘の上の、旧英国領事館へ(入場100NT=370円)。レンガ造の建築物が、美しくライトアップされていました。
アーチの向こう側には、輝く高雄の街並み。
建物の手入れはよく行き届いており、大切にされているのは、日本が建てたものだけではありませんでした。
ゆっくりと時を過ごしたくなり、オープンカフェでラテをオーダー。100NTでしたが、入場券に付いている割引券で70NT(260円)になりました。ただ入場ゲートの中にあるカフェなんだから全員が割引対象になり、二重価格表示では…と、どこか釈然としないわけじゃありません。
ようやく涼しさを感じるようになった風に吹かれ、虫の声を聴きながらラテを傾けます。正月であることを忘れ、港町の夜景と対座しました。
市街地に戻り、高雄で一番高い高層ビル・高雄85ビルの展望台へ。はるか眼下には、光の道が続いていました。
日本の夜景に比べて、区画内の明かりが少ないように感じましたが、窓の小ささゆえでしょうか。道路の車の車列が、相対的に際立って見えました。
南側では、観覧車や色がグラデーションに変わるビルが目立ってます。
すでに乗り換えで2回通った美麗島駅に下車。コンコースは、ご覧のようなステンドグラス風のドーム天井になっていました。
なんとピアノの生演奏も行われており、豊かな市民空間を演出します。
駅の上にあるのは、高雄の観光名所の一つである六合観光夜市。
地方都市とはいえ、あちこちから日本語や韓国語が聞こえ、外国人観光客も大挙押し寄せていることが分かります。
港町らしく、海産物も豊富。屋外に生ものを並べて大丈夫かなと思いましたが、台はかなり冷やされているようで、水滴がしたたり落ちていました。
海鮮粥(70NT=260円)を食べます。観光地価格かもしれませんが、ダシもよく効いていて、おいしかったです。
六合は観光客向けなので、ぜひ地元向けにもと友人に推されていたのが、巨蛋駅から徒歩5分の瑞豊夜市。
二・四・五・六・日曜日…つまり火・木・金・土・日のみの開催ということを行ってから知り、今日は木曜日。あぶないところでした。
明日も学校や会社があるはずなのに、9時前の夜市は人でぎっしり。食べ物や衣類、雑貨まで何でもござれの品揃えです。
パチンコや射的、店主と対戦するカードゲームまであり、言葉さえ分かればエキサイトできそうです。
宿に帰ってゆっくり風呂に浸かり、ぱりっと糊の効いた布団でぐっすり眠りました。
集集線の始発駅は台中から南に下った二水ですが、一部の列車は台中まで乗り入れて来ます。8:17発の列車は、西部幹線の区間で一部駅を通過する「区間快車」です。
お馴染みのローカル線向け軽快気動車に乗って、台中を出発しました。
架線下を快走すること約1時間で、分岐駅の二水へ。単線の細道に乗り入れ、ローカル線の旅が始まります。平渓線、内湾線と同様の、時速40km前後のゆっくリズムです。
特等席には鉄っちゃん風の男性一人。横に立って景色を眺めていたら親子連れがやって来たので、ベストポジションを譲りました。日本でも海外でも、子ども鉄っちゃんには大人になっても鉄道を愛してほしいと思う故です。
線路は重軌条、PC枕木の立派なものですが、保線状態はベストとは言えず、素人目にも線路には狂いが見えます。狂いの部分に差し掛かると、車体がぐっと横揺れしました。
線路と生活の場が近いのは集集線も同様で、線路の敷石なのか側道の砂利なのか、はっきりしない場所もところどころに。生活道路として線路を歩いていたおじいさんが、警笛を鳴らされていました。
なつかしいタブレットが現役。運転席にも冷気が流れ込むようにか、ワンマン運転でもないのに運転席のドアは開け放たれていました。
台中から2時間弱で、終点・車埕に到着しました。こちらも熱帯の木が出迎え、南国ムード満点です。天気は快晴、今日も暑くなりそう。
車埕駅は木造ながら、現代風のウッディな建物。
さっそく駅前探検に出かけてみました。車埕駅周辺の集落はごくごく狭い範囲にまとまっており、家々へは路地が結びます。
平日ながら観光客の姿が目立ち、さっそくお土産屋さんには人が群がっていました。ガヤガヤは嫌なので後で戻ってくることにして、先へ進みます。
鉄道書家の工作室、見学歓迎…という意味なのでしょう。入ってみます。
鉄道をモチーフにした木工製品や絵が飾られていました。画家さんにもぜひ会ってみたかったですが、ご不在のようで残念でした。
どん詰まりの先はダムになっていました。ダムの放水路下は木道の散策路になっており、青空に色付いた木々が映えます。
路地に戻り、さきほど賑わっていた車埕小飯店に入ってみました。駅弁でもある、名物・木桶弁当の本家のお店です。
店内には古い鉄道路線図が掲げられ、歴史を感じさせられます。
看板猫と、近所の方とウーロン茶を片手に談笑する店のおやじさんを見ながら、弁当の出来上がりを待ちます。
