音の四季~風の彩

作曲家、しの笛・龍笛奏者、ジャズピアニスト、城山如水の徒然日記。
オカリナ、フルートの事も・・・・

安部総理という政治家 の 浅知恵PKO

2013年10月22日 | 裏読み 政治・経済


安部総理という「極右ナショナリスト」政冶家とその周辺政治家達には、本当に困ったものだと思う。

未だに「強い国家」などを掲げる前近代的思考には全く呆れる。

民族、民衆の拠り所として「国家」を崇拝することは、ある種の「宗教」と見られる。

事実「極右ナショナリスト」である安部総理の国家観は「天皇と神道」崇拝という「宗教国家」そのものであろうと思われる。

グローバル化した現代では、もはや「国家」は「崇拝の対象」とはなりえない。

「国家」よりも強いのは「企業」への帰属意識であり「人権・人命の尊重」の意識なのだ。

「人権・人命の尊重意識」はすでに「国家」の存在を疎ましく思うようになっている。

「企業」は「国家」の存在を邪魔に思うほどにグローバル化しているし、それが現実なのだ。

交通網の発達とネット化の急激な進歩により、世界は「地球連邦政府」か「核戦争」かの二者択一の状況になっている。

「国家」が人間を疎外する究極が「戦争」であり、もはや現代人は「国家崇拝」の為に「命を国家に捧げる」ことはありえない。

究極の「人間疎外」である「国家の戦争」の為に「命を捧げる人間」はもはや存在しないといっていいだろうと思う。

「国家」から疎外された人間は必ず反乱・反抗に出る。

現代人は「人権・人命尊重」について十分啓発されているからだ。

現代人は「国家」よりも「人類、地球」を尊重する視点に立っている。

もはや「国家」は連邦国家の各州、あるいは地方自治体、あるいは地方社会組織の位置にある。

もはや民族の「帰属崇拝の対象」ではありえない。

この現状と正反対の方向を向いて進んでいるのが「極右ナショナリスト」集団である、安部総理と周辺政治家だろうと自分は見ている。

もし日本がそのような時代錯誤の「神道宗教国家」に進むのだったら、自分はさっさと日本からおさらばしたいと思う。
日本人である前に「人類」であり「地球人」であるので、何も日本に固執して生きる必要はないと思うからだ。

「国家崇拝」は太平洋戦争の終結と共に終わった。

「人類の人権と人命の尊重」こそ全人類が志向しているものだからだ。

集団的自衛権の行使は国民を「戦場・戦争」に送り込む行為だ。
「国家」が国民を「疎外」する究極の行為だ。

啓発された現代人が、もはや「国家」の為に命を捧げることなどありえないと思われる。


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