Chang! Blog

福岡のハングル検定準2級建築士、そして一児の父の[ちゃん]のブログです

ハッピーバースデイ九州パスでグリーン車乗り比べ【1】さくら・にちりんシーガイア&大隅線跡と飫肥・臼杵

2014年01月24日 | ■旅と鉄道
 2013年度、JR九州では「ハッピーバースデイ九州パス」なる割引きっぷを売り出しています。JR九州の新幹線・特急列車が乗り放題、さらに6回までグリーン車を使えて2万円という、誕生月にふさわしい贅沢なきっぷです。
 そこで僕の誕生月である1月の18日と19日、九州内のグリーン車5車種を乗り比べる旅に出発! ついでにあちこちに寄り道して、九州を再発見する旅となりました。

 前後の仕事の予定がぎっちりで、残念ながら1日分は放棄。それでも充分、モトは取れたことと思います。


 トップランナーはさくら403号で、久留米から鹿児島中央に下ります。しょっぱなから、新幹線のグリーン車で贅沢です。
 九州新幹線のグリーン車は、開業日の2011年3月12日に乗り試して以来。あの日も同じ時間帯の列車でしたが、東日本大震災の発生直後だったこともあり、あまり印象に残っていませんでした。


 グリーン車のある6号車は普通車との合造車ですが、グリーン車側のデッキは重厚な色でまとめてあります。
 ドアを開けるとそこに広がるのは、日頃なかなか足を踏み入れられない、魅惑の空間です。


 普通車でも4列シートの「さくら」だけに、グリーン車は差別化を図るべくさらに豪華。調度に意が注がれ、リクライニングは電動です。
 ただ中間車なので、グリーン車とは関係のない人の通り抜けがあります。早朝の列車なので客室乗務員も乗っておらず、家族連れの子どもが騒がしくて、あまりグリーン車に乗っている気がしませんでした。


 熊本以南は各駅停車になるタイプの「さくら」でしたが、それでも新幹線は早く、わずか1時間20分で鹿児島の地を踏みました。
 鹿児島中央駅の大階段は既に過去のもので、駅ビル別館の工事が進捗中。数か月ぶりなのに、景色が変わってます。


 駅前から鹿児島交通のバスに乗り25分、鴨池港へ。先行して市バスも走っていましたが、会社の枠を超えてバス時刻を検索できる「九州のバス時刻表」では鹿交が追い抜くダイヤだったので、後続の鹿交に乗りました。
 実際は渋滞で遅れ、市バスの後に鴨池港着。港のまわりはニュータウンになっていて、意表を突かれます。高層の住宅団地からは、桜島がよく見えそうです。


 鴨池港からは、垂水フェリーで垂水へと渡ります。大隅半島の垂水へはもちろん陸路でも行けますが、錦江湾を渡るフェリーが近道です。
 35分のショートトリップで、運賃は対岸の垂水に着いたときに支払います。いわさきICカードも使えて、気軽な渡し船の感覚です。運賃は440円ですが、ICカードを使うと400円に割引になります。


 嬉しいのは、桜島フェリーと同様に うどんの食堂があること!
 ずるずるっと うどんをすすりながら海を渡るのは、錦江湾の風物詩です。


 桜島、今日は煙っている…というより、桜島自体の噴煙でうっすら見えなくなっているようでした。


 垂水港到着。港のターミナル前には広大な駐車場があり、車を乗せずとも鹿児島市側へ渡れるようになっています。
 大隅半島側へ桜島の噴煙が流れる季節、風に火山灰が舞っていました。


 垂水港から湾を挟んで対岸にある、ホテルアザレアで日帰り湯。ヌルっとした、なかなかいい湯でした。
 ただ垂水港から近いとはいえ、湾を挟むので歩くと10分少々かかります。バスまでの乗り継ぎ時間50分の間に入るには、ちょっとバタバタな感じでした。


 志布志行のバスに乗り込みます。三州自動車という地元バス会社ですが、いわさきグループの一員で、ICカードも使えます。いわゆる分離子会社というもののようです。


 都バスの中古車のようで、1列のシートは都会のラッシュに対応した仕様。ただ志布志まで1時間40分を乗るには、不向きのバスではあります。
 旧国鉄大隅線の代替路線であり、線路跡らしき道路も並行していましたが、どこが駅だったのかは判然としませんでした。大隅線の最後の開業区間、海型温泉~国分が存在したのはわずか15年間。「駅前」が形成される時間すらなかったのかもしれません。


