白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

数年来の東海道歩きのエピローグ 旅の計画

2017年12月08日 20時32分33秒 | 日記

 

76年前のこの日、太平洋戦争が始まった。というか、始められてしまった。

開戦記念日という向きもあるが、記念日などといって、記念するようなことではない。

僕が生まれる10年前のことだ。

幸いなことに、僕は「戦争を知らない子供たち」だった。

僕が育った時代は、戦後民主主義が花開いた、しあわせな時代だった。

今はまた、軍需産業が多額の献金を送り、極右思想の権化が政権を握っている。

人類が、大きな犠牲を払って、やっと到達した、戦争のない世界への扉が再び閉ざされようとしている。

かつてのフランスの人民戦線のような、反ファシズム統一戦線がわが国でも組織されないものかと、切に願う。

この日、庭の餌台に、今シーズン初めてのヤマガラがやって来た。

ヒマワリの種を置いておいた。

ヤマガラは、数秒で飛び去ってしまうが、すぐに戻ってくる。高い木の上で餌を食べるらしい。

日がな一日眺めていても飽きない。

 

平和な日々が長く続くことを願う。

 

数年前から歩き継いできた、旧東海道の旅も、いよいよ最終章。

残された水口~石部~草津の計画を立てた。

この時期、青春18切符が使えるので、鈍行列車の旅となる。

1月の4日~6日の予定で、中日に残された25キロ弱を歩く。

軽井沢から出雲崎までの北国街道、日本橋から三条大橋までの中仙道を歩ききった時ほどの大きな感動はない。

だが、思い返せば、色々な旅の風物がよみがえり、楽しかったなと思う。

冬の間、山登りは中断して、街道歩きを楽しんできたが、東海道は信州からのアクセスが大変だった。

ただ、太平洋岸のコースは、信州とはずいぶん違って、物珍しかった。

およそ500キロの道のり、コツコツとやり続ければ、たどり着ける。

この次は、甲州街道を歩こうか。

信州諏訪から日本橋まで、中央線の沿線なので、アクセスが便利そうだ。

まだまだ、旅は終わらない。