白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

すべてが完璧過ぎて ― 41年目の元旦登山 飯綱山(1,917メートル)

2020年01月02日 11時04分25秒 | 日記
新しい年に乾杯!
元旦は荒れる予想が出ていた。埼玉の古い山の友達や千葉の長男から『大丈夫?』
という心配の電話。ありがたいことだ。内心では”お天気の神様が付いているし山の神様にも愛されているから、心配ない”とつぶやく。
過去40年には色々な年があった。台風並みに荒れた日もあるし、胸まで積雪だったことも雨の日もあった。だが、自分が出かける時間帯には不思議と凪いだ。うん、心配ない。
7時過ぎに家を出て、途中で初日の出を見た。いい天気だ。
駐車場には10台近い車。既に下山して来る人もいる。
標高1,200メートル位だろうか。積雪量は10センチもない。かんじきもいらない。
この山靴はGoroでのオーダーメイド。もう40年も使っている。今時こんな山靴を履いている人はほとんどいない。自分も雪山でしか使わない。この山靴を履くと、一気に昭和の時代の古き良き山登りの気分が蘇る。山ボーイや山ガールには多分わからない至玉の山の世界があったのだ。重い山靴を履いて、日帰りの北アルプスでもザックの底にはツェルトを忍ばせていた。近年年とともに軽く、速くという方向にシフトしてきて、トレイルランニングにも足を踏み入れた。だが、時にはじっくりじっくり、自分を見つめ自然と一体になりながら歩いてみたくなる。
かつてはかみさんや子供たち、友人なども一緒に登ったこともあるが、近年は一人きりだ。途中で友人の子供たちに遭った。この兄妹は40代。妹には男の子が二人いて、昨年までは一緒に来ていたが、今年はいない。かつては何回か一緒に登った友人も既に引退。
「お坊ちゃんたちは?」
「思春期!」保育士をしている妹が端的に答える。
子供たちも成長しているのだ。


八ヶ岳の左に富士山が見える。(写真では薄くなってしまっているが)富士山はやっぱり特別の山だ。

登山道は雪が少なく融けた雪が凍って滑りやすい。すれ違う人はアイゼン使用。そのほうがいい。立派なアイゼンを持っているのだが、たかが飯縄山と傲慢にも思っていて家に置いたまま。まあ、無くてもどうってことない。

この山はたおやかで優美な曲線を持った双耳峰で、我家からよく見える。日本200名山のひとつ。山好きな人なら憶えていよう。かの田中陽希さんがこの山頂でギャラリーから「どうした元気ねえぞ!」と声をかけられて「ボクだって疲れますよ(人間だもの)」と心の中でつぶやいた事件。その後長い間そのトラウマを引きずって立ち直れなかったことを。まさにその現場がここなのだ。
双耳峰の手前側は少し低い。そして神社がある。
雪が多い年は鳥居の頭しか出ていなかった。
ここで初詣。欲張っていろいろな事を願った。(お賽銭も上げずに)
その代わりに南峰と北峰に一つずつあるお地蔵さんの涎掛け(前掛け?)を替える。
かみさんが作って託されたもの。


山頂はこれまでにないほど積雪が少ない。これも温暖化の危険な兆候なのだろうか。
天候も、景色も、歩きやすさも、体調も何もかも、完璧。それが逆に底知れぬ不安を呼び起こす。だが、今はそんなこと考えるのは止そう、正月なのだから。

高妻山から乙妻山への稜線は百名山にふさわしい。


下りは滑る前に足を前に運び、まさにトレイルランニングで一気に駐車場まで来た。一の鳥居の前で、今年も無事に楽しく登らせてもらったことに感謝して深くお辞儀。
走り終えたマラソンランナーのように。

11時頃、毎年行く温泉に着いたが12時からの営業なので、車で読書タイム。陽射しが暖かい。


この温泉はまさに隠し湯。人には教えない。
新年のサービス、甘酒と干支のタオル。


元日だけの海老天のうどん。
あまり混まないので畳の休憩所で手足を伸ばすこともできる。開脚をしながら『床下仙人』を読んでいるとうどんを運んできたおかみさん(社長)が「あら、柔らかいですね」と言った。「おかみさんも物腰が柔らかくていいですね」と心で返した。1時間待っていたことを知っていて謝ってくれたり、とても感じがいい。マニュアル対応の若いオネエチャンとは雲泥の差。ここで体も気持ちもほっこりして新しい年のスタートとなった。
2~3日箱根駅伝、4日埼玉の友達一家(三代)を迎えての蕎麦会、5日甲州街道歩きの旅、その後10日までの間に青春18切符を使っての列車旅。教育(今日行く)と教養(今日用)が盛りだくさんの1年が始まる。

















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