つまらないけど好きな映画って時々ある。この映画が失敗作、駄作であることは100%承知だが、それでも、それだけで片付けられない魅力がある。3章構成で、(1)真面目に褒めて、(2)普通に貶して、(3)愛憎半々でコケにしてみる。(ついでに第四章でリドリーの熱き作家論を語ってみたいが、ここはまだ書きかけ・・・)
******【落とす前に、題材が宿命的に持つ矛盾に立ち向かった映画作家としての誠実さを褒めよう】*****
中世ヨーロッパであれほど、イスラムやユダヤに寛大な男は少ないだろう。全くいなかったわけではないだろうが、そいつがカリスマ的指導性をもって、またたった一度の演説だけで多民族多宗教をまとめられるものか。
同じ宗教でも宗派や部族の違いがあり、反目、内紛は避けられまい。まして、敵は戦上手で圧倒的な兵力、初戦に勝ち意気も盛ん。絶対負ける。でも統一。ばかな。あるわけない。
結局のところ敵はイスラム。数に勝り、勢いもあり、死を恐れぬ勇敢さ。
それに対して、知力で立ち向かい奮闘するキリスト教徒率いるエルサレム軍。頭のいいヨーロッパとバカだが勇猛なイスラム。そんなステレオタイプな構図でいいのか
・・・だが、エルサレムでの戦闘を描く場合、恐らくどんな描き方をしたって、批判をかわすことはできまい。史実に忠実でも全くのデタラメでも・・・ユダヤ、ムスリム、クリスチャンを公平に描いても、どれかに肩入れしても・・・
相当多くの誰かが批判する。批判されない唯一の方法は、そもそもエルサレムを題材にしないこと、エルサレムの情勢について沈黙する他無い。だがそれが誠実と言えるか?
エルサレムを題材にする!!それが既に勇気ある行為で、後は自分の考えが間違っていようとも、自分の生まれ育った環境で身に付いた感性に従って映画を撮り上げる。批判は承知。
そもそもこの映画は史実に忠実に偉業を称えることを目的とした映画ではない。十字軍時代に題材を求めてはいても、エルサレムを舞台にするのは、イコール、現代へのメッセージとなる。
CGを多様したスペクタクル娯楽史劇として描くことが「誠実」と言えるのか?
先にも書いたとおり、ドキュメンタリーだろうとSFだろうと、批判は避けられない。ならば得意のスペクタクル史劇というフォーマットで描くほうが、リドリーなりのメッセージを伝えやすいってもんさ!!
ラストのメッセージ「キングダム・オブ・ヘブンには今なお和平はない」(みたいなやつ)に、僕はとにかく熱くこみ上げてくるものがあった。リドリー。、お前は大した奴だ!!
*****【映画のデキの悪さをけなしまくろう】*****
・・・・で、そういう彼なりの誠実さ、方法論はよく判るのだが、そうなってくると問題になってくるのは、これが単純にスペクタクル史劇として良く出来ているか否か・・・ということになるのだが・・・・
これがつまらないんだな!!!
前半は情状酌量の余地無くつまらない。
さしたる見せ場はない。戦闘シーンなど秒殺の勢いで一瞬で決着。あれ?いつの間に負けたの?こいつら・・・って感じ。「ブラックホーク・ダウン」で作戦の崩壊過程をじっくりと見せたお前はどこにいったのだ!!
