東西線の葛西駅に隣接する地下鉄博物館に行ってきました。今回の特別展は地下鉄の父と呼ばれる早川徳次に関するものです。
チケットを購入すると、入り口は改札口になってます。このあたりからコダワッテますね。
最初に出迎えてくれるのは昔の車両。当時の地上にある鉄道は地味な色ばかりだったそうですが、地下鉄は黄色や赤などビビッドな色が使われました。今見ても大胆で斬新な色使いです。
すみっこにあるのは早川徳次の胸像。こちらが東京の地下鉄を最初に提案し、実行し、経営した人物です。
開業ごとの記念チケット。
最初の銀座線は10銭均一だったので、チケットがありませんでした。なので記念チケットも当然ありません。
こちらは舞台裏コーナー。どうやって地下鉄が作られるのか、どのように整備しているかなどを解説してあります
副都心線の高低差が分かる模型があって
池袋から雑司が谷で一気に下るのは歩いていて実感しておりました。
渋谷ももちろん。谷とつく地名は文字通り谷になっております。
地下鉄を掘る際に、実際に使われたシールドマシンの刃です。
シールドマシンの後ろは延々と機械が連なっており、動く工場といった様相です。
パンタグラフなんかもあり
シミュレーションコーナーが特に充実しています。
お子さんたちが夢中になって遊んでいました。
今回の特別展は早川徳次さん。東京に地下鉄を作った人物です。
山梨県に生まれ、最初は政治家を志して後藤新平の秘書になるのですが、そのうちに鉄道に関わるようになって鉄道の重要性に開眼します。
ロンドンの地下鉄を視察して、東京にも地下鉄を作るべきだと決意します。それがのちに日本初(しいてはアジア初)の地下鉄になりました。
なにごとも先立つものは金ですが、その資金を巡って当初は苦労します。外資導入を検討しますが、同意直前に関東大震災が起きて見送られます。それからはじめに計画していた浅草ー新橋間の運行をとりやめ、浅草ー上野間に絞ります。
工事も決して順風満帆だったわけではなく、豪雨による浸水や陥没、事故によって進退伺いを求められる時もありましたが、「大事を成し遂げるには、 心の平静を保つことこそが最も必要」と信念を貫き、批判をしりぞけました。
運営に際しては当時の最先端技術を多く取り入れ、安全面でもATS(自動列車停止装置)が導入されるなど画期的なものばかりでした。
内装は豪華です。間接照明を使ったりと、デザイン性も秀逸でした。
今までにないオシャレな制服も採用され、煌びやかさが随所にみられました。
経営もやはり苦労の連続です。世間は不景気で、早く借金を返せの要望により一時期は倒産寸前まで追い込まれますが、どうにか持ちこたえます。
こうした金の苦労もあってか、経営の多角化に乗り出します。阪神急行電鉄(いまの阪急電鉄)の手法にならい、雷門ビルを建設。さらには日本初の地下商店街「上野地下鉄ストア」を開業します。
当時の人々は地下に商店街があるなんてびっくり仰天したと思います。現在はその跡地に東京メトロ本社ビルが建っています。
さらには百貨店と提携します。
さらには百貨店と提携します。
三越が本店前を通過することを知ると、駅の工事費を出す代わりに駅名を「三越前」にしてくれる?と提案します。お金を出してくれるならばお安いご用!と承諾します。
さらには、松屋(いまの松屋銀座)が身を乗り出してきて、金を出すから上野と末広町の間に駅作ってくれよと言われ、お金を出してくれるならばガッテン承知の助!と今度は上野広小路駅を作ります。とりあえずお金を出してくれればなんでもありだったようです。
日本橋駅は白木や高島屋、銀座駅は松屋が関わっています。のちにデパート巡り乗車券まで販売されます。
東京メトロってなんでこんなにデパートとつながってるんだろう?と思っていたのですが、こういう百貨店との蜜月は開業当初から始まっていたんですね。
こうした経営の才気煥発ぶりはほかでもみられました。
たとえば延伸によって浅草ー新橋間が開業した際には、3日間に限り運賃無料を計画。融通のきかない省庁から許可が下りないと、最高15銭だった運賃を3日間一律5銭にして、さらには福袋にお菓子とおもちゃを詰めて配り、記念乗車券を販売。くわえて流行歌のレコードを作成して、優待券と一緒に近くの喫茶店や食堂に配ったといいます。地域全体を巻き込んだイベントに発展して大いに盛り上がったようです。
デパート巡り乗車券は、いまはお得きっぷのハシりでした。
このように幾多の困難と試練に直面しましたが、創意工夫によって乗り越えて今に至ります。現在の様々なサービスも源流をたどれば、こうした早川徳次さんの始めたことが多いことに驚かされます。
「およそいかなる世にも仕事をするに大切なものはひとである。…殊に大切なのは人の和である」
「必要の事は何時か必ず実現する。必要は不可能のことすら可能に変へて行く」
こうした信念に基づき、反対や批判の声をはねのけて偉業を達成しました。
アイデアの創出とともに信念を貫く大切さはいつの時代も普遍なんだとあらためて思い知らされました。