思い入れがあった銭湯なら尚更気になるところです。
出典:サウナイキタイホームページ引用
出典:東京銭湯ホームページ引用
出典:新横浜新聞ホームページ引用
です。
▲さらに進めば浅草Roxの建物が見えるのですが、その手前のステーキ屋さんを右折します
▲ふれあい通りというところです
▲この路上を少し歩いて
▲右にスナック屋さんがみえるのですが
▲その細い路地に入ると
▲かつて蛇骨湯があった場所に到着します
出典:東京銭湯ホームページ引用
▲こんな銭湯でした
▲マンションが建つようです
▲地上14階と中々の高さ
▲実は先ほどの絵が書かれた場所が、その蛇骨湯跡でもありました
▲近隣のマンションの紹介写真
▲完成は2023年12月予定でした
六龍鉱泉
▲上野公園から上野動物園を歩いた先にあるのが六龍鉱泉です
▲ただ上野公園の入り口だと
▲桜が咲いてました。なんの桜だろう?
▲上野動物園を途中ですっ飛ばして水月ホテルまできました
▲ここは森鴎外さんが住んでた場所でもあります(ここも去年閉店)
▲ちょっと先に進めば動物園の医療センターがあります
コメントで更地になったと教えていただいたので上野に立ち寄ってついでに見てきました
すべて無くなり、更地となっていました。こうしてみると広い敷地に立っていたんだなと改めて思いました
世界湯
▲人形町にある世界湯
▲甘酒横丁という通りの近くにあるのですが
▲こういう食べ物屋さんが軒を連ねる場所です
▲ここは東京三大たい焼きの一つである柳屋があるところなので来たついでに食べてみようと思ったら
▲日曜日なのに閉店でした。なんでやねん!(コロナのせい?)
▲近くにすき焼きで有名な今半もあります
▲さて、甘酒横丁の右手側に入ると、閑静な住宅地になるのですが
▲こんな張り紙が
▲至る所にありました
▲これが世界湯の跡地
出典:東京銭湯ホームページ引用
▲当時の世界湯。なかなか渋い建物でしたので、無くなったのは残念です
出典:東京銭湯ホームページ引用
▲こちらもマンションが建つようです
▲景観を保つためなのか、周辺の住民からあまり歓迎されてないようでした
▲小机駅を振り返ります
▲大通りにでると
▲右(鴨居方面)にむかいます
▲ここらへんで立ち止まると
▲左を向けば
▲かつて藤の湯があった場所。駐車場に様変わりしていました
出典:新横浜新聞ホームページ引用
▲往年の藤の湯
▲同じ角度から撮影したもの
出典:LIVING田園都市ホームページ引用
出典:LIVING田園都市ホームページ引用
出典:LIVING田園都市ホームページ引用
銭湯によってはそのままだったり、新しい建物に生まれ変わったり…。
今回は各地に起きた銭湯の“その後”を追いかけてみたいと思います。
今回紹介するのは、
・蛇骨湯(東京・浅草)
出典:サウナイキタイホームページ引用
・六龍鉱泉(東京・上野)
・世界湯(東京・人形町)
出典:東京銭湯ホームページ引用
・藤の湯(横浜・小机)
出典:新横浜新聞ホームページ引用
です。
蛇骨湯
江戸時代-2019
▲最寄り駅は東京メトロ銀座線の田原町駅で、有名な八ッ目ウナギのところまで歩きます
▲国際通りを北に向かってズイズイ進むと
▲国際的?な集団の絵があり
▲さらに進めば浅草Roxの建物が見えるのですが、その手前のステーキ屋さんを右折します
▲ふれあい通りというところです
▲この路上を少し歩いて
▲右にスナック屋さんがみえるのですが
▲その細い路地に入ると
▲かつて蛇骨湯があった場所に到着します
▲「男はつらいよ」で有名な渥美清も通った銭湯です
出典:東京銭湯ホームページ引用
▲同じ方向から撮影したかつての蛇骨湯
▲同じ方向から撮影したかつての蛇骨湯
出典:東京銭湯ホームページ引用
▲こんな銭湯でした
▲マンションが建つようです
▲地上14階と中々の高さ
▲実は先ほどの絵が書かれた場所が、その蛇骨湯跡でもありました
▲まだ基礎固めの段階のようですね
▲近隣のマンションの紹介写真
▲だいたいこんなのができるのではないかと思われます
▲完成は2023年12月予定でした
六龍鉱泉
1931-2020
▲上野公園から上野動物園を歩いた先にあるのが六龍鉱泉です
▲3月上旬に訪れたので当然ながらソメイヨシノは開花してませんでした
▲ただ上野公園の入り口だと
▲桜が咲いてました。なんの桜だろう?
▲上野動物園を途中ですっ飛ばして水月ホテルまできました
▲ここは森鴎外さんが住んでた場所でもあります(ここも去年閉店)
▲ちょっと先に進めば動物園の医療センターがあります
▲道路を隔てた前には、古い建築様式を残した建物
▲ちゃんと案内板もありました
▲建てた当時の洋館は珍しかったらしく見学者があとをたたなかったとか
▲その奥の脇にある路地に進むと
▲六龍鉱泉があります。建物はそのまま現存されていました
▲2020年8月に閉店しましたが、まだ張り紙がそのまま
▲別れを惜しむ人たちの書き込みがありました。やはりその後が気になって訪ねる人がいるようですね
▲当時を偲ぶ写真もそのままです
▲ちゃんと案内板もありました
▲建てた当時の洋館は珍しかったらしく見学者があとをたたなかったとか
▲その奥の脇にある路地に進むと
▲六龍鉱泉があります。建物はそのまま現存されていました
▲2020年8月に閉店しましたが、まだ張り紙がそのまま
▲別れを惜しむ人たちの書き込みがありました。やはりその後が気になって訪ねる人がいるようですね
▲当時を偲ぶ写真もそのままです
2022/1/16追記
コメントで更地になったと教えていただいたので上野に立ち寄ってついでに見てきました
すべて無くなり、更地となっていました。こうしてみると広い敷地に立っていたんだなと改めて思いました
世界湯
1887-2020
▲人形町にある世界湯
▲甘酒横丁という通りの近くにあるのですが
▲こういう食べ物屋さんが軒を連ねる場所です
▲ここは東京三大たい焼きの一つである柳屋があるところなので来たついでに食べてみようと思ったら
▲日曜日なのに閉店でした。なんでやねん!(コロナのせい?)
