白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

新しい試み始動 地域のコミニュティの構築に向けて

2020年05月19日 06時56分34秒 | 日記
冒頭に新型コロナ禍を書くのが最近の定番となりつつあるが、天邪鬼の僕はスルーする。
一昨年、僕は区の会計という仕事に携わり、何とか後任を確保して、後を託した。そして、この4月からの役員を選ぶ役員選考委員としての仕事をした。その難航したことと言ったら筆舌に尽くしがたい。2月の寒風吹きすさぶ寒空の下、何軒もの家に足を運び、次期役員のお願いをして回った。その度に断られ、中には明らかに家にいると思われるのに、居留守を使う家さえあった。かつては役員を選べず、止む無く役員選考委員が責任を取って役員に就任するとか、区長と副区長が入れ替わって留任ということさえあった。誰も好んで役員になどなりたくないのだろう。
僕は考え込んだ。区とは何なのだろうか。本当に必要なのだろうか。区の仕事は一体何なのだろう。そこに住んでいれば、ゴミ出し、周辺の清掃、協力しての雪かき、夏祭り、分館の活動やPTA活動、敬老会、新年会、お祭り、等々色々あるにはある。ただ、ゴミ出しを除いて別になくて格別困りはしない。町場なら、特にアパート暮らしであれば、それが当たり前なのだろう。
ここはできてから50年が過ぎつつある団地。第一世代は山の炭鉱が閉山になり、団地を造成して移り住んだのが始まりだ。90世帯位だった。そのほとんどが密閉された山の暮らしのしきたりや雰囲気を濃厚に持っており、特に労働組合が大きな力を持っており、その幹部だった人たちが陣頭指揮をしてこの団地を作り上げてきた。そのご苦労には頭が下がるが、やがて時が移るにつれ、それが桎梏となった。あとから移住してきた人達や第二世代、第三世代にとっては、言いたいことも言えない窮屈な地域となってしまった。誇りをもって区の仕事に当たっていた人々は引退し、多くの人達は区に何も期待しなくなり、役員のなりてが無くなってしまった。(これは個人の感想です)
改めて、区とは何なのだろうと考える。
そこに住む人たちが最低限気持ちよく暮らせる簡単なルールを作る。そして、最もよく言い表せる言葉を選ぶとすれば、コミニュティなのだと思う。いろいろな決まりで縛るのではなく、人と人とが自由に交流できる場を創ることが一番の役割だ。
住民センターがその役割を担う場所となる。
次第に退職者も増え、会社人間だったおとっつあんが、そう簡単に地域には溶け込めない。やることもない。そんな状況を打開できる方策はないだろうか。
その上で、自分にできることは何なのだろう。そうだ、そば打ち教室をやってみよう。
そのうち、打ち手を増やして、敬老会などでふるまい蕎麦ができればいいな。いずれは同好会にして、退職者を中心にした趣味の同好会にして交流の場になればいいな。あわよくば区の予算で蕎麦打ち道具をそろえてもらって、活動資金なども出してもらえればいいな。何しろ毎月区費で2,500円も払っているのだから。
そば打ちに限らずこんな風にみんなができることや、興味や趣味を生かして交流していくことで地域が本当のコミニュティとなっていくのではないだろうか。そうした活動を通じて、区の役割が鮮明になり、やりがいも感じられ、やがては役員の誕生にもつながっていくのではないだろうか。ほとんど顔も知らないような仲で、誰も役員などやりたくはないだろう。

今の時期、密集、密接、密閉を避けなければならない。そこで、最初は少人数でと、二人に声をかけた。年末には自分で年越しそばを打とうとスローガンを掲げた。一人は今年の副区長、もう一人は東京出身の移住者で、ワインぶどうの栽培を始めている。5・17に第一回の教室を開いた。移住青年はブドウの草刈りが追い付かないとのことで不参加となったが、二人でそば打ちをした。初めてそば打ちをする人なので、僕も人に教えるなどとおこがましいことはできないが、と断りつつ、一緒にそばを打った。
 


       

自分で打ったそばを食べて彼は言った。
「この、太さが不ぞろいなのが、まさに手打ちという感じで、格別です」
道具は僕が用意した一組なので、交代で使った。捏ね鉢は二つあるので同時進行。
彼は左利きとのことで、左利き用の蕎麦打ちセットが欲しいとやる気満々。
今回は住民センターの庭で作業していた区長と衛生組合長にも声をかけふるまい蕎麦。
区の予算で蕎麦打ち道具を揃えてもらえればいいな、敬老会にもふるまい蕎麦ができるのにな、と付け加えておいた。
何にしても、ここ何年か温めておいた企画の第一歩を踏み出した。
「これは売り物になるね。ここで店を開かないか」
お世辞でもそば打ちにとってはうれしい言葉だ。
出来れば、今後も月に一度くらいは教室を開きたい。
細く、長く。まさにそばのようではないか。
『誰一人取り残さない』
この言葉に僕は言いようのない感銘を受ける。弱者を切り捨てない決意の表れだ。
今回参加できなかった移住青年の都合に合わせ、いつでもそば教室を開くつもりだ。
今回使ったそば粉は諏訪にある高山製粉さんの八ヶ岳という銘柄だ。この粉は初心者でも良く繋がる粉で、打ちやすい。慣れてきたら徐々に上級者向けの粉にも挑戦するつもりでいる。
僕はもう、名誉とか功名心と言ったものから解放されているので、一緒に打った仲間たちが、早く僕を越えて行ってくれることを切に願っている。同好会にして、やる気のある人に運営も任せられればいいなとも思う。本来、『単独行者』の僕にはこういう仕事は向いていない。