Do you really dream of jumping sheep?
(ども 火星人です。レイシストお断り)
Martian Official Weblog



http://www.france-galop.com/PROMO/pxarcfr.htm

現地時間で10月2日午後5時30分(日本時間だと3日午前1時30分)、凱旋門賞でつ。このサイト、日本語の「凱旋門賞」で検索に引っかかるのだ。なかなかやるな。

みんなで日本の馬を応援しよう、って出てないやん。

しかたないからニジンスキー(馬の方)の話でもしようかな。(特に理由はないけど)

正確には Nijinsky Ⅱ。

これは馬主がこの馬を私の生まれ変わりだとまじで思ったらしい。馬なのになぜ?

種牡馬ノーザンダンサーの最高傑作といて、当時としてはカナダ史上最高額の一才馬として競り落としたわけで、馬主としては最高のダンサーである必然性があったわけだな、きっと。w
というのは、嘘で、ニジンスキー(私)が「生まれ変わったら馬になりたい」といったからなのだ。
もちろん、それだけではない。
身のこなしはしなやかで、歩く姿だけでも見とれたそうでつ。w
それに加えて気性の悪さ。気性は悪いが走り出すと完璧。

やはりニジンスキーの生まれ変わりなのだ。
カナダのE・P・テイラーさんの牧場にいるときに、馬主に頼まれて他の馬を見にきたオブライエン調教師が、ほれ込んだのだそうだ。(よくありそうな話)

デビュー戦からすでに、圧倒的一番人気。
2歳のときは5戦全勝。
3歳になって(1970年のこと)緒戦を楽勝して、いよいよ2000ギニー。(英国三冠レースの一つ目)
これも普通に勝って(この時点でまだ本気で走っていない)、ダービーを迎えたわけだけど、このとき生涯で唯一、オッズ(賭け率)が2倍を超えたそうだ。(2.4倍だと)
まず、距離の不安。それまでは、1マイルまでしか走ったことがない。ダービーはその1.5倍の距離だ。
あとは各国からライバルが来るので、やはり人気が少しは割れるわけだ。
日本と違って、アイルランドの馬も来るし(ってニジンスキーがそもそもアイルランドの調教だ。)、フランスの馬も走っていいのだ。ようするにインターナショナルなのだ。

で、結局、ダービーも普通に勝って、35年ぶりの英国三冠の期待が高まったわけだ。
当然、ますます人気沸騰。
つぎは、アイルランドダービー。ここは3歳の最強馬決定戦。
フランスのダービー(ジョッケ・クルブ賞)の上位とイギリスのダービーの上位が集まって来るのだ。
ここも普通に勝って、あまりに余裕があるので、キングジョージ(レース名 正確には King George VI & Queen Elizabeth Diamond Stakes 長いのでキングジョージと呼ぶ)も出ることにした。
これは古馬も出るのだ。というより古馬中心。(古馬とは4歳以上の馬)

ちなみにこのレース、欧州三冠レースの二つ目となっています。(いつからかな)
一つ目はイギリスのダービーでつ。

さて、初めて古馬相手に、どうなるかと思ったら、馬なりで楽勝。最早、無敵状態。
ところがだ。ファイナル・ファンタジーだと無敵状態というとヒットポイントもステータスも変化しないんだけど、ニジンスキーは病気になってしまったのだ。

それでも、誰もが期待する中、病気の回復後すぐにレースに出ることになった。

セント・レジャーだ。これは英国三冠レースの最後のもので、今ではあまりイギリス三冠に価値が置かれていないけれども、当時ぐらいまでは意味があった。
しかも、三冠馬は1935年のバーラム以来、出ていない。
調子はよくないが、まあ、敵は居ないから楽に勝てると思ったのだろうね。
勝つには勝ったが、かなりの苦戦。しかもレース後に体重が激減。そうとうきつかったようだ。
このあと中2週で凱旋門賞を迎えることになるんだけれど、そりゃあ大変な騒ぎだ。
ここで凱旋門賞を勝てば、誰がなんと言おうと史上最強だ。(一応、英国三冠と欧州三冠のダブルを無敗で取ることになるのだ)

ところがだ、直線ササフラという馬に粘られて、初めてムチが入った。
そのムチで左に大きくよれてしまった。ササフラに差し返されたところでゴール。頭差で、ついに負けてしまった。
陣営は、こんな凄い馬が最後に負けて引退するなんて(もう、種牡馬として行き先が決まっていた)、気の毒と思ったのか、中1週で、チャンピオンステークスに出してきた。
(このレース、ウイニングポストだと、凱旋門賞より勝ちにくいです。)
しかし、そもそも凱旋門賞の負けは疲れが原因だと後にいわれていたぐらいだから、ますます疲れとるべ。
これも2着に破れた。もうシーズンは終了。
(欧州は、10月で平地のレースは終るのだ)

ちょっとだけ気の毒な気もするけど、種牡馬としても激しく成功して、最後には(晩年の産駒)ラムタラが無敗で欧州三冠を取った。
サラブレッドとしてはこれ以上、幸せな馬も居ないだろ。

ちなみに、ニジンスキーの名前をつけた馬主さん、1971年、ニジンスキーの活躍&引退の翌年、亡くなった。
「墓碑銘は『ニジンスキーの馬主』としてくれ」と言ってなくなったそうだ。(うる

チャールズ・エンゲルハードという人のお墓を見つけたら、墓碑銘を確認してみてください。(どこで見つけるんだかね)


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