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若きマケドニア王に「大王」の名が冠せられたのが「ガウガメラの戦い」での勝利だった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%A6%E3%…6%E3%81%84
ギリシャを統一したマケドニア王・アレキサンダーは世界征服を目指して、最大の帝国・ダレイオス王のペルシャ帝国へ軍を進める。
アレキサンダー軍とダレイオス軍が激突したのが紀元前331年の「ガウガメラの戦い」
この時の兵力は数の上では圧倒的にペルシャ軍が有利だった。
ダレイオス軍25万に対するアレキサンダー軍は4万5千しかなかった。
しかし天才的な戦略家で自ら突撃する勇敢なアレキサンダーに率いられた4万5千のマケドニア軍は25万のペルシャ軍を混乱に陥れ敗送させる。
この戦いにおけるアレキサンダーの戦略と戦機の判断は驚くべきもので、その戦法は現代の戦闘にも通用するという。
アレキサンダー軍は当時では画期的な方陣・ファランクスという陣形を取る。
このファランクスの兵士が持つ槍は5mあり、当時の歩兵がもつ2・5mの槍をはるかに上回る長さだった。
このファランクスの突進はハリネズミの突進といってよかった。
ダレイオス軍には無敵の槍戦車があったが、アレキサンダーは戦車の馬の性質を利用して総ての戦車を壊滅させる。
さらに天才的だったのはダレイオス軍25万が横に4kmの陣を布いたのに対してアレキサンダーは正面から対峙しなかったことだ。
左翼を下げて斜めに対峙したのだ。この陣形にダレイオス軍は動揺する。
さらにアレキサンダーは騎兵を率いて左へ左へと移動を続け、遂には戦場から離脱してしまう。
正面にはファランクスが突撃しているので、ダレイス軍の騎兵もアレキサンダーを追って左へ移動していった。
そしてダレイオス軍の中央に割れ目、隙間が生じた。
アレキサンダーが天才的なのは、この割れ目を見逃さず160度旋回して自ら騎兵の先頭に立ってダレイオス軍に切り込んだことだ。
敵に対して斜めに布陣し、空いた空間に敵をおびき寄せ無敵の戦車部隊を壊滅させ、さらに左に移動することによって長大な敵陣に割れ目を生じさせ、そこに向かって急旋回突撃するという見事な戦術だ。
アレキサンダーの戦略のさらに見事なところは騎兵の背後に投石・投槍・短弓部隊を隠し、敵の騎兵が突撃してきたところで、この部隊を正面に出して撃滅した戦略だ。
アレキサンダー軍は必ずしも有利ではなかった。
しかし数では5倍に勝る25万のペルシャ帝国・ダレイオス軍を敗送させた。
20代の若きマケドニア王に「大王」という名が与えられたのも当然といえる。
一度も負けることなく大帝国を作り上げ32歳で世を去った若きアレキサンダーはまさに「アレキサンダー大王」の名にふさわしい、西洋史上最強の戦略家であった。