人としての真っ当な生き方とは何だろう。
最近とみにそんなことを考える。
詭弁としか言いようのない、責任逃れ。
国会答弁、日大アメフト部の指導者たち。
人間は誤りを犯すこともある。そのようにできている。
問題はそれに対してどのように真摯に向き合うかではないだろうか。
反則タックルをした学生の、その後の潔さは胸を打つものがある。
それに比べて、安倍内閣の閣僚やお役人たちのなんと醜いことか。
何の役にも立たないような机上の空論を繰り広げている人たちも、ご飯を食べている。
それを作っている人たちの方がよほど真っ当に生きているように見える。
今年も棚田の田植えに行った。
とはいっても、田植え機で植えた後の補植程度の仕事だ。
長野市中条の大西の棚田で、棚田百選にも選ばれている。
田んぼの会の会長さんは、85歳。
昨年までは手植えだったが、みんな高齢になって来たので無理はしない方針。
時代に取り残されたような山里の村で、僕らは確かなものを全身で感じていた。
どんなに偉そうな事を言っても、それだけでは自分の食べるご飯一つ作れない。
この風景の中で、何を思いまどうことなどあるのだろう。
柔らかな安ど感が全身を包む。
農耕民族の末裔である僕らは、この田園風景こそ心の原風景。
遠く横浜から来ている人もいる。東京からの人もいる。
田舎に住んでいる僕でさえ古代の安らぎの中にいるようだ。
会長さんの奥さんがつくるおやきは絶品。
浸み大根の煮物も、どんな高級料理店の料理より(行ったことはないけれど)も好きだ。
作業後の慰労会も話が弾む。
一人は僕の勧めで北国街道を歩き始めた。残り80キロまで来たという。
僕は北國街道、中山道、東海道を完歩し、今甲州街道を歩いている。
すると、東京在住の人が、東海道歩きをしていて、箱根を越え、藤枝まで到達したという。
もう一人の東京の女性は登山をする人で、我が家に泊まって信州の山へ登りにおいでと誘っておいた。
やっぱりみんな自分の体を動かして、真っ当な生き方をすることが好きな人たちのようだ。
締めは会長さんのところで採れたタケノコ汁とおこわ。
僕らにとっては最高のごちそう。最良のもてなしだ。
棚田のオーナーとはいっても、稲刈りまでの面倒は会長さん夫婦が見る。
中条は山の中で、若い人たちはほとんど長野市内に出て行き、すでに限界集落だ。
それでも、こうして何人かが集まり交流できる場があるというのは素敵なことだ。
秋の稲刈りまでの間に、また顔を出すことを約束して山里を後にした。
現代ではとても豊かな生活ですね。
私の東京に住む友人も、長野に作りに行っているので、一瞬友人かと思いましたが、登山はしません。せっかく作ったお米を一度分けてもらいましたが、つくり手を知っているだけに格別な美味しさでした。
それから、山菜のごちそう見ていたら、はやお腹がグ~(笑)