おやじさんは日本語ができて、穏やかながらも商売熱心。木桶は欲しいけど荷物になるからとお断りすると、小さな瓶の檜油を進めてくれました。少し付けただけで檜のいい香りが広がり、お土産に即決。これは家族に好評でした。
できあがった排骨飯の木桶弁当は、できたて、揚げたて。カリカリした肉が、おいしかったです。
木桶で食べたら、おいしさも ひとしおだったろうと思います。
木造駅舎、木工細工、木桶、檜油と、木に関する名物が続いたのは、車埕が林業の街ゆえ。木工資料館もあり、大断面の木造ドームは「木構之美」として解説されていました。
木材の切り出しのために活躍した鉄道車両も保存されており、阿蘇の小国を思い出す集落です。
カフェも数軒あるのですが、時間もなかったのでテイクアウト専門の店へ。
ポットか、よくてもコーヒーマシンから供されるのかと思っていたら、注文を受けてから豆を挽く本格派。フィルターを蒸らし、カップを温めるという手順の一つ一つまで丁寧で、もちろん美味でした。
1時間半の散策を終え、上り列車でバック。20分弱で下車した街・集集は、観光地でもあります。
木造駅舎は歴史ありげですが、1999年の大地震で全壊した後、原図を元に再建されたものだとか。ぱっと見、再建したものとは思えないほどの味わいがある駅舎です。
集集の街は、自転車で巡るのがお決まり。駅前には無数のレンタルサイクル屋さんがあり、外国人の対応にも慣れているようでした。
午後5時まで150NTを提示されましたが、1時間後の列車で発たなきゃいけないんだと伝えると、100NTになりました。それでも370円ですから、そこそこの値段です。
自転車とはいえ異国で乗り物を操るのですから、ちょっと緊張しつつ慎重にペダルをこぎ始めました。
寺院の武昌宮までは、自転車で10分弱。
ここにもいましたか、アヒルちゃん。全土で流行していることが分かります。
武昌宮の裏手にあるのが、大地震で倒壊した旧武昌宮。集集は「被災地」と呼ばれた街の一つで、その震災を後世に伝える遺構として保存されています。
現行の震度基準に照らせば、震度7に達するのではないかと言われる激しい揺れを、視覚に訴える遺構です。
破壊され、鉄筋が露わになった柱も間近で見ることができます。
立ち入りを制限する柵はないに等しく、自己責任での見学です。
熱帯植物が並ぶ街の外れまで来ました。帽子をかぶってこなかったのは迂闊で、熱い日差しが容赦なく照りつけます。
ヒマワリが並び、夏の終わり頃を感じるほどです。
案内看板に「十三目仔窯」と出ており、窯元かなにかかなと思いながらペダルを進めました。
レンガ造のそれは、レンガやタイルを焼くために作られた窯とのことで、今は売店などに活用されているようです。残念ながらこの日は、すべての店がお休みでした。
集集線の真横にあり、線路に面した「模擬駅」もあります。本物の列車が通過する瞬間を、見てみたいものです。
集集駅前に戻り、自転車を返却。
駅前からは、こんな豆汽車も走ってます。もちろん本物の蒸気機関車ではなく、エンジンはSUZUKI製です(笑)。
ミニ遊園地へは、集集線の線路を跨いでいきます。踏切はありません。
鉄道側が設けた「通行禁止」の看板の下には、「線路の上に留まらないで」「置き石しないで」「列車に近付かないで」の注意書き。渡っていいのかダメなのか、なんとも迷う光景ですが、要は自己責任でということでしょう。
帰路も特等席を確保。線路右手には並行して、グニャリと曲がったもう1本の線路が残されています。これも震災遺構の一つです。
さらに傾いた鉄塔もそのまま。
保存か撤去か、東日本沿岸の各地で震災遺構の今後が議論されており、もちろん台湾でも多くが取り壊されたのでしょうが、一定数は遺す道を選んだようです。
二水では接続する特急がないため、1駅、西部幹線を上ります。
特急電車とすれ違い、集集線の列車も水を得た魚の如く、負けじと全力疾走です。
田中着。親しみを感じる駅名ですが、日本起源の地名ではないとのこと。
田中駅の周辺には、味のある古い商店建築が多く残っています。日本流に言えば「看板建築」…通りの表面のみを洋館風に飾った建築物のようですが、台湾式に通りに面した1階部分はオープンになっています。
大地震は田中でもかなりの揺れだったはずで、あまり強い構造には見えませんが、多くが耐え抜いていました。
小腹が減ったので、路上の小龍包の店でおやつを買い出し。
1つ35NT、1袋100NTとあったのですが、どどんと9個渡されて35NT(130NT)でした。それでも列車の中でペロリと平らげてしまったのだから、美味しかったことには間違いありません。
田中からは14:55発の自強号で、高雄へと下ります。自強号は特急に相当する列車種別ですが、高鉄が開業した今は停車駅を増やして、地域間の足として活躍しています。
