友あり遠方より来る。
もう50年以上前、白馬岳へ案内したことが始まり。
友達の伝手で一緒に登ることになった。僕は大雪渓の上部、葱平 (ねぶかびら)でミカンの缶詰を雪解け水の流れで冷やしながら待っていた。大雪渓を普通のシューズで登ってきた。彼女はまだ山の初心者だった。以来西穂~奥穂~北穂~槍を案内したり、やがて自分でヒマラヤのトレッキングに出かけたり、山にのめり込んでいった。
『女文太郎』とさえ言われていた。あの、孤高の人加藤文太郎にちなんだ命名だ。今は埼玉に住んでいる。10年ほど前我が家に立ち寄ったことがある。その時ふるまった蕎麦が忘れられないと旦那が言っていると電話で語る。この夫婦はスマホもガラケーも持たない。僕もそうだ。車だって持たない。これは違うところだ。田舎では車がないと生活できない。
正月に親兄弟に会いに来るという。その折に会いたいと。既に実家はなく、おふくろさんは施設にいる。兄、妹はそれぞれ家庭を持っている。北海道で教員をしている息子はおばあちゃんに会うのは最後になるかもしれないと、一緒に来るという。子供も含めて総勢5人。どこかに泊まれるところがないだろうか?
年末の押し詰まった時期に普通はそんなところはない。だが、有り難いことに懇意にしている民宿がある。頼んでみると快諾。良かった。胸をなで下ろす。
ついでに、厨房をお借りしてそばを茹でたい。場所も。お宅の分も打つから。
そして、年明けも15人前の蕎麦打ち。
宿泊の日の翌日、打ち上げた蕎麦とかみさんが上げたかき揚を持って山の温泉場に着く。
庭では6歳と2歳の子供が大きな雪だるまを作っていた。
写真でしか見たことがない息子さんが、もうお父さん。目の前にいる子供たちくらいだったんだよ、君は。
あいさつもそこそこに、さっそく蕎麦の準備に取り掛かる。
大きな鍋。強い火力のガスコンロ。うん、申し分ない。
次々と茹で上げる。運ぶのはかみさん。
民宿の夫婦と合わせて7人(幼児二人含む)で13人前を食べた。
1人前は打ち上がりで150グラム。決して少なくはない。中でも6歳の男の子は何枚もお代わりして食べた。
打ち手は喜んで食べてもらうのが一番うれしい。
久々の再会だったが、幼子もいて帰る新幹線の時間もあって、あまり話せなかったが、元気な姿を見ることができて良かった。
息子さんはトレイルランニングをしているという。北海道の原野をはしりまわっているのだな。
近くの森にリスがいて、手に乗せたエサを食べに来ると男の子が言う。
キタキツネもいるという。
ひぐまだっているよね。
水道と電気は来ているの?もちろんあのドラマを意識している。でも知らないか、6歳だもんなあ。元気でいい男の子だ。きっとお父ちゃんのように育っていくんだろう。
そんな風にして世代が移り変わっていく。
偏屈な僕と50年以上にわたって友達でいてくれるなんてすごいことだな。突然の頼みを快く引き受けてくれた民宿の夫婦にも感謝。
そばを茹でてみた感想は、やっぱり専門家の調理場はすごいということ。蕎麦の茹で上がりがすごい。家庭用のガスコンロは火力が弱すぎる。おいしい蕎麦が表現できない。
蕎麦を打って喜んでもらう。それがモチベーション。
今年はもっともっと上達する。
これまで、何回かそばを蒔いて花を楽しんだが、収穫作業が大変過ぎてそのままにしてしまった。今年、頑張って収穫まで行き着く。
それが今年の目標だ。(蕎麦に関して)
友達家族がおいしそうに蕎麦を食べる写真がある。
プライバシーに配慮して残念だが掲載しない。(本当においしそうにたべているんだ。)
それに、写真など使わず文章だけで読ませるブロガーがいるんだ。僕は少し羨ましい、嫉妬するくらいに。
だから、時には写真無しで綴る。
真似ではない。写真を多用するとそれに頼ってしまうから。
写真を使うにも3枚まで、という規制をかけていた時もある。
写真は便利だ。便利すぎる。
時には自省の思いも込めて。