「反貧困・連帯社会の創造」という見出しに魅かれて「情況」という雑誌を買った。
かつて60年代、社会党系の先鋭部分の運動をになった経歴の人たちが主宰・編集しているようだ。
新左翼系の学生運動をしていた青年達がその後どのような道をたどったかというと、やはり多くは社会体制の中におさまってその後の「大人の人生」を歩んだわけだけど、先鋭部分で活動していた人達は、そういった体制秩序からは外れて、今で言うフリーターのようなことをしながら、それでも人脈があるのでたどりついた先の一つが「生協運動」だった。
「生協」と一口に言ってもその成り立ちはさまざまで、この雑誌の7月号で語っている人達は東京とその周辺で活動した人たちだ。
そういえば大学のいわゆる購買部というのか、食堂なども含めて運営していたのは生協だった。この生協の理事会は必ずどこかの政治党派が主導権を握っていた。生協・学生自治会の主導権を握れば、それはその党派の資金源になる(本来の目的からすればそれは私物化ということになるのだが、他人の悪は厳しく糾弾しても自分達のそうしたルーズさは闘争のためと言い訳するご都合主義が党派を問わずまかり通っていた)ので、学生運動の一つの分野として生協活動をする学生達がいて、その経験がその後、さてこれからどうやって生きていけばいいのかという際に役に立ったようだ。
今思えば学生運動に夢中になるような青年たちは情熱的で行動力があり、また有能な人も多かった。
ただ、自分の主張を曲げない、強引な一面がどうしても裏表になっているので、多数派の理事達と意見が合わず、追放されたり、自分から身を引いたり、紆余曲折を経ながら、それでもこの号に登場した人たちの考え方は「連帯」であり「理不尽な資本の側の横暴は許さない」という正義感だ。
この雑誌には年末から年始にかけての「日比谷派遣村長」として、私達の前に鮮やかに登場した「ネットワーク・もやい」の湯浅誠氏のインタビューも掲載されている。
彼のスローガンは「社会活動家をふやせ」だ。
今これだけ貧困と無権利に痛めつけられながら、暴動も大規模なデモも起こらない、なぜだとよく言われる。それは持たざる側の戦い方のスキルが喪失し、切断されているからなのだ。文句を言いたいのにどうしたらいいのかわからない。それで結局、個人テロのような鬱憤晴らしに走ってしまう(秋葉原事件、大阪ネットカフェやパチンコ店放火のような)。
冗談で湯浅氏は「私は火炎瓶の作り方を知りません」と言った。インタビューする側の編集者は「私は知ってます」と答えていた。
「連帯」「伝承」が失われた社会、それが今私達この日本社会の現実だ。
人は学校で、例えば大学なら先輩からキャンパスに立てる看板の作り方、書き方を伝授され、今のようなパソコンやコピーの無い時代、ガリ板で切るビラの作り方を教わり、職場なら労働組合の会合で、社会の矛盾に附いて学習するといったように引き継がれたものがあったからこそ、資本や政府の横暴と対峙することが可能だった。
このように後退してしまったのは多数を占めるはずの働く側の油断であり弱さだった。
今、政権交代論議が盛んだが、今の枠組みで政権交代しても「貧困」の問題を直ちに解決することはできない。むしろもっと巧妙に大企業・財界側が自分達の利益を主張してくる可能性が高い。
その時、彼等の論理に真っ向から対峙できる市民・労働者が育っていることが必要だ。湯浅氏らに政治の舞台へという要請は強いものがあろうが、「戦える活動家を増やす」というこの考え方が「急がば廻れ」で功を奏するのではないだろうか。
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