花蓮県南部の温泉地、瑞穂温泉で目覚めた旅の8日目は、1月4日。最終日の明日は、ほとんど日本へ帰るだけという日程なので、実質的に旅の最終日と言えます。
名残惜しいけど、朝から夜までめいっぱい楽しめる1日なので、気合いを入れて1日を始めました。
テラスで朝食を食べ、ロビーで昨日呼んでおいたタクシーを待っていると、昨夜僕の後にチェックインしにきた日本人男性二人組がやって来ました。同じ列車に乗るようで、タクシーも今お願いしたとのこと。あわてておやじさんに取り消してもらい、駅まで相乗りで行くことになりました。
お一人はだいぶ旅慣れているようで、昨日は緑島でバイクを借り散策したとのこと。台湾の離島もいいなあ!8日間も旅したのに、まだまだ行っていないところばかりで、再訪の日が待ち遠しいです。
ほとんど工事現場のような瑞穂駅のホームから、8:57発の台北方面の自強号に乗り込みます。件のお二人は直前に切符を買ったのですが、週末の都会行きの列車とあって満席。台北まで3時間半の「無座」に耐えるとのことです。
僕は、ようやく一昨日確保できた指定席へ。座っている人がいましたが、立席券でも空席には座っていていいルールなので、ムッとしてはいけません。切符を見せたら、何も言わずに席を立ってどいてくれました。韓国のムグンファ号と同じですね。
どことなくキハ20系に似た面構えのDR2008形は、1981年デビューの日本製車両。乗っている車両は、1990年モデルです。
日本では、国鉄の分割民営化の前後にあたる時期に増備されていた車両で、窓廻りのデザインには、同じ時期にデビューしたキハ185系気動車との共通項も見られます。エンジン音を聞きながら、田園風景を眺めていると、「ゆふ」で久大本線を走っている気分になりました。
排気口のカバーを兼ねた円弧の「くぐり戸」は、この車両でも健在です。
昨日乗った、台東~玉里の自強号のDR3100形より一世代前の車両ですが、ビリビリした振動が気になったDR3100形よりも、乗り心地は良好でした。
9:43着の花蓮で下車。6日前の12月30日にも台北から訪れているので、台湾一周はひとまず達成です。
6日前はツアーだったので街を観光する余裕がなく、改めて街歩きに出発しました。駅前には太極拳をやってるおじいさんがいて、台湾というか中国らしい光景にしばし見入ってしまいました。
花蓮駅周辺には「租車」という看板があちこちに出ていますが、粗末な車という意味ではなく、レンタカー、レンタバイクのことです。
異国のドライブ、ツーリングも楽しそうですが、太魯閣へのドライブはちょっと自信がありません。
花蓮駅も路線改良とともに郊外移転した駅で、旧市街までは2kmほどあります。歩けない距離ではないので、散策がてら歩いていたところ、自由広場なる公園に出会いました。
周囲は高い壁で覆われており、看板を読んでみると、「昭和12年(1937年)に設けられた台北刑務所花蓮港支所…」との説明がありました。そこにその建物があった歴史を大切にしながら、今に生かす…台湾のあちこちで見られた風景です。
解説看板の年号表記が、戦前は昭和(西暦を括弧書きで表記)、戦後は民国表記になっていたのも、感慨深いものでした。
街がにぎやかになり、歩いて30分ほどで、目指す旧花蓮駅跡の「花蓮鉄道文化園区」にたどり着きました。
園は2つのエリアに分かれており、まず訪れたのは工務部があった場所。市が立っており、買い物客で賑わっていました。鉄道の名残りが、今も活用されているのは、鉄道ファンとして嬉しいことです。
隣り合うのが、メインエリア。
こちらも指令などがあった場所で、駅そのものだったわけではありませんが、駅っぽい雰囲気が作られています。
1980年に台北~花蓮間が開通するまでは、西海岸の路線とは独立したナロー(狭軌)の路線だった東海岸の路線。長い路線ゆえ、高速のディーゼル特急や寝台車まで走っていたと言います。