▲近くにすき焼きで有名な今半もあります
▲さて、甘酒横丁の右手側に入ると、閑静な住宅地になるのですが
▲こんな張り紙が
▲至る所にありました
▲これが世界湯の跡地
出典:東京銭湯ホームページ引用
▲当時の世界湯。なかなか渋い建物でしたので、無くなったのは残念です
出典:東京銭湯ホームページ引用
▲こちらもマンションが建つようです
▲景観を保つためなのか、周辺の住民からあまり歓迎されてないようでした
藤の湯
1927-2016
▲日産スタジアムの最寄り駅である小机駅
▲左が改札口で、写真奥に進むと日産スタジアムがあります。手前が今回の藤の湯があった方面です
▲小机駅を振り返ります
▲大通りにでると
▲右(鴨居方面)にむかいます
▲ここらへんで立ち止まると
▲左を向けば
▲かつて藤の湯があった場所。駐車場に様変わりしていました
出典:新横浜新聞ホームページ引用
▲往年の藤の湯
▲同じ角度から撮影したもの
ここは銭湯巡りを始める前に、大人になってはじめて訪れた銭湯でした。とはいえこの時に銭湯巡りを始めようと思ったわけでなく、むしろ銭湯から遠ざかったぐらいです。
かなり設備が老朽化してて、シャワーの使い勝手がめちゃくちゃ悪く、お湯が半端なく熱いという(50℃近くだったらしい)、銭湯デビューするにはあまりにハードルの高いところでした。
出典:LIVING田園都市ホームページ引用
出典:LIVING田園都市ホームページ引用
かなり後になってから銭湯巡りを始め、そういえば小机にも銭湯があったなと思い出して足を運んだときには廃業していました。
誰かしら記録は残しているもので、藤の湯を訪ねた女性記者によると、女湯の脱衣場では高齢犬が横たわっており、寝たきりの犬を介護しながら銭湯を運営していたようです。
おそらくワンちゃんが死んだあたりで銭湯の廃業を決めたのかもしれません。
出典:LIVING田園都市ホームページ引用
銭湯によっては閉店理由もそれぞれあり、その後の形にも色々ありました。
一つひとつの銭湯にはそれぞれの物語があります。
また機会があれば、閉店後の銭湯跡地を訪ねてみたいと思います。
ーおわりー
東京もGoogleマップとかで下調べしていると、「お、こんなところに銭湯あるやん」とか思って改めて確認したらデイサービスでしたなんてことがけっこうありますねぇ。
デイサービスの方が儲けがあるのかなぁ?なんて思ったりします。
蛇骨湯は、再開発とは知ってたので、そろそろ建物もいい感じで出来てるのかなと思ったら、まだ地ならし中でビックリです。
しかし、あの一等地を更地にするだけソートーな金が飛び交ったでしょうね。
蛇骨湯と六龍鉱泉、知ってます。いいお風呂でした…。
閉店後にマンション、デイサービスは確かに多いですよね。あとスポーツジムもありますね。
豊島区北大塚に千代田湯という、古くて熱くて、でも珍しく浴槽全部が薬湯、という銭湯があったんです。ご存知でしょうか?
2019年に閉店して、去年解体されたんですけど、解体途中に通りがかりました。
ペンキ絵が描かれた壁がむき出しになっていて、男湯と女湯のペンキ絵を同時に見ることができました。
銭湯解体、で検索するとこういう画像結構出てきますけど、生で見たので感動しました。
ここのペンキ絵は変わっていて、北アルプスと北陸新幹線の絵なんです(店主が富山の人らしい)。男湯も同じ絵柄だと初めて知りました。
写真見せたいな〜でもSNSやってないしな〜。どなたかが画像アップしてくれているかも知れません。
こんにちは。
千代田湯は知りませんでした。ここ最近は閉店になる銭湯を積極的に巡ってるのですが、その当時はそれほど強く意識していなくて、たぶん目には止まっても記憶に残らなかったです。
Googleで検索したら、通常だと裏側にある薪が表玄関前に積み重なっていて、その隣にはひっそりとアジサイの花が咲いている味わい深い銭湯だったんですね。
自分も銭湯の解体現場は一度見てみたいんですよ! ただかなり難しいでしょうね。それこそ常日頃おなじ場所を歩かないとなかなか遭遇できないかなと思ってます。
東京はほんと富山出身の創業者が多いと思います。たまに脱衣場にある冊子を手に取ると、だいたい創業者が北陸地方から来たというエピソードで満載です。
父方のおじいちゃんが富山出身なので(もとをたどるとルーツは大阪なのですが)、なんとなく親近感が湧きます笑
いまの東京にある銭湯は元来あった東京の銭湯文化と北陸の銭湯文化が入り交じった姿なのかなと思ってます。
私は六龍鉱泉の近くに住んでおります。
2021年11月現在、完全に更地になっています...涙
再開は厳しいと思っていましたが、建物まで取り壊してしまったんですね。
貴重な建物だったし、多くのファンから愛されていただけに残念です。
また一つ、歴史の痕跡がなくなってしまったという思いです。