2011年の原発事故以降、立ち入り制限が続く福島県の浜通り地方。段階的な制限の緩和に伴い、国道6号線の一般通行許可や常磐道の全通など、道路交通網は徐々に復しています。
一方のJRは、常磐線の全線復旧の見込みは立たないものの、原ノ町~竜田間の代行バスの運行を1月31日から開始。震災後約4年にして、常磐線経由の乗車券も発売が再開されました。
原ノ町~竜田間の代行バスは1日2本。上りの場合、朝6時50分の始発の後は、16時50分発の最終までバスはありません。運転士の他、女性の乗務員さんが一人乗っています。
このバスこそ、浜通りを縦断する唯一の公共交通機関。乗客は10人に満たないものでしたが、その数が多いのか少ないのか、なんとも判断はできません。
バスはトイレが装備されていますが、基本的には「非常用」という考え方。用は、駅のトイレで済ませておくように呼び掛けられていました。
万一バスが故障した際も、高線量の地域で降ろすわけにはいかない配慮と思われます。
原ノ町駅周辺でも、風評被害から耕作を止めた土地が多く、心が痛みます。
しかしさらに南下し、避難指示解除準備区域に入ると、コンビニやGSすら営業再開に至らない店舗が増えてきてきました。立ち入りこそ自由ではあるものの、まだ宿泊ができないとなると、経済活動は困難なんだと思います。
双葉町に入り、帰還困難区域へ。通行こそ自由ですが、二輪車での通行は禁じられていることからも分かる通り、まだまだ線量は高濃度な地域です。
分岐する道にはバリケードが張られ、通行を制限されています。単に国道を通過するのが自由になっただけで、面としては今も「帰宅困難」であることを示していました。
そして、バリケードの向こう側にある家々は、途方もない数。万単位の人々が故郷を追われていることを、今を生きる者として決して忘れてはいけません。
国道沿いに並ぶ家々にも、もれなくバリケードが張られています。
すれ違う車の中には、作業着に身を包んだ作業員さんを乗せたバスも多く見られました。危険と隣り合わせの中、国難と闘い続ける方々に敬意を表します。
家々だけでなく、事業所や店舗も3.11から時が止まったまま。よく名前を知っている全国チェーンの店も、地震で全壊状態したまま取り残されています。
バリケードの中に車が何台も残っている事業所も多く、財産の避難もかなわぬままだった、逼迫した状況を物語っていました。
代行バスの終点、竜田駅に到着。定刻では8時15分着なのですが、30分早い7時45分に到着しました。時間にはだいぶ余裕を取ってあり、接続の電車までの待ち時間も50分近くになります。
平日にはもっと渋滞するのかもしれませんが、ちょっと余裕があり過ぎかな?と感じなくもありません。
すでに いわき方面からの電車が通じている駅周辺も、今は避難解除準備区域。国道沿いではコンビニも営業を再開していましたが、集落のスーパーは事務所に転じたままです。
全国津々浦々にネットワークを広げる郵便局ですら、閉鎖状態。板が打ち付けられた姿は、痛々しいです。
駅前の商店もシャッターを降ろしたまま。人の気配はありません。
ただ いわきから着いた電車からは10人以上が降りてきて、駅前に待っていた「住民一時立入 大熊3号」と書かれたバスに乗り込んでいきました。車のない避難者にとっては、心強い電車だと思います。
竜田駅から、原ノ町方向を望みます。この先、富岡までは3年後に復旧させる方針が示されています。
8両編成の長い電車に乗って、いわき方面へ。広野駅からは数十人単位の乗客が乗り込み、駅裏では宅地開発が進んでいました。
2011年冬に訪れた時には、広野が復旧区間の終着駅。その時の駅周辺は、ちょうど今の竜田駅のような様子だったので、どこかほっとする気がしました。竜田駅も数年後には、広野駅のような姿になっているのでしょう。
