銭湯巡りをしていると必ず遭遇するものが、暖簾(のれん)。日本独自に進化した布製の看板である。
銭湯にしても、スーパー銭湯にしても、必ずあるものだ。銭湯以外だと飲食店の入り口にも多くみることができる。
もともと、のれんはお店の名前をあしらった看板の意味もあったし、開店している目印でもある。
現代に至っては、伝統的な風情の演出に使われることがほとんどだ。
今はなくなりつつあるが、昭和の頃は家の中に珠暖簾(たまのれん)というものも取り付けられていた。ひと昔前まではのれんは家庭の中でも日常生活にとけ込んだ身近なものだった。ただ、今は廃れて見かけることがほぼない。
なぜ珠暖簾が無くなってしまったのかは定かでないが、家の作りが和風から洋風に変わったことが主な原因だろうと指摘されている。本質的には、プライバシーを明確に区別する時代になったからではないかと推察する。
のれんは目隠しであると同時に、境界を示すものであった。
ただしその特徴は物理的に遮断するものではなく、記号として見せることで相手を完全に排除するわけではないメッセージを含ませている。そして相手にそれを守ってくれるモラルがあることを前提としていた。
日本の家屋は障子に象徴されるように、完全なプライバシーを守ることはなかった。その曖昧さを良しとすることが、日本人らしい感性ではないかと感じる。
一方で、最近は曖昧さをよく思わない考え方が少しずつではあるが浸透し、世の中全体が線引きを明確にしてるように思える。
線引きがルールならば、曖昧さはマナーである。
マナーは絶対に守らなければならないわけではないが、一般的に不文律で守るべきものとされる。そこには相手が持つモラルへの期待があり、期待に応えようとする社会の成立が前提にある。
人はモラルに不信感を覚えると、マナーではなくルールを適用しようとする。
のれんの衰退は、他人への信頼やモラルに対する認識の変化とも無縁ではないのかもしれない。