その時代の車両を見られるのではないかと楽しみにしていましたが、実物の車両の展示がなかったのは残念でした。なにやら車両が置かれていた「跡」っぽいものがあったので、なおさら残念です。
鉄道の博物館としてだけではなく、地域の集会施設としても活用されているようで、ホール的なスペースがありました。
緩やかな曲線を描く木造のプロセミアム・アーチは、日本の近代建築に通じるところがあります。
港にも近く交通の要衝として発展してきたエリアのようで、レトロな「ビルヂング」が点在していました。
ランチはマックへ。台湾に来てまでわざわざと思うことなかれ、世界的ファーストフードの価格帯や味の違いを見てみたかったのです。韓国のようなご当地系メニューはなく、日本とほぼ同じメニュー展開でした。
ただ値段はだいぶ安く、例えば日本で600円程度のダブルチーズバーガーセットは109NT(400円)で、ランチタイムは79NT(290円)。ドリンクは台湾らしく大盛りで、ポテトにケチャップが付くのは韓国や沖縄と同様でした。
駅→街へのバスは分かりにくいけど、街→駅のバスはなんとか乗れるのは、日本も台湾も同じ。なので花蓮駅までは路線バスで戻ろうと思っていたのに、ほとんどバスを見かけず、タクシーを捕まえました。観光地だけに、外国人の相手は慣れている感じでした。
花蓮から台北は、振り子式電車特急で移動。正確な列車種別は自強ですが、愛称として「太魯閣」の名前が付いています。日本製で、JR九州の「かもめ」「ソニック」で活躍する885系の親戚にあたる列車です。
座席は885系のものとまったく違いますが、小ぶりの四角い窓は885系ゆずり。885系と同様、ちょっと小さいんじゃない?と思わせる大きさですが、台湾の気候にはマッチしてるかも。
お昼時とあって、車内では発車前から駅弁の包みを開く人が大勢いました。台湾の駅弁、種類こそ少ないものの、駅弁文化の定着度は日本をもしのぐ印象です。
天井まわりや妻壁も、885系とはまったく違っています。
ただ鏡面仕上げのステンレスの欄間は、日本の電車で多く見られる意匠。日本のどこかで見たことがあるような電車ながら、結局のところ見たことがない、不思議な感覚にとらわれる電車です。
するどい加速で花蓮を離れた電車は、ぐんぐん速度を上げ、トップスピードに達します。
右手に太平洋の広がるカーブの続く線路は、やはり日豊本線のよう。885系の親戚に乗っているのだから、なおさらです。
車両同士の傾きが大きくくい違い、振り子が作動していることが分かります。
トイレにはベビーベッドが備わり、メタリックな内装はJR九州でも見られる意匠。ただデザインされた最新鋭のトイレに、和式が残されているのは日本との違いです。
花蓮から台北まで2時間15分、快適・快速な太魯閣の旅でした。台湾一周鉄道の旅も、これで一応のピリオドです。
最終日の宿は、5日目までを過ごしていたEasy Stay 台北に再度お世話になりました。秋葉原ビルの本館はいっぱいとのことで、少し離れた別館へ。
通りから3階までずらりと続いた階段が難儀でもあり、恐怖でもあるのですが、街へすぐ出られる機動力の良さはメリットです。
明日は早朝出発となるので、空港へのバス乗り場を確認しておきます。台北西站は、台鉄の台北駅に隣り合うバスターミナルです。
基隆行きのバスも発着するので、入口では例の黄色小鴨が出迎えてくれました。黄色のラッピングバスも走っており、台鉄もラッピング電車で対抗。観光輸送にしのぎを削っていますが、肝心のアヒルちゃんが爆発したのでは…(笑)。
基隆行きのバス乗り場についつい目を奪われますが、空港行きも確認。明日は、きっちり早起きするだけです。
時間はまだ4時過ぎなので、MRTに乗って台北の北の河口、淡水に向かってみました。
土曜日の夕方とあって、ちょっとお出かけな風情の人々で電車は混んでいました。
「老街」も、ぶらぶら街歩きをする人でいっぱい。MRTで気軽に行ける観光地として、人気があるみたいです。
道ではペインティングで銅像になりきるパフォーマーがいたり、プロ顔負けの生演奏をするシンガーがいたりと、芸術の香りも感じられました。