 志布志着。志布志で行って見たかったのがここ、志布志市志布志町志布志の志布志市役所志布志支所!何回「し」って言っただろう…
 市町村合併で生まれた「珍名所」ですが、あえてアピールする看板に町おこしのセンスを感じました。


 駅周辺の散策コースを設定するだけではなく、あちこちに地図の看板が出ているのは、一見の観光客には嬉しい配慮。


 志布志に来たのは、高校2年生以来15年ぶり。あの時の志布志駅前には「何もない」というイメージしか残っていないですが、駅前にはまっすぐ伸びるシンボルロードが貫通。サンポートしぶしアピアなる、再開発ビルができていました。
 ただ空きスペースは多く、2階は場外舟券売り場になっていて、あまり明るい雰囲気ではありませんでした。


 3方向の線路が接続するターミナルだった志布志ですが、今は日南線のどんづまりの終着駅に。
 駅としては無人ですが、観光案内所が入っていて、案内員さんが常駐しているのはどこか安心感があります。


 キハ40系の単行が、静かに乗客を待っていました。
 昼下がりの列車の乗客数は10人程度。さきほどのバスと同程度です。


 太平洋を眺めながらの、のんびり鈍行列車の旅です。


 途中の油津駅で、普通列車同士の乗り換え。系統を分けるくらいだから、乗り換え列車は2両編成になるのかと思ったら、同じ単行でした。
 なぜ乗り換えを強いるのか理解に苦しみますが、トラブル時にダイヤの乱れを波及させないための工夫かな?黄色が印象的な日南線カラーの列車でしたが、車内は特に変わりません。


 飫肥で下車。駅前でレンタルサイクルを借りて、1時間の街並み散策に出かけました。平地なのでその要はなかったのですが、電動自転車しかないとのこと。その分、500円とちょっとお高めです。
 中心部には電線がなく、頭上にはすっきりした空が広がります。電線の地中化工事は、今も進行中でした。


 石積みの美しさに目を奪われつつ、自転車の機動力を生かしてくまなく散策。


 飫肥城址は、杉木立の中にありました。


 天守跡は、そのものが杉林に。


 飫肥からは、日南線の観光特急「海幸山幸」に乗ります。
 デビュー当時は週末のチケットが入手困難なほどの人気になった列車ですが、デビュー4年を経てだいぶ落ち着いてきたようです。それでも8割程度は乗っており、1号車は青島まで区間乗車の団体さんが占めていました。


 外装に木を使うという、大胆なデザインを行ったことでも話題になった列車です。
 4年間、外気にさらされた木材には ひびも見られますが、古くなったというよりは落ち着いたといった風合いになっています。


 写真は、乗車した1号車の「山幸」。車内も、床にはだいぶ傷が入っていました。ただ積層のフローリングではない、飫肥杉の床板なので、かんなをかければ新品の美しさを取り戻すのではないでしょうか。
 飫肥駅を発車する際には、観光案内所のおじちゃんと母子が手を振ってお見送り。福岡から来た女子旅4人組は、歓声を上げて感動していました。


 2号車の「海幸」にも、定員外のフリースペースが随所にあります。自由席は2号車の一部に、わずか9席しかないのですが、こうした場所で過ごすという方法もあります。


 3年前にも乗ったことがある列車ですが、車窓案内の内容や車内イベントには磨きがかかっていました。
 前回は案内になかったポイントが、九州最長の直線区間。アップダウンやトンネルがありつつもまっすぐと続く線路は、前後から見ていると確かに面白い車窓でした。


 奇勝、鬼の洗濯岩の前後では、客室乗務員による海幸山幸伝説の紙芝居上映もありました。
 元は、高千穂鉄道のトロッコ風気動車だった海幸山幸。窓は大きく、車窓を楽しめます。


 夕暮れの宮崎平野をラストスパート。線路沿いには小さな波の絵の看板が立っており、最初は高波注意の標識かと思っていたのですが、平野部に続いているのを見るに、津波浸水想定区域を示すもののようです。
 南海トラフ地震の際には大津波が想定されている宮崎平野の風景は、福島の新地、山元や仙台沿岸部に重なり、万一への備えは大きな課題です。沿線には高いビルがなく山も遠い場所もあり、もしグラリと来たらどう逃げようか、土地に慣れない観光客としては答えは出ないままでした。