いわき駅でどっと乗客を降ろし、各駅停車は南へ、南へ。そのまま2時間近く揺られ、日立駅で下車しました。
ガラスを多用した駅舎は、建築家・妹島和世氏の手によるもの。自由通路を歩いていると、空に浮かんでいるような感覚になれます。
駅舎内の海側にあるのが、海を望むカフェ「SEA BiRDS CAFE」。窓ガラスの外側には太平洋の大海原が広がる、気持ちのいいカフェです。
10時半前という時間にも関わらず、テーブル席にはほとんど「予約席」の札が立てられていました。どの時間帯でも予約は受けてくれるそうなので、旅行で訪れる時も電話しておいた方がよさそう。
僕も電話で席を抑えていましたが、一人だとテーブル席では落ち着かない感じ。後から入ってきた二人連れに譲って、海と対峙するカウンター席におさまりました。
ロコモコにコーヒーを合わせて、海を見ながらのブランチタイム。雲一つない快晴で、ガラス鉢のようなカフェはちょっと暑いけど、この景色には変えられません。
ちなみに、駅のコンコースからカフェを見た図。浮かんでいるよう、というか、ほとんど浮かんでいる状態です。
ガラス清掃の手間は大きそう。これだけの手間を、この先何十年もかけていくという覚悟がなければ、できない駅舎でしょう。
さらに常磐線電車で上り、大甕駅で下車。おさかなセンターまで10分の道のりを、バス高速輸送システム…BRTが結んでいます。古くは国鉄白棚線、最近ではJR気仙沼線や大船渡線の仮復旧で用いられた、鉄道跡の専用道を行くバスです。
乗り場は、かなり目立つように大書きされていて迷いません。
ピンク色のバスはデザインされていて、よく目立ちます。
整理券はICカード方式で、何度も繰り返し利用するタイプです。始めて見ました。
図柄は、乗客に押されるボンネットバス。戦時中の木炭バスは、よくエンストして乗客に押してもらっていたと聞きますが、その様子かな。
住宅街を走っていたバスは右に折れ、上がった遮断機をくぐり専用道に入ります。
先輩格のBRTと違い、専用道の右側に歩道が並んでいるのが特徴。自転車の通行も禁止されており、安心して歩ける散歩道です。廃止前の日立電鉄は全線単線だったはずで、よく幅員を確保できたものと思います。
一般道路とは立体交差の箇所もある一方、信号待ちを強いられる交差点もあって、一般のバスより早いのか遅いのか、なんとも言えないところ。その効果を検証する間もなく、1kmの南部図書館前で専用道は終わってしまいます。
1kmでは専用道としては短いものの、延伸の予定もあるとか。今後の「本領発揮」に期待しましょう。
南部図書館は久慈浜駅跡に建てられており、記念碑も残されています。BRTの南部図書館前「駅」も、広々としていました。
併設の歩道を歩き、日立商業下へ。バス停標識には「BRT」のロゴがポップに描かれ、膜構造の上屋もこじゃれています。新時代の交通機関として育てて行こう、という気概はよく感じられる施設です。
上屋があるのは、駅行きのみ。路線の主眼が、駅へのアクセスに置かれているのが分かります。
上りの、青いバスが近づいてきました。交差点には信号機が装備されているものの、バスが近づくと信号が変わる感応式信号です。
スピードアップのためには、接近とともに遮断機が下りる鉄道方式が望ましいと思うのですが、国内のBRTでそこまで踏み込んだ例は、まだ見られません。
大甕駅に戻り、勝田駅に出て、特急「ときわ」に乗りました。上野東京ラインの開通とともに、これまでの「ひたち」系統をリフレッシュ。速達タイプの「ひたち」と、主要駅停車タイプの「ときわ」に分離して生まれた、新しい列車です。
「ひたち」「ときわ」は、2012年デビューのE657系電車が活躍。「スーパーひたち」「フレッシュひたち」もいい車両だったのに、取り換える必要があったのかな…と思っていましたが、E657系はぐっと豪華な雰囲気になりました。