淡水河を渡る、渡し船に乗ってみました。おじさん係員が案内する素朴な渡し船ですが、船は新しく、悠遊カードも使えます。
少し煙っていて、美しいと言われる夕焼けは望めそうもありませんが、川の上から望む霞んだ都会の景色も、またいいものです。
対岸の八里に到着。淡水側には立派な浮き桟橋がありましたが、八里側はなかなか「ざっとした」乗り降りのし方です。
ICカードをタッチしている姿が、なんともミスマッチ。
こちらも「老街」が大盛況。僕もフルーツジュースを飲みながら、ちょっと散策しました。
台北っ子の、手ごろなデートスポットでもあるようですね。
夕方になり、人出は一層増してきました。人波に逆らうように、MRTに乗り込みます。
市内に戻り信義線に乗り換え、さらに大安で文庫線に乗り換え(写真は12月31日に撮影)。他の路線と違って、日本流に言えば「新交通システム」に分類される、無人運転のゴムタイヤ電車です。
高架なので、流れる夜景を楽しめるのは旅行者にとって嬉しいところ。ただ地下路線との乗り換えは、いきおい通路が長くなります。
松山空港着。国内線の空港で、東京で言えば羽田に相当します。
かつての羽田と同様、近距離の国際線も発着し、羽田からの便もあるのは東京の人がうらやましい限り。MRTを2本乗り継ぎ、30分少々で市内へアクセスできる利便性は魅力です。
さて飛行機に乗るわけでもないのにわざわざ松山に来たのは、今朝瑞穂で会った兄さんに聞いた、おすすめのパイナップルケーキの店を訪ねるため。空港から歩いて約15分の、「微熱山丘」という店です。
漢字にするとなんのこっちゃですが、英訳するとSunny Hillsになります。なかなかおしゃれな店構え。
ただ今10個セットのみの販売です、3箱ですね、では…と、流れ作業的に買わされそうになりましたが、ちょっと待った!この店のいいところは、まず席で試食してから買えることでしょ??
買った後に試食もないんだけど、お願いしたら1個食べさせてくれました。パインの香りが広がり、美味。お土産に渡した友人、家族からも大好評でした。まあその分、いい値段なんですが…12月には青山に出店し、日本進出も果たしたばかりとのこと。
周辺は、清楚な雰囲気の街並み。微熱山丘にも高級車で乗り付ける人が多かったし、セレブな界隈?のようです。
通りに面した牛麺屋もきれいな店構え。食べてみたら日本人にも馴染みやすい味で、うまかったです。
また空港まで戻るもの面倒。通りには台北駅と表示された路線バスが走っていたので、思い切って乗ってみました。
車両は清潔感のある、最新鋭のノンステップバス。MRTと同様、車内飲食は厳禁です。
南京東路に出るとバス停が道路上にある、道路中央のバス専用レーンになりました。名古屋では基幹バスとしてお馴染みで、ソウルでは近年、大々的に取り入れられている方式です。
ただソウルのようにバス停に追い越しレーンはなく、ラッシュ時には数珠つなぎになりそう。また高速輸送に必須の立体交差はなく、名古屋やソウルと同様、「BRT」と呼ぶには至らないシステムではありました。
ドミに戻ると、同室の兄さんからご飯に誘われました。こちらも牛肉麺1杯では足りず、せっかくの最後の夜なので、もうちょっとブラブラしたいと思っていたところ。
西門町方面まで歩き、街外れながらもどっと人で溢れていた麺屋に飛び込みました。これもなかなかいけました。
土曜の夜とあって賑わう西門町を、もっちもちのタピオカティーを吸入しながらぶらぶら。麺を二杯食べたお腹にたまってきます。名残惜しい夜で、宿に帰ってからも兄さんの東南アジア各国の話を聞きながら、台湾からさらに遠き地に思いを馳せました。
32歳、何事にもチャレンジし辛い歳。でも言葉のできない台湾でもなんとかなったし、デタラメ英語をぶつける度胸もだいぶ付きました。まだまだ世界は広い、いろいろ飛び出してみたい!と思えた、2014年の幕開けです。