 高架の宮崎駅に到着。ビビッドな色使いが特徴的だった内装は、近年の流行にならい白ベースに改装されていました。
 もう夕方5時半ですが、まだまだ列車の旅は続きます。椎茸弁当を買い込み、次なるグリーン車は…


 787系「にちりんシーガイア」です。博多~西鹿児島の「つばめ」で活躍したのも今は昔、新八代までの「リレーつばめ」も新幹線開業でお役御免になった後は、長崎行き「かもめ」、小倉行き「きらめき」、日豊本線「きりしま」「にちりん」系統に転用されています。
 もっとも博多~宮崎をロングランする「にちりんシーガイア」は1992年の787系デビューから半年後に導入され、2000年に撤退していたので、復活とも言えます。


 日豊本線系統では4両編成の旧「有明」タイプが多い787系ですが、一部の列車では多彩な設備がウリの6両編成「つばめ」タイプが使われています。
 にちりんシーガイア24号も、つばめタイプ。4人でワイワイ過ごせるグリーン個室や…


 普通車指定席の料金で、プライベート感が上がるボックスシート…


 卵型の天井が印象的な、元ビュッフェのスペースのゆったり指定席も健在です。
 博多~小倉の「きらめき」だと1時間もかからずもったいない感じなのですが、にちりんシーガイアでは豪華な仕様も生きてきます。新幹線開業時に車内販売も復活していて、往年の「つばめ」を追憶体験できる列車です。


 そしてバースデーパスのお得感がもっとも発揮されるのがこの座席、デラックスグリーン!電動のリクライニングはほぼフルフラットになり、足を伸ばしてくつろげます。グリーン料金よりさらに5割ほど高いのですが、パスでは追加料金はなしで利用できます。
 ただ昔は飲み物とクッキーのサービスまであったのに、グリーン車の飲み物サービス廃止に引きずられなくなったのは残念なところ。使い捨てスリッパのサービスは、健在でした。隣の席の方は博多までの長旅で、フルフラットにして睡眠モード。正しい使い方です。


 宮崎~大分間は高速道路が未整備で、鉄道がほぼ独占している区間なのですが、延岡から北の乗客は数えるほどに。
 一時は2時間に1本にまで減った本数も、近年では1時間間隔化、さらに車販復活とテコ入れが行われていますが、東九州道全通の際には厳しい局面を迎えそうです。臼杵で下車したのは、僕ともう一人だけでした。


 今夜は臼杵泊まり。大手サイト経由で3,500円の安旅館に宿を取りましたが、お願いもしていなかったのに迎えに来て頂き、旅館並みのおもてなしで迎えてくれて感激。昭和初期の建物も立派でした。
 さらに街まで送って頂き、5年ぶりにカフェ「エカメナ」へ。主宰氏には学生時代からお世話になっており、おっちゃんになったねと冷やかされながらも、懐かしい時間を過ごしたのでした。

小川島でイカ合宿【2】島をぐるり一回り

2014年01月24日 |  □福岡発おでかけ日記

 1月最初の3連休の最終日・1月13日は、小中学校の向こう側に浮かぶ太陽を拝んでスタートしました。


 小中学校のグラウンドの隅に置かれた真新しい機械は、このような用途のために置かれています…。


 朝ごはんの向こう側には、海。


 玄海灘は船の大通りで、貨物船に漁船、壱岐・対馬方面のフェリーなどが頻繁に行き交います。
 白波が立っており、船長さんたちは神経を使う海域でしょう。


 お腹いっぱいになったところで、朝の島めぐりに出発!
 小高い祠に上がると、集落を望むことができました。港に近いごく狭い範囲に、肩を寄せ合うように暮らす様子が伺えます。


 人の集まる港の周辺でも、空き家がチラホラ…
 人のいなくなった家は、不思議なほど急速に朽ちて行きます。


 でも18年前に癒された海の美しさは、変わりません。
 港は、海の底まで見通せるほどの透明度です。150万都市、福岡から2時間かからない場所とは信じられないほどです。


 海へ飛ばされた傘は、海底で持ち主に帰る日を待っている…わけないか!


