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ブログ版 シュプリッターエコー

酒井法子さんをめぐる暗い喜び―覚醒剤事件

2009-08-22 18:50:00 | 社会
 売れっ子タレントの酒井法子さんが覚醒剤(かくせいざい)を愛用していたという「事件」が、毎日のようにテレビや新聞をにぎわせています。
 レポーターや記者は、社会がこの事件に大きな失望や怒りを感じているというトーンで報告を続けています。
 しかし、失望や怒りをほんとうに感じているひとは、皆無ではないにしてもごく少数でしょう。
 ぼくたち大半の大衆は、この事件をけっこう楽しんでいるのです。

 楽しみの第一は、カリスマ的でさえあった芸能界の成功者が、一夜にして頭上はるかな高みから谷底へ転落した、そのまっさかさまの墜落を目の前に見ている喜びです。
 成功者のサクセスストーリーはそれなりにぼくらの感動を誘いますが、それとて成功者がその絶頂から墜落する“垂直の悲劇”の暗い歓喜には及びません。

 楽しみの第二は、共同体の中心で脚光を浴びていた有名人物が、中心から引き出され、周辺へ追い立てられ、そこからさらに外へ追放されていく、その追放に加担(かたん)している喜びです。
 共同体のシャーマンに畏敬(いけい)を捧げ、飾り立て、贅沢(ぜいたく)な暮らしをさせ、しかし彼(彼女)の予言が当たらなくなると、一転、共同体の暗黒面の責任をぜんぶ彼(彼女)におっかぶせて追放もしくは処刑した、その“水平の悲劇”の暗い狂気は、今もぼくらの深層に苛烈(かれつ)に生き続けているのです。

 と言って、それでどうした、と問い返されれば、これ以上はなにも言うことはないのですが、まあ、現代の大衆社会はそういうものだというだけのことです。
 酒井さんが転落し、追放されても、またそこを埋めるカリスマが出てきますし、絶頂のところで失敗するカリスマにはこれからも事欠きませんし、だからぼくたち大衆は、いつの世でも垂直の悲劇と水平の悲劇を楽しむ機会にふんだんに出会うことができる、とただそれだけのことなのですが…、ハイ。