眠りたくない夜でしたが、さすがに明日は4時台起きとあっては床に就いた方がよさそう。12時過ぎ、ベッドの明かりを落としました。
名残惜しいけど、朝から夜までめいっぱい楽しめる1日なので、気合いを入れて1日を始めました。
テラスで朝食を食べ、ロビーで昨日呼んでおいたタクシーを待っていると、昨夜僕の後にチェックインしにきた日本人男性二人組がやって来ました。同じ列車に乗るようで、タクシーも今お願いしたとのこと。あわてておやじさんに取り消してもらい、駅まで相乗りで行くことになりました。
お一人はだいぶ旅慣れているようで、昨日は緑島でバイクを借り散策したとのこと。台湾の離島もいいなあ!8日間も旅したのに、まだまだ行っていないところばかりで、再訪の日が待ち遠しいです。
ほとんど工事現場のような瑞穂駅のホームから、8:57発の台北方面の自強号に乗り込みます。件のお二人は直前に切符を買ったのですが、週末の都会行きの列車とあって満席。台北まで3時間半の「無座」に耐えるとのことです。
僕は、ようやく一昨日確保できた指定席へ。座っている人がいましたが、立席券でも空席には座っていていいルールなので、ムッとしてはいけません。切符を見せたら、何も言わずに席を立ってどいてくれました。韓国のムグンファ号と同じですね。
どことなくキハ20系に似た面構えのDR2008形は、1981年デビューの日本製車両。乗っている車両は、1990年モデルです。
日本では、国鉄の分割民営化の前後にあたる時期に増備されていた車両で、窓廻りのデザインには、同じ時期にデビューしたキハ185系気動車との共通項も見られます。エンジン音を聞きながら、田園風景を眺めていると、「ゆふ」で久大本線を走っている気分になりました。
排気口のカバーを兼ねた円弧の「くぐり戸」は、この車両でも健在です。
昨日乗った、台東~玉里の自強号のDR3100形より一世代前の車両ですが、ビリビリした振動が気になったDR3100形よりも、乗り心地は良好でした。
9:43着の花蓮で下車。6日前の12月30日にも台北から訪れているので、台湾一周はひとまず達成です。
6日前はツアーだったので街を観光する余裕がなく、改めて街歩きに出発しました。駅前には太極拳をやってるおじいさんがいて、台湾というか中国らしい光景にしばし見入ってしまいました。
花蓮駅周辺には「租車」という看板があちこちに出ていますが、粗末な車という意味ではなく、レンタカー、レンタバイクのことです。
異国のドライブ、ツーリングも楽しそうですが、太魯閣へのドライブはちょっと自信がありません。
花蓮駅も路線改良とともに郊外移転した駅で、旧市街までは2kmほどあります。歩けない距離ではないので、散策がてら歩いていたところ、自由広場なる公園に出会いました。
周囲は高い壁で覆われており、看板を読んでみると、「昭和12年(1937年)に設けられた台北刑務所花蓮港支所…」との説明がありました。そこにその建物があった歴史を大切にしながら、今に生かす…台湾のあちこちで見られた風景です。
解説看板の年号表記が、戦前は昭和(西暦を括弧書きで表記)、戦後は民国表記になっていたのも、感慨深いものでした。
街がにぎやかになり、歩いて30分ほどで、目指す旧花蓮駅跡の「花蓮鉄道文化園区」にたどり着きました。
園は2つのエリアに分かれており、まず訪れたのは工務部があった場所。市が立っており、買い物客で賑わっていました。鉄道の名残りが、今も活用されているのは、鉄道ファンとして嬉しいことです。
隣り合うのが、メインエリア。
こちらも指令などがあった場所で、駅そのものだったわけではありませんが、駅っぽい雰囲気が作られています。
1980年に台北~花蓮間が開通するまでは、西海岸の路線とは独立したナロー(狭軌)の路線だった東海岸の路線。長い路線ゆえ、高速のディーゼル特急や寝台車まで走っていたと言います。
その時代の車両を見られるのではないかと楽しみにしていましたが、実物の車両の展示がなかったのは残念でした。なにやら車両が置かれていた「跡」っぽいものがあったので、なおさら残念です。