 路地に入れば、いろんな発見があります。
 こちらは島で唯一の雑貨屋さん。酒屋もあるので、ひとまずの食糧・酒類は手に入ります。ただお値段は輸送のコストもかかのでしょう、ややお高めでした。


 瓦を積んだ塀。


 レンガ塀の意匠は、輝く朝陽。


 楽しい時間は早く過ぎるもので、あっという間に帰りの船の時間。
 両端が高くなった、独特の島影が遠ざかって行きます。また夏にでも来たいものです。


 呼子といえばイカ!最後に、いかしゅうまい定食をランチにしました。
 身近でも、遠くに行った気分。充実の週末でした。 

小川島でイカ合宿【1】追憶の小島へ

2014年01月24日 |  □福岡発おでかけ日記
 1月第2週の週末(1月12日~13日)は、島旅仲間総勢11人とともに、佐賀県唐津市呼子町の離島・小川島へと渡りました。
 小川島は、中学1年生の時の恩師の転任先で、翌年の夏には遊びに行った思い出の土地です。なにかと思い悩むことが多かった18年前の中2の夏、島の自然と人の優しさに癒されたことを思い出します。


 西鉄電車で天神に出て、バスセンターから昭和バスに乗って唐津に向かいます。JRの快速より若干時間はかかるものの、リクライニングシートに座って移動できるし、16枚回数券なら1人あたり625円とお得です。
 やたらと料金所の多い、唐津までの高速道路&有料道路。料金所の度に渋滞に巻き込まれていました。


 唐津でのお昼ご飯は、鰻の名店・竹屋さんにて。建物は、木造3階建ての登録有形文化財です。
 シンプルにデザインされた欄間や、料理を運ぶつるべ井戸式のエレベーターなど、近代の木造建築物ならではの意匠や工夫も楽しめます。


 どどん、鰻丼!僕はかば焼き定食にしました。
 ふっくらしているだけでなく、もっちりした食感がイキの良さを物語ります。おいしかった~


 お腹も膨れたところで、さらに路線バスを乗り継いで呼子へ。公共施設も併設した、真新しいバスターミナルから発着します。
 18年前にはバスに並行して、未完に終わった悲運の鉄路・呼子線の跡が見えたものですが、一度も使われなかった高架橋は撤去されてしまったようで、痕跡はまったく見られませんでした。


 呼子着。海岸では、呼子らしい風景が風に揺れていました。


 小川島への「そよかぜ」は、ターミナルもない船着き場から小さなタラップで乗り込みます。
 500円のきっぷは船内で精算。小さな島の生活航路です。


 呼子大橋を背に、25分の航海に踏み出します。渡し船のような小さな船ゆえに、外洋に出たら結構揺れました。
 ちなみに唐津の離島7航路はすべて本土と直接結ぶもので、至近距離の島へ渡るにも一旦本土へ出なければいけません。


 小川島が近づいてきました。防波堤には代々の卒業記念のペイントが並び、どこかほのぼのとしてしまいます。
 今夜の宿「めぐりあいらんどおがわ」は公共の宿なので、唐津市の公用車が迎えに来てくれていました。


 さっそく、歩いて島めぐりへ出発!小川小中学校は18年前にも来たけど、こんな校舎だったかな?新しい感じの校舎だし、建て替わったのかも。
 ちなみに恩師の先生のことは、もう10年以上も前なのに、施設の皆さんはご記憶でした。小さな島では、先生も島の仲間なのですね!


 コンクリートの丸い円…ヘリポートなんだそうです。離島にとって、緊急時の生命線ともいえる施設ですが、案外シンプルなものでした(笑)。


 脇道に入り、夕暮れ迫る海岸へ。透き通る海がきれいでした。


 ただ漂着ごみの多さは、ヒドイなあ…。


 島内の集落を歩いていると、空き家や空き地が点在しています。処分が難しいのか、雑草が生えるのを防ぐためか、瓦を敷き詰めた区画も見られました。
 18年前に比べても、だいぶ人口が減っているという小川島。のどかで平和な変わらないように見える島だけど、これももう一つの現実です。


 島は、車の通れる道がグルリ1周していますが、人の集まる中心部の集落はご覧の通り、狭い路地のネットワークが結びます。坂道も多いので、原付バイクが島の人の主たる足になっています。
 中学生の目にはこの島のスケール感が新鮮で、驚きでした。


 漁港のそばの神社へ。昔の旅客船はこちらに発着していたとかで、そういわれればまわりの風景に見覚えがあります。
 神社の石碑に掘られた言葉は、「防波堤」「電気」「水道」。いずれも島にとって、生命線というべきものです。


 にゃあ、にゃあ、にゃあ…にゃあにゃあにゃあ!


 宿に戻れば夕食ターイム!新鮮な玄海灘の海の幸が並びました。
 22時頃には管理の方も帰宅されて、我々12人だけに。新鮮な魚介類を前にした宴は、深夜まで続きました。