白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

北陸新幹線延伸のお祭り騒ぎの蔭で

2015年03月25日 21時48分42秒 | 日記

長野駅が新しくなり、色々な店が並んで、まるで都会の駅みたいと、長野に行った時に立ち寄ったかみさんが少し興奮気味に言った。

多くの人たちがいたという。

北の飯山駅もあたらしくなったとテレビのニュースが伝えた。

もうじき七年毎の、善光寺の御開帳が始まる。

そんな訳で、長野の善光寺平周辺の人たちは何処か浮かれているようにみえる。

お祭りを前にわくわくそわそわしているような風情を感じる。

桜の季節を前にしたいつもの春先とは違う。

だが、へそ曲がりの僕は新しい長野駅に行ってみようとは思わない。

あてにしている観光客は、御開帳の後、果たして増えるのだろうか。

東京~金沢間は速くなった。

だが、これまで終着駅だった長野は途中駅になった。

影が薄くならざるを得ない。

さらに困ったことには、在来線がJRから切り離されて第三セクターに任されることになった。

青春18切符も使えなくなる。

赤字路線はどんどん切り捨てられる。

地域の人たちにとっては新幹線ではなく在来線が生活の足なのだ。

長野新幹線が出来た時も信越線の横川~軽井沢間の運行がバスに切り替わり、電車で東京へ行くには高い運賃の新幹線しかなくなってしまった。

一見便利そうに見えるものは、その蔭で大きな不便を産み出している。

僕が北陸新幹線で金沢まで行くのは、多分一生に一度か二度くらいなものだ。

在来線を乗り継ぎ、青春18切符で金沢まで行ったことがある。数年前の正月だった。

雪の舞う、どんよりとした日本海を眺めながら僕はしみじみと人生のことを思っていた。

ゆっくりと駅弁を食べた。

そんな旅の良さを、新幹線は奪っていく。

時代の流れとはいえ、僕は効率最優先のこの国の風潮にとても同調できない。

 

浮かれ立つ人々の喜びに水を差すようで、少しばかり声をひそめてそんな独り言を呟いている。

『まったく、ひねくれ者が!』という声が聞こえるような気もするが、、、、


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