デッキまわりは深い木目調の壁と、縦ラインに発光する照明が印象的。洗面台周りの間接照明も、百貨店かホテルのような雰囲気です。
座席も、枕の位置が調節できる快適仕様。
「ときわ」では、残念ながら車内販売はなし。それでも全国的に取りやめが相次ぐ中、「ひたち」で続けられているのは立派です。
全体的な雰囲気と相まって、「ロマンスカー」に乗っているような贅沢感を味わえる列車だと感じられました。
もう一つの特徴は、全車指定席の導入。座席の上には空席情報を示すランプがあり、指定券を持っていない場合は空席を利用するシステムです。このあたりも、JRというより私鉄特急に近い思想を感じます。
ちなみにネットのチケットレスサービスを使うと300円引きになりますが、PHSのメアドでは非対応だったので恩恵を受けられませんでした。特に短距離だと割引率も大きいだけに、残念。
橋上駅に建て替えが進む石岡駅で、関鉄グリーンバス、通称「かしてつバス」の茨城空港行きに乗り換え。行先表示に「駅」が続くこの路線も、鉄道跡の専用道を走るバス路線です。
石岡南台駅にはホームや跨線橋が残り、鉄道路線の雰囲気を色濃く残すバス道です。ただスピードは上がらず、交換で時間を要したり、交差点も車が優先になっていたりと、鉄道時代に比べて時間がかかるのは難点。
このあたりの状況、3年前に乗った時とあまり変わっていません。
四箇村駅で専用道は終わり、一般道に入ったらスピードが上がるのも同じ。専用道延伸の計画もあったようですが、工事が行われている様子はありませんでした。
鉄道時代の面影を残していた小川駅は、バスの乗り継ぎ拠点として再整備。今後も地域の核となっていくのでしょう。
狭い商店街を抜け、広々した道路に出れば茨城空港です。
ちなみに水戸方面からならば、直行バスが安くて早くてラクなのは百も承知。「ときわ」と「かしてつバス」を乗り継いだのは、単に乗りたかったからに他なりません。
茨城空港のターミナルビルは、老若男女で大賑わい。といってもほとんどは飛行機の搭乗客ではなく、イベント見物に訪れた人でした。
茨城空港の国内線は、千歳、神戸、福岡にそれぞれ1日2便。いずれも経営の行く末が心配されるスカイマークの運航で、福岡行きも最近では1便がよく運休になっています。茨城空港にとって、正念場のタイミングです。
最小限の設備で、コンパクトな作りのターミナル。混み合うこともあるので早めの保安検査を、中にも売店あります…との言葉を信じ入ってみれば、売店が休業中!一気に手持無沙汰になりました。
小さな売店が開いたのは、搭乗時間直前でした。
スカイマーク835便、15時25分の福岡行きに搭乗します。
ボーディングブリッジはなく、滑走路を歩いて機体まで。「ご搭乗心から歓迎いたします」の旗に見送られ、タラップを登りました。
白い革張りシートがまぶしい機内。最終的な搭乗率は4割程度に留まり、日曜夕方の便としては、いささか寂しい気もしました。
1ヶ月前に購入した航空券は9,500円と、LCCに比べても遜色ない値段。東京駅からのバスを早めに抑えれば500円で済み、使いこなし方によってはリーズナブルに使える空港ではあるのですが…。
空港を飛び立った飛行機の眼下に広がるのは、霞ケ浦や太平洋。平野にびっしりと埋まるビニールハウスも、壮観でした。
スカイマークの機内販売は、リーズナブルなのが嬉しいところ。ミニ缶ではあるものの、おつまみ付きのビールは税込み200円です。ほろ酔い気分でぼおっとしていれば、九州までの2時間はあっという間。
日曜夕方5時半の福岡空港は混みあっていたようで、博多湾の周辺を大きく迂回。玄海灘の島々や糸島半島を見下ろしつつ、ドームやタワーが並ぶももち地区や…
