髻山(もとどりやま)へ登った。
小高い丘のような里山だが、この時期カタクリの花が咲いている。
この花は日中は開くが、夜はペリカンのくちばしのような形に閉じてしまう。
赤紫の色が、まだ枯葉色の地面に映える。
同じ色合いのショウジョウバカマも咲いている。
色々なブログを見ている。
写真が大き過ぎるととても読みにくいと感じる。
15インチのパソコンの画面いっぱいの写真があって、それが何枚もアップされていると、とても最後までは読めない。
自慢の写真をアップしたいのはよく判る。
だが、読む側にすると、文章と写真のバランスが悪いととても読む気になれない。
写真のサイズもそうだ。
書く側の言い分もあるだろう。それぞれの流儀もある。
僕は画面いっぱいの写真を配置しようとは思わない。写真も厳選しようと思っている。
それが僕のやり方だ。
山頂は気持ちの良い広場になっていて、小布施町や千曲川が見下ろせる。
北側の林の中にはカタクリの群落がある。
こちらはまだ固いつぼみのまま。
あと一週間ほど後が見頃だろうか。
自然が作り出す色、形に圧倒されることがある。
とても人工物では叶わない気品がある。
それを求めて、今シーズンもまた山に行こう。
帰途、かみさんの実家に寄る。
七十代の後半になる義兄、義姉に明日が投票日の県議選の話をする。
この夫婦はもうとうの昔に政治に愛想を尽かしていてとても手強い相手なのだ。
『どうせ何も変わらない』
わかる、とてもよくわかる。そういう無力感を何度味わってきたことか。
だが、やはり何もしなければ何も変わらない。
息子や孫を戦場に送らないために、集団的自衛権に反対の候補を、安心して暮らすために脱原発の候補を、是非選んで欲しい。
投票に行かないことは現状を容認することだから、是非棄権しないで欲しい。
無力でも、何にもならないと思っても、選挙で変えて行く以外道は無いのだから。
これまで、何となく煙たくてそんな話はしたことがなかったが、今回はかみさんと二人で一生懸命話した。
とてもこのままでは我慢できないから。
選挙の結果が、各地方から阿倍内閣への、大きな反撃ののろしとなって包囲することを願っている。
幸福実現党のビラが入った。
南京大虐殺はでっち上げだ。
村山談話、河野談話は取り消せ。売国的な談話だ。
そんなことが書かれていた。
このひとたちアタマダイジョウブカ?
阿倍首相よりもっとひどいではないか。
いや、正直なだけか。
日本が他国を侵略して、確かアジアで二千万人が死んだ。
そのことにいかなる理由を付けようとも正義なんかない。
迷惑をかけたことを真摯に詫びるべきだ。
そう、ドイツのように。
当事者でなくても、僕は親の世代がしでかしたことに対して申し訳ない気持ちを禁じえない。
このビラをどうやらこの地域の青年が配っていることにも心を痛めている。
青年よ、決してヒトラーの親衛隊のようになるな。