理研優遇の法案閣議決定先送り
の記事が小さくですが、29日の信濃毎日新聞に掲載。
世界最高水準の研究を目指す「特定国立研究開発法人」に理化学研究所を指定して優遇する新法案の閣議決定が当初予定の四月中旬から先送りすることになったと。
このために画期的な新発見「STAP細胞」の成功がどうしても必要だったんですね。
成功しなくてもいい、らしいというだけでもよかった?
ところが、その新発見が発表されるや、ネット上で疑問が次々湧き上がり、結果「論文取り下げ」の結末となった。
理研の関係者からすれば展開が早すぎた。コピペやら論文盗用やらネットで悪事を働く者はネットでその罪をあばかれるのだ。
小保方論文の不備が隠しようもなくなった時、理研の上層部から出た言葉は「あってはならないこと。未熟な研究者」という言葉だった。
しかし知れば知るほどこの騒動は理研全体の総合プロデゥースのもとに演じられた「猿芝居」だった。
小保方春子はこの捏造芝居を承知で主役の抜擢を受けて演じたのだから「かわいそう」は当たらない。
研究者として一から出直しという論評もあったが、研究者としての道を歩むのはもう無理ではないか。少なくとも日本では。
ハーバード大学のバカンティーとかいう教授のお気に入りだったらしいから、そこで私的な助手にでもなるのは可能かもしれないが。
ところで、小保方春子は「この分野の学問・研究が本当に好きなのだろうか」という疑問が湧く。
早大の理工に入学する以前の彼女が「理系好き、実験好き」という話はあまり見えて来ないのだが。
私は今回の騒動から百年ほど前に、渡米してロックフェラー医学研究所の研究員として活躍した野口英世を思い起こすのだ。
野口と小保方を比べるのは適切ではないだろうが、それでも本質的に共通する部分があるような気がする。学問的動機で研究の最初を出発していない。
優秀ではあったが、貧しく、左手に障害のある野口が出世していくために選んだ道が医学、それも当時花形学問であった細菌学だった。
自分がこの道を行くと決めたら集中してのめりこんでいく性格の野口は、学閥で固められている日本の学問世界からアメリカに飛び出し、そこで成功をおさめるのだが・・・。
小保方は恵まれた家庭に育ったようだから、選択肢は自由だったと思うが。
母や姉は心理学の研究者ということだから別の道をと理化学方面に進んだのではと思う。
一日のうち十二時間も理研の研究室で過す生活だったというところも、野口と共通している。そこは居心地のよいところだったのでしょう。
なにしろ「小保方好み」にインテリアされているということなので。
さてここで「らしさ」ということも今回の騒動で考えさせられたことだ。
小保方春子がテレビ画面に登場した時、「研究者らしくない」というのが第一印象だった。
髪は長く、付けまつ毛をつけて、耳にはピアス。今の若い女性なら当たり前かもしれないが、このらしくないところが新しくユニークな発想をする元になっているのかもしれないと、最初思ったほどだ。
しかし、「らしい」というのはやはり物事の基本なのだ。
それぞれの職業、立場により「らしさ」は作られる。漁師や農民、外で働く人は日に焼け、たくましい。
教師、役人、銀行員、ホワイトカラーのサラリーマンに、ブルーカラーの労働者。
女性も主婦になり母になれば、OLだった時とは違う生活感を感じさせる雰囲気にいやでも変わっていく。
「らしくない」と言われるとちょっと喜んだりする軽薄な気持が誰にでもあるが、「らしくない」というのは地に足がついていないということでもある。
「STAP細胞」が本当に存在するならIPS細胞を超えるノーベル賞級の成果であるはずだ。その成果を生み出すには相当なエネルギーと集中力と時間が必要。
「おしゃれ」もまた時間とエネルギーが必要だ。髪が長いとその手入れが大変で、仕事が忙しくなると、だいたい髪は短くなる。
若い女性とはいえ「研究者らしくない、垢抜けした小保方さん」は「若い女性理系研究者」の役を演じたというのが結末。
やっぱりだった。オボカタは論外だが、周りがおかしい。
実験室をあのように勝手にリフォームすることが許される
はずがない。理事長の叱責も、「最高責任者」はあなた
でしょうといいたい。頭を下げて終わりにするというのは
やめてほしい。
佐村河内は、逆に気取りすぎて、気持ちが悪かった。
全てが劣化していく日本。
割ぽう着はそうでしたか。ならば理系の人は最初から違和感もったかもしれませんね。
理研の最高責任者の問題でもありますね。
トップの体質がそのまま組織の体質になっていく。
野依氏はこのまま逃げ切るつもりでしょうか。