大濠公園上空を回り、無事福岡空港へ着陸。短い週末の東北探訪も、幕を降ろしました。
一方のJRは、常磐線の全線復旧の見込みは立たないものの、原ノ町~竜田間の代行バスの運行を1月31日から開始。震災後約4年にして、常磐線経由の乗車券も発売が再開されました。
原ノ町~竜田間の代行バスは1日2本。上りの場合、朝6時50分の始発の後は、16時50分発の最終までバスはありません。運転士の他、女性の乗務員さんが一人乗っています。
このバスこそ、浜通りを縦断する唯一の公共交通機関。乗客は10人に満たないものでしたが、その数が多いのか少ないのか、なんとも判断はできません。
バスはトイレが装備されていますが、基本的には「非常用」という考え方。用は、駅のトイレで済ませておくように呼び掛けられていました。
万一バスが故障した際も、高線量の地域で降ろすわけにはいかない配慮と思われます。
原ノ町駅周辺でも、風評被害から耕作を止めた土地が多く、心が痛みます。
しかしさらに南下し、避難指示解除準備区域に入ると、コンビニやGSすら営業再開に至らない店舗が増えてきてきました。立ち入りこそ自由ではあるものの、まだ宿泊ができないとなると、経済活動は困難なんだと思います。
双葉町に入り、帰還困難区域へ。通行こそ自由ですが、二輪車での通行は禁じられていることからも分かる通り、まだまだ線量は高濃度な地域です。
分岐する道にはバリケードが張られ、通行を制限されています。単に国道を通過するのが自由になっただけで、面としては今も「帰宅困難」であることを示していました。
そして、バリケードの向こう側にある家々は、途方もない数。万単位の人々が故郷を追われていることを、今を生きる者として決して忘れてはいけません。
国道沿いに並ぶ家々にも、もれなくバリケードが張られています。
すれ違う車の中には、作業着に身を包んだ作業員さんを乗せたバスも多く見られました。危険と隣り合わせの中、国難と闘い続ける方々に敬意を表します。
家々だけでなく、事業所や店舗も3.11から時が止まったまま。よく名前を知っている全国チェーンの店も、地震で全壊状態したまま取り残されています。
バリケードの中に車が何台も残っている事業所も多く、財産の避難もかなわぬままだった、逼迫した状況を物語っていました。
代行バスの終点、竜田駅に到着。定刻では8時15分着なのですが、30分早い7時45分に到着しました。時間にはだいぶ余裕を取ってあり、接続の電車までの待ち時間も50分近くになります。
平日にはもっと渋滞するのかもしれませんが、ちょっと余裕があり過ぎかな?と感じなくもありません。
すでに いわき方面からの電車が通じている駅周辺も、今は避難解除準備区域。国道沿いではコンビニも営業を再開していましたが、集落のスーパーは事務所に転じたままです。
全国津々浦々にネットワークを広げる郵便局ですら、閉鎖状態。板が打ち付けられた姿は、痛々しいです。
駅前の商店もシャッターを降ろしたまま。人の気配はありません。
ただ いわきから着いた電車からは10人以上が降りてきて、駅前に待っていた「住民一時立入 大熊3号」と書かれたバスに乗り込んでいきました。車のない避難者にとっては、心強い電車だと思います。
竜田駅から、原ノ町方向を望みます。この先、富岡までは3年後に復旧させる方針が示されています。
8両編成の長い電車に乗って、いわき方面へ。広野駅からは数十人単位の乗客が乗り込み、駅裏では宅地開発が進んでいました。
2011年冬に訪れた時には、広野が復旧区間の終着駅。その時の駅周辺は、ちょうど今の竜田駅のような様子だったので、どこかほっとする気がしました。竜田駅も数年後には、広野駅のような姿になっているのでしょう。
いわき駅でどっと乗客を降ろし、各駅停車は南へ、南へ。そのまま2時間近く揺られ、日立駅で下車しました。