乗車率はざっと7割といったところで、平日昼下がりの「並行在来線」であることを考えればよく乗っています。
有名な阿里山登山鉄道が分岐する嘉義は、今回は後ろ髪をひかれながらもパス。記憶にないのは、うつらうつらしていたからです(笑)。
主要都市の台南も、今回は通過。駅名板は正面が旧字体の臺南、側面が新字体の台南となっており、どのように使い分けられているのか、興味深い所です。
高速鉄道の左営駅が見えてくれば、台鉄の新左営駅。ちなみに台鉄の左営駅は別にあり、さすがにこれは世を惑わしそうです。
台鉄は並行するMRTとともに高雄市内へのアクセスも担い、自強号にも乗り換え客が乗ってきました。
長旅を終え、高雄駅着。新しい駅舎の横には、旧駅舎が保存されていました。
旧駅舎では、台鉄の地下化事業の広報施設になっていました。「曳家」されて一時的に現在の位置に立っている旧駅舎ですが、地下化の完成後にはまた元の位置に戻す計画だとか。
建物がそこに建った歴史そのものまでも、大切にしている証です。
今日の泊りは、高雄駅から徒歩5分の宿泊施設「Single inn」。最小限の宿泊室は窓なしで、壁は天井まで通じておらず、日本でも見られるキャビンタイプのカプセルホテルに近い感覚です。代わりに大型テレビを始め、設備は最新式です。
楽天トラベル経由で日本からでも予約可能、宿泊料は900NT(3,300円)でした。今回泊まった宿泊施設では一番の高値でしたが、たまには熟睡しないと(笑)。
まだ時間は夕方6時、一休みもそこそこに、街歩きに出発です。
高雄にもMRTが通っており、十字に交わる2路線が運行中。改札機にはICカードの読み取り機がありますが、悠遊カードは使えません。市内のコンビニやバスでは使えるのに、何て分かりにくい!と思いますが、日本の地方都市でも見られる現象ではあります。
美麗島駅で、紅線から橘線に乗り換え。乗り換え通路は暗く、本来は広告が入っているべきであろう柱も、空白のままです。
橘線の電車は、3両という短い編成で、夕方のラッシュ時にも関わらずガラガラでした。
台湾第2の都市とはいえ、地方での地下鉄運営は厳しそうだなと、この時は思ったのでした。
終点・西子湾駅から周辺の見どころまでは距離がありますが、マイクロバスが接続していました。カードの読み取り機があったのでかざそうとしたところ、運賃はなんと無料とのこと。
丘の上の、旧英国領事館へ(入場100NT=370円)。レンガ造の建築物が、美しくライトアップされていました。
アーチの向こう側には、輝く高雄の街並み。
建物の手入れはよく行き届いており、大切にされているのは、日本が建てたものだけではありませんでした。
ゆっくりと時を過ごしたくなり、オープンカフェでラテをオーダー。100NTでしたが、入場券に付いている割引券で70NT(260円)になりました。ただ入場ゲートの中にあるカフェなんだから全員が割引対象になり、二重価格表示では…と、どこか釈然としないわけじゃありません。
ようやく涼しさを感じるようになった風に吹かれ、虫の声を聴きながらラテを傾けます。正月であることを忘れ、港町の夜景と対座しました。
市街地に戻り、高雄で一番高い高層ビル・高雄85ビルの展望台へ。はるか眼下には、光の道が続いていました。
日本の夜景に比べて、区画内の明かりが少ないように感じましたが、窓の小ささゆえでしょうか。道路の車の車列が、相対的に際立って見えました。
南側では、観覧車や色がグラデーションに変わるビルが目立ってます。
すでに乗り換えで2回通った美麗島駅に下車。コンコースは、ご覧のようなステンドグラス風のドーム天井になっていました。
なんとピアノの生演奏も行われており、豊かな市民空間を演出します。
駅の上にあるのは、高雄の観光名所の一つである六合観光夜市。
地方都市とはいえ、あちこちから日本語や韓国語が聞こえ、外国人観光客も大挙押し寄せていることが分かります。
港町らしく、海産物も豊富。屋外に生ものを並べて大丈夫かなと思いましたが、台はかなり冷やされているようで、水滴がしたたり落ちていました。
海鮮粥(70NT=260円)を食べます。観光地価格かもしれませんが、ダシもよく効いていて、おいしかったです。
六合は観光客向けなので、ぜひ地元向けにもと友人に推されていたのが、巨蛋駅から徒歩5分の瑞豊夜市。
二・四・五・六・日曜日…つまり火・木・金・土・日のみの開催ということを行ってから知り、今日は木曜日。あぶないところでした。
明日も学校や会社があるはずなのに、9時前の夜市は人でぎっしり。食べ物や衣類、雑貨まで何でもござれの品揃えです。
パチンコや射的、店主と対戦するカードゲームまであり、言葉さえ分かればエキサイトできそうです。
宿に帰ってゆっくり風呂に浸かり、ぱりっと糊の効いた布団でぐっすり眠りました。