神戸の三宮かいわいには何軒か「家族亭」というそば屋さんがあります。
ぼくの好きな店なのです。
とりわけざるそばは、神戸ではここの店が最高だとつねづねぼくは思っています。
少し黒みがかった色はそば粉の配合が絶妙なことをあかしています。
それを濃いめのつゆでいただきます。
わさびとねぎがたっぷりなのも、心を豊かにしてくれます。
昔どおりにそば湯がおしまいに出てくるのも、この店の味わいです。
出し方がいいのです。
あとちょっとで食べ終わるなという段に、すばらしいタイミングで出てきます。
「そば湯です。よかったら、どうぞ」
勘定書きもこのときにそっと添えられてくるのです。
ほんとうに、そっと、です。
味が主役で、お金はついてくるものです、という店の思いが控えめな作法にあらわれます。
それで550円は、どう考えても安いです。
さて、ぼくがよく行くのは高架鉄道の北側にある店と地下街の南端にある店の2店です。
どんぶりものなどのメニューも豊富で、なにを注文しても、今までに裏切られたことはありません。
その「家族亭」がポートアイランドにもできていると知ったのは、この人工島の市民病院へ通うようになってからのことでした。
病院の少し南に、落ち着いた、品のいい店を構えています。
帰りに一度は入りたかったのですが、なにしろ歯の根っこを8本ばかり抜くための通院でしたから、そばを食べるどころではなかったのです。
それが、きょう晴れての無罪放免。
さっそくその病院南の「家族亭」へお邪魔しました。
いうまでもなく、まずはざるそば。
間違いなくいい味です。
じゅうぶん満足したのです。
ところが、そこからあとがどうもいつもの段取りと違うことになったのです。
そば湯が出てこなかったのです。
見れば、勘定書きも最初からテーブルの上にありました。
ひょっとしたらそば湯はこの店ではらち外なのか、とむろんすぐにそのように考えました。
しかし、器の底に残ったつゆにそば湯をそそいで、ゆっくりといただくあの醍醐味。
ぼくには至福の時間です。
貴重な儀式だといってもそう間違いではありません。
もう少し待ってみるか、とまだ未練がましく座っていました。
2分ばかりたちましたが、いぜん出てくる気配はありません。
忙しそうに立ちまわっている店員さんをつかまえてお願いするのも気がひけます。
とはいっても、やっぱりそば湯なしでは立ち去りがたく、タイミングを待つことにしたのです。
するとさらに2分ばかりして男の店員さんが、どうやら頼んでもよさそうな雰囲気でそばを通りかかってくれました(店長さんかもしれませんが、それは確かめていないのでわかりません)。
「すみません、そば湯をお願いします」
「少々、お待ちください」
それが店員さんの答えでした。
ところが、です。
そのそば湯が来ないのです。
ああいうものは間髪いれずに出てきてこそ、すっとそっちへ乗り移ることができるのです。
二分も三分も待たされるのは、間抜け面もいいとこです。
それに料金を払っていただくものならまだ格好がつきますが、もともとタダのものですから、なにかしら、どうも、もの欲しげで、その格好悪さが時間とともにいっそう強くじぶんに見えてくるのです。
そば食いとしてはどんどんメンツが壊れていく気分です。
とうとういたたまれなくなりました。
そこで席を立ったのです。
カウンターには中年の女の店員さんがにこにこと待っていました。
店を黙って出てもよかったのですが、黙って出るとたぶん夜中まで裏切られた気分が続きますから、ついひとこと彼女に言ってしまうことになりました。
「そば湯をお願いしたのですが、きませんでした」
すると、なにを勘違いしたのか、彼女はいっそうこぼれるような笑いを浮かべて、
「ありがとうございました」
と言うのです。
「そば湯を頼んだのに、こなかったのです」
すると、今度ももっと明るい笑顔になって、
「それはそれは、ほんとうにありがとうございます」
とまたそう繰り返すのです。
要するに、こちらのいうことをなにも聴いていないのです。
ただ感謝の言葉と笑顔とを、おそらくはマニュアル通りに、前よりもっと懸命に繰り返すだけなのです。
「いえ、そば湯が来なかったのです」
さすがに今度はそば湯という言葉だけは届いたらしくて、前よりは近い返事になりましたが、近づいただけ、なおさら逆なでされるような言い方になったのでした。
「そば湯ですか。申しつけてくださればお持ちいたしましたのに」
もちろんこぼれるような笑顔です。
「いえ、さっき男の店員さんにそば湯をお願いしたのですが、持ってきてくださる気配がないんです。しびれを切らして、あきらめました。忘れてしまわれたのでしょう」
そこでようやく彼女はわかったようでした。
「どうしましょう」
もっと笑いながらもっと明るい声をしてこう申されたのでした。
どうしましょう、と言われても、ぼくにはどうしようもありません。
たじろいでしまう始末です。
もう絶句するばかりです。
すると彼女はなおも笑い続けながら言いました。
「今からお持ちしましょうか。席に戻っていただけたらお持ちしますが」
今となってはそば湯にこだわっていることじたいが、なかなか、けっこう、みじめなのに、そのうえさらに恥の上塗りをさせられそうな雲行きです。
大声で捨てぜりふを怒鳴って出るには、そこはそこ、やはりそれなりの訓練が要るわけで、そんな作法を習得していないこの身では、まぬけ面に半端な笑いを浮かべながら退散するほかありません。
…まあ、ブログ向けにちょっとおもしろい話ができた。
これで、いっか。
それにしても、新しい店というのはだんだんこんなふうになるのでしょうか。
いつまでも大切にしたい店なのですが。
ぼくの好きな店なのです。