姫さまとのロマンスなど娯楽史劇の体裁整えるためにとってつけたものでしかなく、テーマともメッセージとも結びつかず、盛り上げもしない。
批判を承知で言うが、主役のミス・キャストも重大な失敗要因だ。
オーランド・ブルームは薄すぎる。
前述の、3宗教複数民族を一つにまとめる大演説など、はたから見てても「何も知らない若造がほざきおって!!!」と思ってしまい、説得力ゼロ。あれが若き日の演説大得意のアル・パチーノ(いい例えではないが)、「狼たちの午後」くらいの頃のアルアル・ウソッパチーノだったら随分印象は違ったのでは!!と思える。
オーランドくんが、敵に認められるのは判る。それなりのエピソードがあったから。だが何故、奴は味方に認められるのか、さっぱり判らない。親が名士というだけではないか!?(中世ヨーロッパってのはそんなもんかもしれんが・・・・でもこれ現代宛のメッセージ映画でしょ)
いっそ、撃っても撃っても無くならないオーランド弓でも再披露して指輪好きに媚びまくりゃ笑えただけ良かったのに
シナリオもどんなもんだろう。
正直なんで戦ったのか、よくわかんない。
はじめっからエルサレム明け渡してりゃ良かったんじゃない?
サラディンは勇敢な者がお好き・・・それだけ?
「グラディエーター」(僕はあんま好きじゃないが)で得意ジャンルとしたスペクタクル史劇を使い、栄光よもう一度という野心も少しはあったかもしれん。それよりも得意なジャンルを用いることで映画作家としての誠実さを見せたリドリーだが、結局情熱だけ空回りした失敗作との誹りは免れない作品となった・・・・
まあ結局のところ、ラスト40分、もっといえば最後の一文を見せたいだけの映画だったと言える
*****【面白く笑えた所を紹介しよう】*****
面白かったところもある。
エルサレムに着いたオーランド。「キリストが磔刑にされた丘はどこだい?」と、すっかり観光客モード。ゴルゴダの丘で物思いに耽るオーランド。その気持ち判るぜ。俺が川中島古戦場で物思いに耽ったのと同じさ!!
クライマックスの攻城戦はさすが面白い(やってることがロード・オブ・ザ・リングと同じで驚きは少なかったが)。ここはリドリーの面目躍如。なんだかんだで大作慣れしてやがる。
破壊された壁で、エルサレム軍とサラディン軍がぶつかり合う俯瞰ショットを観て、やっぱりリドリーは群集シーン、それも狭い空間に人がギュウギュウ詰めになった群集シーンを撮ってなんぼの男なんだ、と確信。人ごみの熱気。それこそがリドリー映像なのだ。
顔かくしてもやっぱり判るエドワード・ノートン先生。もちろんそれは、ノートンが出ると事前に知っていたからではあるのだけど、ノートン先生っぽいあの動き。しゃべり方。僕の顔は自然とほころびます。あれで二重人格ならもっと笑えたが。
「ハンニバル」のゲイリー・オールドマンにつづいてのリドリー流キャスティング。絶好調。
スペクタクル史劇というジャンルには、現代の日常を描いた映画では決して許されない演出を堂々とやれるという効能がある。
それは、かっこいい台詞を高々と明言させる、という演出だ。
「友よ、戦場で相対する前に、君の名は敵の耳に響く」
「聖者とは弱き者のために勇気を持って正義を行う人です」
「エルサレムに何が?」
「何もない。だが全てだ。」
「私はイングランド王だが」
「私は鍛冶屋です」
「ここに来るとエルサレムを守ったバリアンに会えると聞いたが・・・」
「私は鍛冶屋です!!」
うろ覚え。ちなみに訳は戸田奈津子女史。色々と批判される彼女ですが、俺、この人の芝居がかった訳けっこう好きです
****************【リドリー・スコット作家論】********************
TBD(別記事にするかな・・・)
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自主映画撮ってます。松本自主映画製作工房 スタジオゆんふぁのHP
******【落とす前に、題材が宿命的に持つ矛盾に立ち向かった映画作家としての誠実さを褒めよう】*****
中世ヨーロッパであれほど、イスラムやユダヤに寛大な男は少ないだろう。全くいなかったわけではないだろうが、そいつがカリスマ的指導性をもって、またたった一度の演説だけで多民族多宗教をまとめられるものか。
同じ宗教でも宗派や部族の違いがあり、反目、内紛は避けられまい。まして、敵は戦上手で圧倒的な兵力、初戦に勝ち意気も盛ん。絶対負ける。でも統一。ばかな。あるわけない。
結局のところ敵はイスラム。数に勝り、勢いもあり、死を恐れぬ勇敢さ。
それに対して、知力で立ち向かい奮闘するキリスト教徒率いるエルサレム軍。頭のいいヨーロッパとバカだが勇猛なイスラム。そんなステレオタイプな構図でいいのか
・・・だが、エルサレムでの戦闘を描く場合、恐らくどんな描き方をしたって、批判をかわすことはできまい。史実に忠実でも全くのデタラメでも・・・ユダヤ、ムスリム、クリスチャンを公平に描いても、どれかに肩入れしても・・・
相当多くの誰かが批判する。批判されない唯一の方法は、そもそもエルサレムを題材にしないこと、エルサレムの情勢について沈黙する他無い。だがそれが誠実と言えるか?
