昨日で終わるつもりだったけど、某掲示板でついつい関わってしまったので、続きでつ。
つかー、某掲示板で書いたことのまとめ。(まとまってないけどw)
この問題で不思議なのは、激しく左寄りの意見というものがあまり無いということ。
そこで左寄りに行ったわけですが、
私にいわせれば、当時の国家神道なんていうのは、オウムを国教にしたようなものなのだ。
そりゃ、天皇と麻原が同じようなものだとは絶対に言わない。戦後の昭和天皇は立派であったと思います。
宙ぶらりんな立場になりながら(まあ、それは仕方ないけど)、平和の象徴としてがんがったと思います。
それは置いといて、
国家神道とオウムはいずれも硬直した教義によって多くの人を殺したのです。
オウムの場合は、オウムの外部の敵、あるいは関係ない人を殺したわけだけど、
国家神道は、外国の人も日本の人も殺したのだ。
つまり戦死者も国家神道の被害者です。
靖国神社では戦死者が祀られている、すなわち加害者が被害者を祀っているという信じられない事実があるのだ。
なんだこりゃ。
これはでつね、国家神道は殺人だけではなく洗脳も行ってきたからだべ。
みんな脳味噌ごしごしされたわけだな。(違
だから急にいままでのは間違ってましたっていわれたところでそら信じられまへんがな。
しかも、あんた、戦争で死んだ人は無駄死にでんがな。
国を守るためとかいってももともとは日本から仕掛けた戦争でんがな。
国を守るためではなく、軍部のエゴのためでんがな。
そやけどそんなことのために死んだなんてゆうたら、戦死者がうかばれまへん。
あまりにもかわいそうや。
そやからずっと洗脳されておく必要があったんやな。
そんで、戦後、靖国を強く支持したのは、他でもない遺族会やねん。
大義名分のために立派に死んでいったことにしたいんやろな。
その心情はわかりまっせ。
けど、靖国のかわりの施設については遺族会の人はどない考えてるんやろな。
さてー、戦争をはじめたのは日本であるわけですが(そらみんな知ってるわな)、これについて、「開戦せざるを得ない状況に追い込まれた」という意見もあるようです。
これは、つまり当時の日本の政府は無能だったのですといっているようなものです。
無能は罪ではありませんが、国の行く末に関わるような立場にたつのは罪です。
話は戻って、オウムの場合、それほど大きい規模の宗教団体ではなかったので、彼らの犯罪が発覚した時、日本中のほとんどが彼らを悪だと思ったはずですが、
国家神道の場合は、日本人全員がその信者であったために(強制的にそうなっていたわけだから)、どれほど悪いことをしていても、なかなかその悪さにはが気がつくことが出来なかった、あるいは気がつきたくなかったわけでつ。
詐欺にあった場合でも、一生騙されていれば、それなりに幸福ってわけだにゃ。
ちょと、過激なこといってますが、世間では近頃やたら右寄りな発言が目立つので、左を補強してみました。w
遺族会のみなさん、ごめんなさい。
私自身は、靖国は残すべきだと思っています。日本の恥の象徴として、忘れないように。
それとは別に戦没者を祀る施設を作ればいいと思うのだ。
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