とりわけざるそばは、神戸ではここの店が最高だとつねづねぼくは思っています。
少し黒みがかった色はそば粉の配合が絶妙なことをあかしています。
それを濃いめのつゆでいただきます。
わさびとねぎがたっぷりなのも、心を豊かにしてくれます。
昔どおりにそば湯がおしまいに出てくるのも、この店の味わいです。
出し方がいいのです。
あとちょっとで食べ終わるなという段に、すばらしいタイミングで出てきます。
「そば湯です。よかったら、どうぞ」
勘定書きもこのときにそっと添えられてくるのです。
ほんとうに、そっと、です。
味が主役で、お金はついてくるものです、という店の思いが控えめな作法にあらわれます。
それで550円は、どう考えても安いです。
さて、ぼくがよく行くのは高架鉄道の北側にある店と地下街の南端にある店の2店です。
どんぶりものなどのメニューも豊富で、なにを注文しても、今までに裏切られたことはありません。
その「家族亭」がポートアイランドにもできていると知ったのは、この人工島の市民病院へ通うようになってからのことでした。
病院の少し南に、落ち着いた、品のいい店を構えています。
帰りに一度は入りたかったのですが、なにしろ歯の根っこを8本ばかり抜くための通院でしたから、そばを食べるどころではなかったのです。
それが、きょう晴れての無罪放免。
さっそくその病院南の「家族亭」へお邪魔しました。
いうまでもなく、まずはざるそば。
間違いなくいい味です。
じゅうぶん満足したのです。
ところが、そこからあとがどうもいつもの段取りと違うことになったのです。
そば湯が出てこなかったのです。
見れば、勘定書きも最初からテーブルの上にありました。
ひょっとしたらそば湯はこの店ではらち外なのか、とむろんすぐにそのように考えました。
しかし、器の底に残ったつゆにそば湯をそそいで、ゆっくりといただくあの醍醐味。
ぼくには至福の時間です。
貴重な儀式だといってもそう間違いではありません。
もう少し待ってみるか、とまだ未練がましく座っていました。
2分ばかりたちましたが、いぜん出てくる気配はありません。
忙しそうに立ちまわっている店員さんをつかまえてお願いするのも気がひけます。
とはいっても、やっぱりそば湯なしでは立ち去りがたく、タイミングを待つことにしたのです。
するとさらに2分ばかりして男の店員さんが、どうやら頼んでもよさそうな雰囲気でそばを通りかかってくれました(店長さんかもしれませんが、それは確かめていないのでわかりません)。
「すみません、そば湯をお願いします」
「少々、お待ちください」
それが店員さんの答えでした。
ところが、です。
そのそば湯が来ないのです。
ああいうものは間髪いれずに出てきてこそ、すっとそっちへ乗り移ることができるのです。
二分も三分も待たされるのは、間抜け面もいいとこです。
それに料金を払っていただくものならまだ格好がつきますが、もともとタダのものですから、なにかしら、どうも、もの欲しげで、その格好悪さが時間とともにいっそう強くじぶんに見えてくるのです。
そば食いとしてはどんどんメンツが壊れていく気分です。
とうとういたたまれなくなりました。
そこで席を立ったのです。
カウンターには中年の女の店員さんがにこにこと待っていました。
店を黙って出てもよかったのですが、黙って出るとたぶん夜中まで裏切られた気分が続きますから、ついひとこと彼女に言ってしまうことになりました。
「そば湯をお願いしたのですが、きませんでした」
すると、なにを勘違いしたのか、彼女はいっそうこぼれるような笑いを浮かべて、
「ありがとうございました」
と言うのです。
「そば湯を頼んだのに、こなかったのです」
すると、今度ももっと明るい笑顔になって、
「それはそれは、ほんとうにありがとうございます」
とまたそう繰り返すのです。
要するに、こちらのいうことをなにも聴いていないのです。
ただ感謝の言葉と笑顔とを、おそらくはマニュアル通りに、前よりもっと懸命に繰り返すだけなのです。
「いえ、そば湯が来なかったのです」
さすがに今度はそば湯という言葉だけは届いたらしくて、前よりは近い返事になりましたが、近づいただけ、なおさら逆なでされるような言い方になったのでした。
「そば湯ですか。申しつけてくださればお持ちいたしましたのに」
もちろんこぼれるような笑顔です。
「いえ、さっき男の店員さんにそば湯をお願いしたのですが、持ってきてくださる気配がないんです。しびれを切らして、あきらめました。忘れてしまわれたのでしょう」
そこでようやく彼女はわかったようでした。
「どうしましょう」
もっと笑いながらもっと明るい声をしてこう申されたのでした。
どうしましょう、と言われても、ぼくにはどうしようもありません。
たじろいでしまう始末です。
もう絶句するばかりです。
すると彼女はなおも笑い続けながら言いました。
「今からお持ちしましょうか。席に戻っていただけたらお持ちしますが」
今となってはそば湯にこだわっていることじたいが、なかなか、けっこう、みじめなのに、そのうえさらに恥の上塗りをさせられそうな雲行きです。
大声で捨てぜりふを怒鳴って出るには、そこはそこ、やはりそれなりの訓練が要るわけで、そんな作法を習得していないこの身では、まぬけ面に半端な笑いを浮かべながら退散するほかありません。
…まあ、ブログ向けにちょっとおもしろい話ができた。
これで、いっか。
それにしても、新しい店というのはだんだんこんなふうになるのでしょうか。
いつまでも大切にしたい店なのですが。
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