音の四季~風の彩

作曲家、しの笛・龍笛奏者、ジャズピアニスト、城山如水の徒然日記。
オカリナ、フルートの事も・・・・

国家神道を知らない? 政府政治家

2013年04月22日 | 日常雑感


内閣閣僚の靖国神社参拝が諸外国にどれほどの違和感と危惧を与えるかを知らない、閣僚級政治家を見ていると、全然勉強してないんじゃあないの?と疑ってしまう。

日本軍国主義のシンボルである靖国神社への参拝が何を意味するか、くらいは我々平民でも分るのに、政府の要人が分らないとは情けないと思う。

外交感覚と国際感覚に全く欠けるとしかいいようがない。

現代の日本を引っ張っていこうという政治家ならば、まず「国家神道」なるものをしっかり勉強しなおしてもらいたい。

「天皇現人神」とし「神道」はすべての宗教を超越せるものであるとして、国教化したのが「国家神道」だった。

もちろん「神道は宗教にあらず」などというのは天皇を「現人神」として絶対化するための詭弁にすぎない。

軍部政府、軍部権力はこの「国家神道」を軍国主義日本を統合する精神的支柱として利用した。

つまり国家権力と宗教の「政教一致」が「国家神道」であった。

この国家神道こそが日本を軍国主義ファシズム、神国日本へと狂信的に突進させた精神的支柱であった。

終戦後の「日本国憲法」は「国家神道」のような「政教一致」が二度と復活しないように「政教分離」の原則を定め、「信教の自由、思想信条の自由」を保障している。

この自由主義憲法の精神を公然と無視しているのが、政府閣僚政治家の皆さんであると思う。

つまり靖国神社に参拝することは憲法の精神を踏みにじり、軍国主義に逆戻りする動きであることに、現代日本をリードする政治家なら気づいていなければならないと思う。

「日本の為に命を捧げた英霊に哀悼の意を表する」というのも、まったく見当違いの詭弁にしか聞こえない。
というか、現代政治家として、国際的に通用すると思っているのか疑わしい。

230万人もの若者や兵士を玉砕と餓死と特攻の死に追いやったのは、軍国主義、国家神道である。

軍国主義、国家神道のシンボルである靖国神社に、現代の政治家が参拝するということは、軍国主義・国家神道への逆行であると認識できないのが不思議でしようがない。

というより、国民感情としては、大切な親兄弟、家族、恋人・・・を太平洋戦争に引きずり込んだ、軍国主義の精神的支柱である国家神道のシンボルに、わざわざ閣僚が参拝する無神経が理解できない。

「お国の為に死んだ英霊に哀悼を捧げる」などというのなら、「国家神道」に対して「なぜ230万人もの兵士、若者を無残な死に追いやった」といいたい。

なぜ「お国の為に命を捧げて、軍神となって靖国で再会しよう」などと煽って、230万人もの兵士や若者達を特攻や玉砕に追いやった、と言いたい。

これは正直な自分の気持ちであり、軍国主義と国家神道への怒りである。

そして軍国主義、国家神道へ逆戻りしようとする政治家達への怒りの気持ちである。

現代は幸いにも憲法により「言論の自由、思想・信条の自由、信教の自由」が保障されている。

したがって、自分のように軍国主義と国家神道にはっきりNOという人達がいる。

また、軍国主義、国家神道に対して賛同する人達がいても当然かまわないことだ。

ここは国政選挙で決着をつけるのが民主主義だ。

多いに言論を戦わせるのが民主主義だ。
国民が自分達の意志をはっきり表明しないのが一番よくない。
長いものには巻かれろというのが、一番よくない。
軍国主義復活、国家神道、言論統制への逆行へ、国民一人ひとりが、どんどん意見を述べていくことが大事だ。

国政の主権者は国民なのだから。主権在民だ。

国民の間で、憲法改正、軍国主義・国家神道、靖国神社の政教一致についての議論が盛り上がることに多いに期待している。


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