エルサレムを題材にする!!それが既に勇気ある行為で、後は自分の考えが間違っていようとも、自分の生まれ育った環境で身に付いた感性に従って映画を撮り上げる。批判は承知。
そもそもこの映画は史実に忠実に偉業を称えることを目的とした映画ではない。十字軍時代に題材を求めてはいても、エルサレムを舞台にするのは、イコール、現代へのメッセージとなる。
CGを多様したスペクタクル娯楽史劇として描くことが「誠実」と言えるのか?
先にも書いたとおり、ドキュメンタリーだろうとSFだろうと、批判は避けられない。ならば得意のスペクタクル史劇というフォーマットで描くほうが、リドリーなりのメッセージを伝えやすいってもんさ!!
ラストのメッセージ「キングダム・オブ・ヘブンには今なお和平はない」(みたいなやつ)に、僕はとにかく熱くこみ上げてくるものがあった。リドリー。、お前は大した奴だ!!
*****【映画のデキの悪さをけなしまくろう】*****
・・・・で、そういう彼なりの誠実さ、方法論はよく判るのだが、そうなってくると問題になってくるのは、これが単純にスペクタクル史劇として良く出来ているか否か・・・ということになるのだが・・・・
これがつまらないんだな!!!
前半は情状酌量の余地無くつまらない。
さしたる見せ場はない。戦闘シーンなど秒殺の勢いで一瞬で決着。あれ?いつの間に負けたの?こいつら・・・って感じ。「ブラックホーク・ダウン」で作戦の崩壊過程をじっくりと見せたお前はどこにいったのだ!!
姫さまとのロマンスなど娯楽史劇の体裁整えるためにとってつけたものでしかなく、テーマともメッセージとも結びつかず、盛り上げもしない。
批判を承知で言うが、主役のミス・キャストも重大な失敗要因だ。
オーランド・ブルームは薄すぎる。
前述の、3宗教複数民族を一つにまとめる大演説など、はたから見てても「何も知らない若造がほざきおって!!!」と思ってしまい、説得力ゼロ。あれが若き日の演説大得意のアル・パチーノ(いい例えではないが)、「狼たちの午後」くらいの頃のアルアル・ウソッパチーノだったら随分印象は違ったのでは!!と思える。
オーランドくんが、敵に認められるのは判る。それなりのエピソードがあったから。だが何故、奴は味方に認められるのか、さっぱり判らない。親が名士というだけではないか!?(中世ヨーロッパってのはそんなもんかもしれんが・・・・でもこれ現代宛のメッセージ映画でしょ)
いっそ、撃っても撃っても無くならないオーランド弓でも再披露して指輪好きに媚びまくりゃ笑えただけ良かったのに
シナリオもどんなもんだろう。
正直なんで戦ったのか、よくわかんない。
はじめっからエルサレム明け渡してりゃ良かったんじゃない?
サラディンは勇敢な者がお好き・・・それだけ?
