音の四季~風の彩

作曲家、しの笛・龍笛奏者、ジャズピアニスト、城山如水の徒然日記。
オカリナ、フルートの事も・・・・

終戦記念日 恒久平和へ地球連邦の樹立

2011年08月15日 | 日常雑感
8月15日は あの悲惨な太平洋戦争が終結した日。

戦争の記憶も薄れ、有識者のあいだには憲法第9条を改正して日本再軍備を、という声も聞かれるようになった。

世界ではテロ戦争、経済戦争、領土問題紛争など争いが収まる気配がない。

ここで恒久平和のための夢物語を書いてみたいと思う。

<地球連邦>の樹立による戦争のない地球の実現だ。

日本では昔、戦国時代があって この狭い日本に群雄が割拠し甲斐の国、越後の国、三河の国・・・たくさんの国に分かれて戦っていた。

しかし現在は日本国となり、各地方が対抗して戦争をすることもない。

現在の地球世界は、ちょうど戦国時代の日本のように見える。

この狭い地球で、民族、宗教、イデオロギーなどの違いにより、小さな国に分かれて戦争を繰り返している。

この狭い地球の上で、経済格差、エネルギー、食料格差、教育格差・・・を生み、その争奪戦のために戦争を繰り返している。

人類が将来、戦争のない世界に生き残るには、それらを解消する地球連邦の樹立しかないのではないかと思われる。

地球連邦のもとに、日本州、中華州、ヨーロッパ州、アメリカ州、アフリカ州・・・が存在する世界だ。

地球上には白人、黒人、黄色人種がいる。またキリスト教、イスラム教、仏教、その他様々な宗教による文明と民族が存在する。

これらが大小たくさんの国に分かれて紛争している。

冷静に見てみると、これは日本の戦国時代における国盗り合戦と少しも変わらない。
あるいは<おらが村の水利権争い>とすこしも変わらない。

戦国時代から現代の日本に進展したように、世界も地球連邦に進展しなくてはならないだろう。

そのためには民族、宗教、国家が違っても、人類は<人間>であるという一点で皆同じなのだ、という「哲学」と「実質的コンセンサス」が共有されなければならないだろう。

その為に必要なのは徹底した「平和教育」である。排他的ではない全人的で包括的な平和教育である。

ナポレオンだったかの言葉に「ペンは剣よりも強し」というのがあったと思う。それは過去も現在も未来も変わることはない。

平和教育は平和の基礎的条件であり、平和の確立は<平和達成能力の教育>のみが成し得るのである。

国連の第3回総会(1948年12月10日)で採択された世界人権宣言26条2項には、
「教育は、すべての国又は人種的もしくは宗教的集団の相互間の理解、寛容および友好的関係を増進し、かつ、平和維持のため、国際連合の活動を促進するものでなければならない」とある。

1951年7月2日に発効したユネスコ憲章には、
平和のための教育を、正義・自由のための教育とともに、人間の尊厳に欠かせないものであり、すべての国民が相互援助の精神をもって果たさなければならない神聖な義務であるとしている。

また我が国においては、1947年3月31日に施行された教育基本法で、日本国憲法の平和主義を受けて、
「われらは、さきに、日本国憲法を制定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」と述べている。

これらの崇高な理想にもかかわらず、地球上では平和が維持できていない。

教育はその力を発揮していないのだろうか。

そうではない。<平和の価値>よりも<国家の経済的利益>を優先させ<軍事遂行能力の形成>を推進あるいは容認する教育が主流となり続けているからにほかならない。

<軍事遂行能力>による<力の均衡>の発想を超える、平和的に紛争を解決しうる明敏な科学的能力、いいかえれば<平和達成能力>を教育によって形成できるかどうか。
人類の未来はここにかかっている。

その暁に、恒久平和の地球には、地球連邦が成立していることだろう。

それができない時、人類に残されているのは滅亡への道だろう。


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