元日には決めていることがある。
自宅から西の方に優雅に聳える飯縄山。
この山に登り続けて今年は35周年。
標高は1917.4m。今年は雪が多く、ラッセル覚悟で出かけた。
先行者がいて、ラッセルしてくれてあった。ありがたいことだ。
この山は双耳峰で、南方には飯綱神社がある。
建物は雪に埋もれていたが、内部は10人くらい休める空間がある。
ここには飯綱三郎天狗が祀られている。
うろ覚えだが、砂粒を大麦に変えて飢饉の村々を飛び回り、人々の苦難を救ったという。
今の政権に、爪の垢でも煎じて飲ませたいような話だ。
35年前、山仲間のkくんがヒマラヤで死んだ。
静かに彼の死を悼みながらこの山に登った。それがこの山の元日登山の始まり。
その後所帯持ちとなり、危険な冬山登山は自粛してこの山を登り続けた。
登山口は一の鳥居。
この山は昔修験者の山。
一不動、二釈迦、三文殊、四普賢、五地蔵、六弥勒、七薬師、、、と続く目印も今年は雪の中で見えない。
南峰から北峰への釣り尾根は本日は一名がかんじきを履いて往復したのみ。
他の人はかんじきがなくて沈んでしまいとても行けないとすぐに引き返してきた。
僕はおもむろに、ザックからかんじきを取り出し、本日二人目の北峰登頂者となった。
帰りはかなり急斜面なので同行者は尻セードで滑り降りた。
僕はそういう不格好な真似はできないので、オーソドックスなグリセードで降りたことは言うまでもない。
山の帰りは若槻温泉という小さな温泉で体を温めた。
新年だというので羊の絵が入ったタオルをプレゼントされた。
この温泉はまさに穴場と言える。
湯上りには甘酒のサービス。
このようにして恒例の元日登山は終了。
その後は箱根駅伝を見たり、ゴロゴロしたり、本を読んだりと家の中で過ごした。
そろそろ体も動かさねばと、小布施町にある雁田山に登りに行ったのは七日だった。
標高は七八六mと、それほど高くないが、善光寺平の中央を流れる千曲川を挟んで向かい側に飯縄山が見える。
途中までは雪はほとんど無くて、暖かな日差しはもう春を思わせるものだったが、ひとたび風が吹くと、耳が痛くなるほど。
やっぱり冬なんだな。
山頂の展望広場からは小布施の街並みや千曲川、飯縄山、妙高山、等が一望できる。
春になれば、柔らかな風が吹き、カタクリの群落も見られる。
善光寺と別所温泉の北向観音は向かい合っていて、両方に参拝して願いが叶うという。
同じように飯縄山と雁田山は向かい合っているので、飯縄山だけでは片手落ちなのかなと思いつつ登ってきた。
小布施の街は観光客が何人か歩いていたが、この街並みの東にある雁田山にはこの日人影はなかった。
静かな良い山歩きができた。
これで、今年は二つの山に登った。
この次は何処の山に登ろうか、などと夢想しつつ雪が残る庭を眺めていると、いろいろな小鳥がやってくる。
目白はりんごが好きだ。ひまわりの種もつつく。
庭に来る小鳥は我が家の冬の楽しみの一つ。
それにしても、今年はどんな年になるのだろうか。
今朝の新聞は軍事費が過去最高の4.98兆円となったことを伝えている。
一日あたり137億円だ。
守ってほしいのは命や暮らしだ。
大砲や戦車で守れるのだろうか。
僕らは爆弾を抱えたまま生きていくことはできない。
安全でないことが明らかになった原発が再稼働だなんて、一体何を考えているのやら。
貧富の格差がますます広がっている。
強食弱肉の極めて野蛮な社会に戻っていくようだ。
儲けだけが至上命題の資本主義という社会体制は、もうすでに耐用年数を過ぎているのではなかろうか。
どんなに繕ってみてもあらゆるところから綻びが次々と。
今のままでいい、という人はどれくらいいるのだろう。
この道を強引に突き進めば、崩れ落ちた鉄橋にしか差し掛からない。
墜落するだけだ。
知らなければそれで良かった。
知ってしまったばかりに現状には我慢できなくなった。
例えばドイツ。
ナチズムは今でも免罪されない。
ところが日本はどうだ。
軍国主義の亡霊共がのさばっているではないか。
ドイツは原発からの脱却を決めた。
日本は再稼働を目論んでいる。
世界に目を向ければ、今よりマシな社会システムを構築している国がある。
それに学んで、猿真似でないもっとマシな日本の社会システムの構築を目指す時だ。
諦めてはならない。
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