音の四季~風の彩

作曲家、しの笛・龍笛奏者、ジャズピアニスト、城山如水の徒然日記。
オカリナ、フルートの事も・・・・

マスコミの大衆操作を見抜く賢明さ

2012年11月13日 | 日常雑感
マスコミ、ジャーナリズムが一斉に同じことを書きたてるという状況が現代には多い。

一つ、二つくらいのジャーナリズムは、反対の記事を書いてもよいのになあ、と思うことが多い。

ことに政治について、永田町の動きに対しては、ジャーナリズムが一斉に同じ事を書きたてる傾向が顕著であると思う。

これはまさしく、マスコミの劣化であり、思考力の劣化であろうと思う。

あるいは、なんらかの大衆操作が働いていると考えられなくもない。
原発事故報道の時のように。

低俗な軽薄なネタを騒ぎ立てると関心を引く、売れるという構図もはっきりと見える。

放送業界が視聴率だけを頼りに、どんどん劣化、軽薄化して、ついに大衆から見放されようとしているのと似ている。

一般の人達も、薄々、マスコミ・ジャーナリズムのこういった軽薄化、劣化に気づき始めたようだ。

新聞やテレビが一斉に「解散総選挙の時期」などと騒ぎ立てると、冷静な大衆であれば、それはありえないと判断がつく。

まず憲法にのっとった、選挙制度の違憲状態が解消されてからのことだと。
0増5減、国会議員の50議席の削減など、十分な制度を整えてからだと。

それを忘れて、軽薄に騒ぎ立てるジャーナリズムの劣化ぶりは、国民の目から見ると問題外だ。

ある利権の為に大衆操作をしているだけだと、薄々国民にも分ってきたからだ。
このことは原発事故報道において、国民がはっきりと気づいたことでもある。

議会制民主主義の根幹・三権分立を破壊するマスコミ・ジャーナリズムと政治家は、国民にとっては無用の存在であろうと思う。


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