ガラスを多用した駅舎は、建築家・妹島和世氏の手によるもの。自由通路を歩いていると、空に浮かんでいるような感覚になれます。
駅舎内の海側にあるのが、海を望むカフェ「SEA BiRDS CAFE」。窓ガラスの外側には太平洋の大海原が広がる、気持ちのいいカフェです。
10時半前という時間にも関わらず、テーブル席にはほとんど「予約席」の札が立てられていました。どの時間帯でも予約は受けてくれるそうなので、旅行で訪れる時も電話しておいた方がよさそう。
僕も電話で席を抑えていましたが、一人だとテーブル席では落ち着かない感じ。後から入ってきた二人連れに譲って、海と対峙するカウンター席におさまりました。
ロコモコにコーヒーを合わせて、海を見ながらのブランチタイム。雲一つない快晴で、ガラス鉢のようなカフェはちょっと暑いけど、この景色には変えられません。
ちなみに、駅のコンコースからカフェを見た図。浮かんでいるよう、というか、ほとんど浮かんでいる状態です。
ガラス清掃の手間は大きそう。これだけの手間を、この先何十年もかけていくという覚悟がなければ、できない駅舎でしょう。
さらに常磐線電車で上り、大甕駅で下車。おさかなセンターまで10分の道のりを、バス高速輸送システム…BRTが結んでいます。古くは国鉄白棚線、最近ではJR気仙沼線や大船渡線の仮復旧で用いられた、鉄道跡の専用道を行くバスです。
乗り場は、かなり目立つように大書きされていて迷いません。
ピンク色のバスはデザインされていて、よく目立ちます。
整理券はICカード方式で、何度も繰り返し利用するタイプです。始めて見ました。
図柄は、乗客に押されるボンネットバス。戦時中の木炭バスは、よくエンストして乗客に押してもらっていたと聞きますが、その様子かな。
住宅街を走っていたバスは右に折れ、上がった遮断機をくぐり専用道に入ります。
先輩格のBRTと違い、専用道の右側に歩道が並んでいるのが特徴。自転車の通行も禁止されており、安心して歩ける散歩道です。廃止前の日立電鉄は全線単線だったはずで、よく幅員を確保できたものと思います。
一般道路とは立体交差の箇所もある一方、信号待ちを強いられる交差点もあって、一般のバスより早いのか遅いのか、なんとも言えないところ。その効果を検証する間もなく、1kmの南部図書館前で専用道は終わってしまいます。
1kmでは専用道としては短いものの、延伸の予定もあるとか。今後の「本領発揮」に期待しましょう。
南部図書館は久慈浜駅跡に建てられており、記念碑も残されています。BRTの南部図書館前「駅」も、広々としていました。
併設の歩道を歩き、日立商業下へ。バス停標識には「BRT」のロゴがポップに描かれ、膜構造の上屋もこじゃれています。新時代の交通機関として育てて行こう、という気概はよく感じられる施設です。
上屋があるのは、駅行きのみ。路線の主眼が、駅へのアクセスに置かれているのが分かります。
上りの、青いバスが近づいてきました。交差点には信号機が装備されているものの、バスが近づくと信号が変わる感応式信号です。
スピードアップのためには、接近とともに遮断機が下りる鉄道方式が望ましいと思うのですが、国内のBRTでそこまで踏み込んだ例は、まだ見られません。
大甕駅に戻り、勝田駅に出て、特急「ときわ」に乗りました。上野東京ラインの開通とともに、これまでの「ひたち」系統をリフレッシュ。速達タイプの「ひたち」と、主要駅停車タイプの「ときわ」に分離して生まれた、新しい列車です。
「ひたち」「ときわ」は、2012年デビューのE657系電車が活躍。「スーパーひたち」「フレッシュひたち」もいい車両だったのに、取り換える必要があったのかな…と思っていましたが、E657系はぐっと豪華な雰囲気になりました。
