★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
新島八重の名言 「幸福を標的としよう。これこそ永遠のものだから」
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
▼新島八重の生涯は、およそ三つの時代に分けて考えることができそうです。
一つ目は、会津若松に生まれ育ち、戊辰戦争で洋式銃を執って戦いぬいた娘時代。
(「幕末のジャンヌ・ダルク」と言われる)
二つ目は、のちに兄の覚馬を頼って京都に出て新島襄と結婚、
洋装のクリスチャン・レディとして生きた時代。
(夫も認める先進的な「ハンサムウーマン」)
そして襄の死後、篤志看護婦として日清・日露戦争時に救護活動に駈けつけた晩年です。
(「日本のナイチンゲール」とも言われる)
▼彼女は時代の荒波に揉まれながらも、ひたすら自他の幸福を求め、
強固な意志を持って、常にポジティブに生き抜いたのです。