鉄道の博物館としてだけではなく、地域の集会施設としても活用されているようで、ホール的なスペースがありました。
緩やかな曲線を描く木造のプロセミアム・アーチは、日本の近代建築に通じるところがあります。
港にも近く交通の要衝として発展してきたエリアのようで、レトロな「ビルヂング」が点在していました。
ランチはマックへ。台湾に来てまでわざわざと思うことなかれ、世界的ファーストフードの価格帯や味の違いを見てみたかったのです。韓国のようなご当地系メニューはなく、日本とほぼ同じメニュー展開でした。
ただ値段はだいぶ安く、例えば日本で600円程度のダブルチーズバーガーセットは109NT(400円)で、ランチタイムは79NT(290円)。ドリンクは台湾らしく大盛りで、ポテトにケチャップが付くのは韓国や沖縄と同様でした。
駅→街へのバスは分かりにくいけど、街→駅のバスはなんとか乗れるのは、日本も台湾も同じ。なので花蓮駅までは路線バスで戻ろうと思っていたのに、ほとんどバスを見かけず、タクシーを捕まえました。観光地だけに、外国人の相手は慣れている感じでした。
花蓮から台北は、振り子式電車特急で移動。正確な列車種別は自強ですが、愛称として「太魯閣」の名前が付いています。日本製で、JR九州の「かもめ」「ソニック」で活躍する885系の親戚にあたる列車です。
座席は885系のものとまったく違いますが、小ぶりの四角い窓は885系ゆずり。885系と同様、ちょっと小さいんじゃない?と思わせる大きさですが、台湾の気候にはマッチしてるかも。
お昼時とあって、車内では発車前から駅弁の包みを開く人が大勢いました。台湾の駅弁、種類こそ少ないものの、駅弁文化の定着度は日本をもしのぐ印象です。
天井まわりや妻壁も、885系とはまったく違っています。
ただ鏡面仕上げのステンレスの欄間は、日本の電車で多く見られる意匠。日本のどこかで見たことがあるような電車ながら、結局のところ見たことがない、不思議な感覚にとらわれる電車です。
するどい加速で花蓮を離れた電車は、ぐんぐん速度を上げ、トップスピードに達します。
右手に太平洋の広がるカーブの続く線路は、やはり日豊本線のよう。885系の親戚に乗っているのだから、なおさらです。
車両同士の傾きが大きくくい違い、振り子が作動していることが分かります。
トイレにはベビーベッドが備わり、メタリックな内装はJR九州でも見られる意匠。ただデザインされた最新鋭のトイレに、和式が残されているのは日本との違いです。
花蓮から台北まで2時間15分、快適・快速な太魯閣の旅でした。台湾一周鉄道の旅も、これで一応のピリオドです。
最終日の宿は、5日目までを過ごしていたEasy Stay 台北に再度お世話になりました。秋葉原ビルの本館はいっぱいとのことで、少し離れた別館へ。
通りから3階までずらりと続いた階段が難儀でもあり、恐怖でもあるのですが、街へすぐ出られる機動力の良さはメリットです。
明日は早朝出発となるので、空港へのバス乗り場を確認しておきます。台北西站は、台鉄の台北駅に隣り合うバスターミナルです。
基隆行きのバスも発着するので、入口では例の黄色小鴨が出迎えてくれました。黄色のラッピングバスも走っており、台鉄もラッピング電車で対抗。観光輸送にしのぎを削っていますが、肝心のアヒルちゃんが爆発したのでは…(笑)。
基隆行きのバス乗り場についつい目を奪われますが、空港行きも確認。明日は、きっちり早起きするだけです。
時間はまだ4時過ぎなので、MRTに乗って台北の北の河口、淡水に向かってみました。
土曜日の夕方とあって、ちょっとお出かけな風情の人々で電車は混んでいました。
「老街」も、ぶらぶら街歩きをする人でいっぱい。MRTで気軽に行ける観光地として、人気があるみたいです。
道ではペインティングで銅像になりきるパフォーマーがいたり、プロ顔負けの生演奏をするシンガーがいたりと、芸術の香りも感じられました。
