クラウス・ペーター・フロールのチャイコフスキーは
やはりロシアオケのそれとは明らかに色合いが異なった。
パワフルかつ優雅というよりも
地鳴りを起こそうとする荘厳さと
決して均整を崩さない旋律。
グローバルなこの時世、
マエストロがドイツ人だからという
因果論を語るのは時代錯誤かも知れない。
しかしやはり「血」はあるのだろうか?
やはりマエストロのドイツ人の「血」が
このような演奏を産むのだろうか?
私はそもそも「正統ドイツ派」だの
「フランス人のエスプリ」だの言った
うたい文句は好きではない。
民族より個人の音楽性こそが
音楽性において重要だと考えるからだ。
でないと日本人は永遠に西洋音楽なんてできやしない。
でもやはりマエストロのドイツ人としての
「血」として以外この演奏は解釈出来ない。
大フィルも精一杯応えていたが
地鳴りまでは行かず、強震程度か。
モーツァルトは昨年特に40番は散々聴いたが近年で一番。
マエストロの解釈は短調ほか調性を強く意識した解釈で
堅固な音響のもとの調性の変化がよく伝わった。
(曲目)
モーツァルト:交響曲第40番
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
※音楽監督大植英次が怪我で降板のための代演。
プログラムもマーラー「交響曲第9番」から変更
やはりロシアオケのそれとは明らかに色合いが異なった。
パワフルかつ優雅というよりも
地鳴りを起こそうとする荘厳さと
決して均整を崩さない旋律。
グローバルなこの時世、
マエストロがドイツ人だからという
因果論を語るのは時代錯誤かも知れない。
しかしやはり「血」はあるのだろうか?
やはりマエストロのドイツ人の「血」が
このような演奏を産むのだろうか?
私はそもそも「正統ドイツ派」だの
「フランス人のエスプリ」だの言った
うたい文句は好きではない。
民族より個人の音楽性こそが
音楽性において重要だと考えるからだ。
でないと日本人は永遠に西洋音楽なんてできやしない。
でもやはりマエストロのドイツ人としての
「血」として以外この演奏は解釈出来ない。
大フィルも精一杯応えていたが
地鳴りまでは行かず、強震程度か。
モーツァルトは昨年特に40番は散々聴いたが近年で一番。
マエストロの解釈は短調ほか調性を強く意識した解釈で
堅固な音響のもとの調性の変化がよく伝わった。
(曲目)
モーツァルト:交響曲第40番
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
※音楽監督大植英次が怪我で降板のための代演。
プログラムもマーラー「交響曲第9番」から変更