安部総理という人には、「日本の民主主義を守る」という観点から、少なくとも二つの重大欠陥がある。
一つは「歴史認識の欠如」
もう一つは「現代憲法に対する認識の欠如」
安部総理という人には「歴史認識」が決定的に欠如している。
それは勉強していないのか、知ろうとしないのか、あるいは認めたくないのか、そこは定かではないが。
「公人の靖国神社参拝」が国際的にどういう影響を与えるかがわかっていない。
というより「靖国神社参拝」の意味を正しく理解していないように見える。
まず、太平洋戦争は「天皇現人神」とする「国家神道」を精神的支柱とする「軍国主義ファシズム」と「自由民主主義」の戦いであったといえる。
「国家神道」は「天皇を現人神」とする神社神道が「軍国主義ファシズム」と結びついて「国教化」したものであった。
そのシンボルが「靖国神社」だった。
そのために「信教の自由」ばかりか「思想・信条の自由、表現の自由、結社の自由・・・など、あらゆる自由が奪われて弾圧された。
終戦後、ホワイトハウスは「国家神道」のような「政教一致」が起こらないようにするために、天皇の戦争責任を断罪し、靖国神社を一掃する意向だった。
しかし「天皇」が「人間宣言」をされたため、「天皇は国民の象徴」となり、戦争責任の訴追からは除外された。
そして、日本に始めて「自由民主主義」がもたらされ、日本国民は「国家神道」と「軍国主義ファシズム」から開放された。
したがって「公人の靖国参拝」が諸外国にどう映るかというと、「自由民主主義国家」から「国家神道・軍国主義国ファシズム国家」に逆戻りするの?「もう一度戦争やるの、太平洋戦争をやり直すの?」と映るわけなのだ。
この国際感覚の無さはとりもなおさず「歴史認識の欠如」からきている。
春の例大祭における国連事務総長の「安部政権批判」はしごく全うなことであり、事務総長が韓国人だからではない。
この国連事務総長の批判に対してまで、安っぽいナショナリズムを引っ張り出して、騒ぎ立てるようであるなら、国際的な国益の面からしても安部総理に退場いただくほかない。
それほど、この安部総理という人の「歴史認識」は稚拙だと思う。
もうひとつの重大な欠陥は「現代における憲法認識の欠如」だ。
「自主憲法制定」が悲願だというが、現在の「恒久平和主義」という世界が目指す「理想と崇高な理念」を謳う「日本国憲法」に変えて、時代錯誤の「自主憲法」などに改憲されたら国民はたまったものではない。
「個人的人権の尊重」を謳った現憲法から「国家の為の人」という「人権の逆転」を目指す憲法改正は「表現の自由、思想・信条の自由」まで奪うものといえる。
「改憲自主憲法」には近代憲法の「憲法は国家権力の暴走から国民の権利を守る」ものである、という理念が無い。
国家権力、国家の維持の為に、国民に義務を課すという、正反対の文言を盛り込んだ、「国家主義的憲法」といえるだろう。
現在の「日本国憲法」の「崇高な理念」の足元にも及ばない。
おそらく安部総理という人は現在の「日本国憲法」について、ほとんど勉強していないか、知らないのではないかと思われる。
「一票の格差解消」はほったらかしだ。三権分立の理念を知っているなら、これほど呆れた無法行為はしないと思われる。
安部総理はまず現在の「日本国憲法」をしっかり勉強するべきだと思う。
そうすれば「自主憲法案」の誤りにも気が付けると思う。
国連事務総長の「安部政権批判」は「右傾化、軍国主義化」に対する国際的警告のチャンネルのひとつにすぎない。
あらゆる外交チャンネルが「安部政権」の「右傾化」に続々と警告を発し続けることは、国際的常識となっている。
今回の参拝でもアメリカは「失望した」というメッセージを発した。
アメリカだけではない、全世界が安部という「極右ナショナリスト」に失望のメッセージを発した。
これは当然予想されたことであるのだから、安部愚総理の「歴史認識の欠如」「憲法認識の欠如」さらに「国際感覚の決定的欠如」に対して、日本国民は失望するほかない。
日本の「安全と平和」を脅かす危険な「極右軍国主義総理」にたいして、謹んで「愚宰相~平成のヒトラー」というお名前を献上したいと思う。