![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/e5/ae65e166512227e07d8a1be50e483d77.jpg)
美しい芸術文化は平和の象徴であるし、また平和でなければ実り豊かな芸術文化も花開かない。
ところで有史以来、人類の歴史は戦争の歴史でもあった。
地球上に戦争のない時代は無かった。
最大の戦争は20世紀の二度の世界大戦であったし、現代も相変わらず戦争は続いている。
これは人間が持つ「攻撃性」のなせる技であるし、それと対極にあってバランスを保っているのが「愛の力」なるものだ。
では人間の「攻撃性」をどう扱えばいいかとなると・・・
「攻撃性」の昇華された姿はスポーツに端的に見ることができる。
他に「攻撃性」の昇華はないかと言うと、芸術全般がそれに当たるという。
文学、美術、音楽・・・など総ての芸術、自己表現なるものは「攻撃性」の昇華とされる。
たしかに前衛的、尖鋭的な芸術、優れた芸術というものは、既存の芸術に対して、挑むかのような表現や姿勢を見せる。
尖鋭的な文学は時代に対して鋭い切り込みを見せるものだし、前衛的な音楽の初演は、大抵、怒号に包まれた賛否両論の応酬だった。
そういった前衛芸術に限らず、我々が普通に自己表現として行う芸術活動も実は「攻撃性」の昇華と言えるものなのだ。
したがって、芸術は「攻撃性」を昇華するものであるが故に、戦争を回避する「平和の力」になりうる。
各自が豊かに創造的自己表現できる、芸術文化の豊かな世界は、戦争を回避する平和な世界でもあるのだ。
それゆえに、学校の学習過程が理数中心の実務的体系になり、音楽、美術、文学、歴史・・・といった教科を排除する現状が、
どういった未来を生むかは容易に想像がつく。