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ブログ版 シュプリッターエコー

藤田佳代舞踊研究所の創作実験劇場を見て

2007-03-12 13:54:21 | ノンジャンル
 ダンスでどこまでのことが表現できるか、ダンサーをしているかぎりはそれをとことんやってみよう。その冒険心と自負心と責任感こそが、藤田佳代舞踊研究所が「創作実験劇場」というユニークな試みをこんなにも忍耐強く続けているエネルギーの源でしょう。この春は西宮の兵庫県立芸術文化センターで行われ、8人の振り付けで10の新しい作品が上演されました。

 舞台の完成度や美しさという基準でみればここで報告するのとはまた違った作品の並べ方になるでしょうが、「実験」という視点からみれば、菊本千永(ちえ)さんの「GIFT」(贈り物)がダントツに際立っているように思えました。
 この感覚の鋭いコレオグラファー(振付家)は、ここのところ、確かに同じ存在でありながらしかし微妙に違う存在である2人の自己、という極めてデリケートな人間の内的構造を浮き彫りにしてきているように読めるのですが、今回はそれがまたいちだんと的確な表現と繊細な陰影に深まっているように見えました。
 人はひとりひとり「運命」というGIFTを贈られてこの世に生まれてくるといいます。でも今のこの私の生き方は、そのGIFT通りのことなのだろうか、もしそうだとしてじゃあ明日にはどんな設計図が潜められているのだろう…。パンドラの箱のような「運命」の箱をめぐって、2人の私が問いかけ合い、希望をかきたて、不安をかきたて、慎重に遠ざかり、衝動的に接近し、そうして舞台はやすみなく緊張を高めていくのです。
 とりわけこの2人の「同じでいながら違う」自己が、限りなく接近しながら完全には重ならない、しかし重ならないながらほとんど重なる、そのえもいえない微妙な境地は、舞踊ならではの最高の美、といわずにおれないものでした。

 鎌倉亜矢子さんの「スパイラルな夜」も、夜のとばりの中でいろんな想念を繰り広げる、いわば夜との踊りを連想させる作品でしたが、語りかけようとすれば語りかけられ、聴き取ろうとすれが聴き取られ、踊ろうとすれば踊らされ、回そうとすれば回され、隠れようとすれば隠される、まるで螺旋構造(二重螺旋!)のような夜の正体がくっきりと見えてきて、いろんな思いを喚起させられるダンスでした。

 それと向井華奈子さんの「ばらはだんだん咲かなくなった」。この人の踊りには何かに憑かれているような凄みがあって、コンセプトや観念やイデーを超えて、直接感覚に訴えてくるデモーニッシュなエネルギーがあります。舞踊が舞踊の原点で勝負しているようで、見るほうもいきなり骨が揺すられます。


 なお藤田佳代舞踊研究所の公演については、これまでの作品評を本ブログの姉妹ページ「Splitterecho」Web版のKOBECAT0004,0008,0010、およびCahierなどに掲示しています。ご参照ください。Web版はhttp://www16.ocn.ne.jp/~kobecat/


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