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2月11日は建国記念日。この日は我が息子の誕生日でもある。
なので、息子が神武天皇を崇め日本を背負っていこうと愛国心を燃やしているかというと、全くそうではないようだ。
日本の建国記念日は初代天皇とされる、神武天皇の即位から制定されたものである。
したがって、全く歴史的根拠を持たず、真実性も無い。
自分が数年にわたって、古事記・日本書紀、いわゆる記紀にこだわって、自分なりにではあるが研究を進めてきたのは、日本国成立の起源に迫りたいと思ったからでもある。
結論からいうと、記紀の神武天皇から始まる建国神話は非常に怪しいものであり、あえていうと、古代におけるヤマトから崇神天皇までの記紀の記述には、書き換え、あるいは隠匿がかなりあるものと思われる。
それはなぜか。
記紀編纂にあたって、藤原氏が深く係わっている為である。
すなわち、京都芸大学長であった梅原猛の指摘のように、古事記を太安万侶に口述した稗田阿礼は、誰あろう藤原不比等その人である、と目されるからである。
つまり、古事記・日本書紀は、その後、現代に至るまで天皇家に大きな影響力を持ち続けた、藤原氏の正当性を記述したものに他ならないと見られるからである。
記紀はその編纂を命じた天武天皇の為に書かれたものではなく、藤原氏の為に書かれた史書であると目されるからである。
したがって、神武天皇の建国神話は正確な史実とは言いがたいし、真実の歴史的事実ともいいがたい。
教育者達がこぞって、建国記念日に反対集会をもつ意味もここにある。
天皇が日本の元首であるということも、疑わしいというのが真実だろう。
天皇家の起源は怪しいものだが、しかし歴史時代に入ってから天皇家が脈々と現代まで続いてきたのも事実だ。
したがって、自分は天皇は日本の歴史遺産であり、国民の象徴であると考えている。
民主主義の現代にあっては、国の主権者であり元首は、国民であることは間違いない。
現政権が、天皇を日本国の元首に、そして神国日本の為に軍隊を持つべく憲法改正を進めようとしていることがあらわになってきているようだ。
日本国統合の象徴としては、天皇は権力者が「利用」しやすい存在であることはよくわかる。
しかし真実の歴史は、どうであったかは霧の中なのである。
日本人が民族的ステータスとアイデンティティを持ちたいという意識はよく分る。
しかし安易に天皇を「日本国の元首」と憲法で定めることに、一番反対されるのは、おそらく天皇家ではないかと推測される。
なぜなら、太平洋戦争において「国家神道」という大きな過ちを犯したことへの反省から、「天皇人間宣言」をされたからである。
天皇は「神」ではなく「人間」であり「国民の象徴」であると自ら宣言されたからである。
日本国民は「古事記・日本書紀」をもっともっと研究するべきであろうと思う。
そして現代の科学的な真実を見る目で、神武天皇とヤマト建国神話を検証する必要があると思う。
その結果として、建国記念日をファンタジックに、シンボリックに「2月11日」と定めればよいことだと思う。
ともかく誤った歴史を正しいと思いこむこと、誤った歴史・神話をあたかも「事実」であるかのように国民に教え込み、刷り込む行為こそ、国を滅ぼす元凶になると思う。
記紀、天孫降臨、神武天皇、ヤマト建国神話を、無理やり真実のように教え、定めることこそ国を滅ぼす元凶になることは間違いないと思う。
「古事記・日本書紀」を科学的に正しく読み、天皇家に対しても正しく認識することが、民主主義国家・日本の国民の姿勢であるべきだろうと思う。
天皇を国家元首として利用して「国家神道・国家主義、軍国主義」に突き進んで滅んだ「軍国主義、大日本帝国」の二の舞にならないようにする為にも。