今回は、東京都の豊島区にあるトキワ荘ミュージアムに立ち寄ってきました。
トキワ荘といえば漫画の黎明期を築いた巨匠たちの集った場所であり、「マンガの梁山泊」と呼ばれたところでもあります。
学童社の関係者が自社雑誌に掲載する作家を次々とトキワ荘に住まわせたことからこのような状況になったらしいのですが(一カ所に集めたほうが漫画を回収するのに効率がよかった?)、それだけ才能を見極める慧眼があったということでしょう。
元のオリジナルは建ててから30年経過して老朽化により解体され、それを偲んで当時と同じような形で新トキワ荘が2020年に再現されました。
常設展だと無料なのですが、このときは「手塚治虫のジャングル大帝」をテーマにした企画展があったので入場料500円を徴収されました。
最寄り駅は都営地下鉄の落合南長崎駅で、歩いて5分ほどで到着します。
都営地下鉄は2000年代に出来た新しい路線なので、当然ながらトキワ荘に住んでいた当時の漫画家たちは西武池袋線の椎名町駅を利用していました
公園の囲いはマンガらしいフォントで彩られています
こちらは丹頂型電話ボックス。昔はこうした公衆電話を使って編集者と連絡を取り合っていたようです
ミュージアムのある場所は公園になっています
トイレもマンガ仕様
こちらがトキワ荘を再現した建物です。各所にエイジング(古く見せる演出)が施されており、昔の古いアパートを訪ねた気分にさせてくれます
入り口に入るとスタッフがおり、予約の有無を尋ねられます。予約したメールを見せると番号と名前を確認してもらい、靴を脱いで中に入ります。
こちらは土足禁止で素足もダメです。かならず靴下を履いて来場しましょう。
チケット売場でお金を支払うと、企画展の場合はチケットと記念バッチがもらえます。
最初の順路は階段を上った先にあるのですが、作りがしなやかで鳴り響くようになっています。
かつて手塚治虫が住んでいた頃に階段の音で誰が来たのか分かったというエピソードがあって、それを忠実に再現したものと思われます
最初に上った先がトイレ。ちなみにここは撮影が許可されたところとダメなところがはっきり分かれているので、今回は許可された部分しか撮影していません
トキワ荘の特徴は、トイレが二階にあったことです。排水路が一階まで一気に下るので、大の方をするとガシャーン!という音がしたとか。手塚治虫の漫画だと、ベランダから立ちションベンするなんてこともしていたようです
こちらは共同炊事場。レジェンドたちが顔を合わせて料理をしていたことを想像するとなかなか凄い光景です。
最初に上った先がトイレ。ちなみにここは撮影が許可されたところとダメなところがはっきり分かれているので、今回は許可された部分しか撮影していません
トキワ荘の特徴は、トイレが二階にあったことです。排水路が一階まで一気に下るので、大の方をするとガシャーン!という音がしたとか。手塚治虫の漫画だと、ベランダから立ちションベンするなんてこともしていたようです
こちらは共同炊事場。レジェンドたちが顔を合わせて料理をしていたことを想像するとなかなか凄い光景です。
ちなみに原稿料はそんなにもらっていなかったらしく、銭湯代を浮かすために赤塚不二夫などは流し台で体を洗っていたとか
こちらは手塚治虫や藤子不二雄Aや藤子・F・不二雄が暮らした部屋です。
こちらは手塚治虫や藤子不二雄Aや藤子・F・不二雄が暮らした部屋です。
ここのトキワ荘に最初に住み始めたのが手塚治虫です。
もともとは四谷にある八百屋さん(いまは甘栗太郎があるところ)の二階を下宿にしていたのですが、昼夜問わず編集者が来るため文句を言われ、このトキワ荘を紹介してもらいました
こちらは鈴木伸一や森安なおや、よこたたくおの部屋
この小綺麗な部屋は、水野英子。日本で初めて恋愛マンガを書いた人として知られています。トキワ荘では紅一点でした
山内ジョージの部屋。もともとここは石ノ森章太郎が仕事用に借りていた部屋なのですが、それをアシスタントの山内ジョージに住まわせました。手前の映画フィルムは石ノ森章太郎の物だそうです。とにかく漫画家はみんな映画が好きだったみたいです
ほかにも写真では撮影できませんでしたが、トキワ荘にまつわるエピソードなどが多く掲載されていて、椎名町(いまは南長崎に改名)に関係する話、それと以前は近くに鶴の湯(平成3年に閉店)というのがあってトキワ荘の住人たちはよく通っていたそうです。
今では信じられませんが、昔は300メートルごとに銭湯があったとか。特にこのあたりは銭湯の数で群を抜いていたそうです。それだけ風呂なしのアパートが多かったからなのでしょう
今回訪れたときは手塚治虫のジャングル大帝に関する特別展がありましたが、手塚治虫にまつわるエピソードも面白い話が沢山あって、とくにワガママに関する逸話はネタの定番になるほどです。
このあたりは秋田書店ででている「ブラックジャック創作秘話」に詳しいのですが、真夜中に突然スイカが食べたいと言い始めたり、六本木のコンソメスープが飲みたい、スリッパがないと漫画が描けない、差し歯がなくなった(どうやったら無くすのか?)等々。もはや難癖に近いワガママですが、極めつけは当時アシスタントをしていた寺沢武一の話です。
夜中にひとりだけ残されて仕事をしていると、手塚治虫から声を掛けられて「赤いきつね」を買ってきてくれと言われます。寺沢は近くのお店で買ってこようとすると、「下北沢の赤いきつねじゃないとダメなんだ!」と駄々をこねられたとか。もはや理解を越えた要求ですが、こうしたエピソードに関して同じくアシスタントをしていた池原しげといわく、人払いのためだったのではないかと推察しています。
たしかに赤いきつねが下北沢の売ってる物じゃないとダメだというのは一般常識のある人間の発言とは思えないし、それだと納得する部分が大きいなと思いました。
とにかく抱えた仕事量が膨大で常に睡眠不足でたえず人にまとわりつかれる状況だったので、完全に一人の時間がほしかったのかもしれません。
漫画の神様と呼ばれ多くの人から敬愛された手塚治虫ですが、若い才能ある漫画家には臆面もなく張り合ったり、意味不明な駄々をこねたり、チョコレートが大好きだったり、つねに子どもっぽいところがあり、そうしたところが手塚治虫の魅力でもありました。
漫画への執念と才能ある人間への対抗心、人への異常なまでの気遣い、アイデアが常に尽きないなど掘り下げれば下げるほどおもしろい人物です。