淡水河を渡る、渡し船に乗ってみました。おじさん係員が案内する素朴な渡し船ですが、船は新しく、悠遊カードも使えます。
少し煙っていて、美しいと言われる夕焼けは望めそうもありませんが、川の上から望む霞んだ都会の景色も、またいいものです。
対岸の八里に到着。淡水側には立派な浮き桟橋がありましたが、八里側はなかなか「ざっとした」乗り降りのし方です。
ICカードをタッチしている姿が、なんともミスマッチ。
こちらも「老街」が大盛況。僕もフルーツジュースを飲みながら、ちょっと散策しました。
台北っ子の、手ごろなデートスポットでもあるようですね。
夕方になり、人出は一層増してきました。人波に逆らうように、MRTに乗り込みます。
市内に戻り信義線に乗り換え、さらに大安で文庫線に乗り換え(写真は12月31日に撮影)。他の路線と違って、日本流に言えば「新交通システム」に分類される、無人運転のゴムタイヤ電車です。
高架なので、流れる夜景を楽しめるのは旅行者にとって嬉しいところ。ただ地下路線との乗り換えは、いきおい通路が長くなります。
松山空港着。国内線の空港で、東京で言えば羽田に相当します。
かつての羽田と同様、近距離の国際線も発着し、羽田からの便もあるのは東京の人がうらやましい限り。MRTを2本乗り継ぎ、30分少々で市内へアクセスできる利便性は魅力です。
さて飛行機に乗るわけでもないのにわざわざ松山に来たのは、今朝瑞穂で会った兄さんに聞いた、おすすめのパイナップルケーキの店を訪ねるため。空港から歩いて約15分の、「微熱山丘」という店です。
漢字にするとなんのこっちゃですが、英訳するとSunny Hillsになります。なかなかおしゃれな店構え。
ただ今10個セットのみの販売です、3箱ですね、では…と、流れ作業的に買わされそうになりましたが、ちょっと待った!この店のいいところは、まず席で試食してから買えることでしょ??
買った後に試食もないんだけど、お願いしたら1個食べさせてくれました。パインの香りが広がり、美味。お土産に渡した友人、家族からも大好評でした。まあその分、いい値段なんですが…12月には青山に出店し、日本進出も果たしたばかりとのこと。
周辺は、清楚な雰囲気の街並み。微熱山丘にも高級車で乗り付ける人が多かったし、セレブな界隈?のようです。
通りに面した牛麺屋もきれいな店構え。食べてみたら日本人にも馴染みやすい味で、うまかったです。
また空港まで戻るもの面倒。通りには台北駅と表示された路線バスが走っていたので、思い切って乗ってみました。
車両は清潔感のある、最新鋭のノンステップバス。MRTと同様、車内飲食は厳禁です。
南京東路に出るとバス停が道路上にある、道路中央のバス専用レーンになりました。名古屋では基幹バスとしてお馴染みで、ソウルでは近年、大々的に取り入れられている方式です。
ただソウルのようにバス停に追い越しレーンはなく、ラッシュ時には数珠つなぎになりそう。また高速輸送に必須の立体交差はなく、名古屋やソウルと同様、「BRT」と呼ぶには至らないシステムではありました。
ドミに戻ると、同室の兄さんからご飯に誘われました。こちらも牛肉麺1杯では足りず、せっかくの最後の夜なので、もうちょっとブラブラしたいと思っていたところ。
西門町方面まで歩き、街外れながらもどっと人で溢れていた麺屋に飛び込みました。これもなかなかいけました。
土曜の夜とあって賑わう西門町を、もっちもちのタピオカティーを吸入しながらぶらぶら。麺を二杯食べたお腹にたまってきます。名残惜しい夜で、宿に帰ってからも兄さんの東南アジア各国の話を聞きながら、台湾からさらに遠き地に思いを馳せました。
32歳、何事にもチャレンジし辛い歳。でも言葉のできない台湾でもなんとかなったし、デタラメ英語をぶつける度胸もだいぶ付きました。まだまだ世界は広い、いろいろ飛び出してみたい!と思えた、2014年の幕開けです。
眠りたくない夜でしたが、さすがに明日は4時台起きとあっては床に就いた方がよさそう。12時過ぎ、ベッドの明かりを落としました。