デッキまわりは深い木目調の壁と、縦ラインに発光する照明が印象的。洗面台周りの間接照明も、百貨店かホテルのような雰囲気です。
座席も、枕の位置が調節できる快適仕様。
「ときわ」では、残念ながら車内販売はなし。それでも全国的に取りやめが相次ぐ中、「ひたち」で続けられているのは立派です。
全体的な雰囲気と相まって、「ロマンスカー」に乗っているような贅沢感を味わえる列車だと感じられました。
もう一つの特徴は、全車指定席の導入。座席の上には空席情報を示すランプがあり、指定券を持っていない場合は空席を利用するシステムです。このあたりも、JRというより私鉄特急に近い思想を感じます。
ちなみにネットのチケットレスサービスを使うと300円引きになりますが、PHSのメアドでは非対応だったので恩恵を受けられませんでした。特に短距離だと割引率も大きいだけに、残念。
橋上駅に建て替えが進む石岡駅で、関鉄グリーンバス、通称「かしてつバス」の茨城空港行きに乗り換え。行先表示に「駅」が続くこの路線も、鉄道跡の専用道を走るバス路線です。
石岡南台駅にはホームや跨線橋が残り、鉄道路線の雰囲気を色濃く残すバス道です。ただスピードは上がらず、交換で時間を要したり、交差点も車が優先になっていたりと、鉄道時代に比べて時間がかかるのは難点。
このあたりの状況、3年前に乗った時とあまり変わっていません。
四箇村駅で専用道は終わり、一般道に入ったらスピードが上がるのも同じ。専用道延伸の計画もあったようですが、工事が行われている様子はありませんでした。
鉄道時代の面影を残していた小川駅は、バスの乗り継ぎ拠点として再整備。今後も地域の核となっていくのでしょう。
狭い商店街を抜け、広々した道路に出れば茨城空港です。
ちなみに水戸方面からならば、直行バスが安くて早くてラクなのは百も承知。「ときわ」と「かしてつバス」を乗り継いだのは、単に乗りたかったからに他なりません。
茨城空港のターミナルビルは、老若男女で大賑わい。といってもほとんどは飛行機の搭乗客ではなく、イベント見物に訪れた人でした。
茨城空港の国内線は、千歳、神戸、福岡にそれぞれ1日2便。いずれも経営の行く末が心配されるスカイマークの運航で、福岡行きも最近では1便がよく運休になっています。茨城空港にとって、正念場のタイミングです。
最小限の設備で、コンパクトな作りのターミナル。混み合うこともあるので早めの保安検査を、中にも売店あります…との言葉を信じ入ってみれば、売店が休業中!一気に手持無沙汰になりました。
小さな売店が開いたのは、搭乗時間直前でした。
スカイマーク835便、15時25分の福岡行きに搭乗します。
ボーディングブリッジはなく、滑走路を歩いて機体まで。「ご搭乗心から歓迎いたします」の旗に見送られ、タラップを登りました。
白い革張りシートがまぶしい機内。最終的な搭乗率は4割程度に留まり、日曜夕方の便としては、いささか寂しい気もしました。
1ヶ月前に購入した航空券は9,500円と、LCCに比べても遜色ない値段。東京駅からのバスを早めに抑えれば500円で済み、使いこなし方によってはリーズナブルに使える空港ではあるのですが…。
空港を飛び立った飛行機の眼下に広がるのは、霞ケ浦や太平洋。平野にびっしりと埋まるビニールハウスも、壮観でした。
スカイマークの機内販売は、リーズナブルなのが嬉しいところ。ミニ缶ではあるものの、おつまみ付きのビールは税込み200円です。ほろ酔い気分でぼおっとしていれば、九州までの2時間はあっという間。
日曜夕方5時半の福岡空港は混みあっていたようで、博多湾の周辺を大きく迂回。玄海灘の島々や糸島半島を見下ろしつつ、ドームやタワーが並ぶももち地区や…
大濠公園上空を回り、無事福岡空港へ着陸。短い週末の東北探訪も、幕を降ろしました。