「グラディエーター」(僕はあんま好きじゃないが)で得意ジャンルとしたスペクタクル史劇を使い、栄光よもう一度という野心も少しはあったかもしれん。それよりも得意なジャンルを用いることで映画作家としての誠実さを見せたリドリーだが、結局情熱だけ空回りした失敗作との誹りは免れない作品となった・・・・
まあ結局のところ、ラスト40分、もっといえば最後の一文を見せたいだけの映画だったと言える
*****【面白く笑えた所を紹介しよう】*****
面白かったところもある。
エルサレムに着いたオーランド。「キリストが磔刑にされた丘はどこだい?」と、すっかり観光客モード。ゴルゴダの丘で物思いに耽るオーランド。その気持ち判るぜ。俺が川中島古戦場で物思いに耽ったのと同じさ!!
クライマックスの攻城戦はさすが面白い(やってることがロード・オブ・ザ・リングと同じで驚きは少なかったが)。ここはリドリーの面目躍如。なんだかんだで大作慣れしてやがる。
破壊された壁で、エルサレム軍とサラディン軍がぶつかり合う俯瞰ショットを観て、やっぱりリドリーは群集シーン、それも狭い空間に人がギュウギュウ詰めになった群集シーンを撮ってなんぼの男なんだ、と確信。人ごみの熱気。それこそがリドリー映像なのだ。
顔かくしてもやっぱり判るエドワード・ノートン先生。もちろんそれは、ノートンが出ると事前に知っていたからではあるのだけど、ノートン先生っぽいあの動き。しゃべり方。僕の顔は自然とほころびます。あれで二重人格ならもっと笑えたが。
「ハンニバル」のゲイリー・オールドマンにつづいてのリドリー流キャスティング。絶好調。
スペクタクル史劇というジャンルには、現代の日常を描いた映画では決して許されない演出を堂々とやれるという効能がある。
それは、かっこいい台詞を高々と明言させる、という演出だ。
「友よ、戦場で相対する前に、君の名は敵の耳に響く」
「聖者とは弱き者のために勇気を持って正義を行う人です」
「エルサレムに何が?」
「何もない。だが全てだ。」
「私はイングランド王だが」
「私は鍛冶屋です」
「ここに来るとエルサレムを守ったバリアンに会えると聞いたが・・・」
「私は鍛冶屋です!!」
うろ覚え。ちなみに訳は戸田奈津子女史。色々と批判される彼女ですが、俺、この人の芝居がかった訳けっこう好きです
****************【リドリー・スコット作家論】********************
TBD(別記事にするかな・・・)
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自主映画撮ってます。松本自主映画製作工房 スタジオゆんふぁのHP
『ブラックホーク・ダウン』はそれほど好きではないのですが、『グラディエイター』は大好きです。
BS2で監督の特集をやってくれるかなぁ~
こちらからのTBが反映されません・・・ご了承を。
いつもながらの多角的なアプローチ。
おなかいっぱいになりました。
それにしても笑えました...。
『狼たちの午後』
アルアルウソッパチーノ(笑)
癖になりそう。。。
家の娘綺麗だから自主映画の方の主演女優さに使って貰おうかしらと思ったら本人は映画の衣装係の方が良いそうな!(余談&冗談です。) では、また。
私も非常に気に入っているラストの「私は鍛冶屋です」ですが、あの時の王様はイギリスでは偉大な王と称えられる(エルサレムを奪還した)ライオンハートこと、リチャード獅子心王で、イギリス人には「イギリスを侮辱してる!」と不評なようです(バリアンがフランス人のせいもありますが)。
キリストVSイスラム以外にも問題があるようですね。
私は「グラディエーター」はそれほど好きじゃなくて「ブラックホーク・ダウン」が大好きなんです。
いつだったか、友達四人とリドリー・深夜マラソン鑑賞会しました。徹夜で4~5本観て、それからGIジェーンを劇場に見に行って・・・
深夜の「デュエリスト」や「レジェンド」はつらかったです
>えい様
アルアル・ウソッパチーノは瞬間で思いついたのですが、けっこう自分でも気に入ってます(笑)。
パチーノじゃなくても、演説得意なやつに演じてほしかったです。フランスの俳優が良かったな。
>ブライス様
うっそ!!まじー!!って思わせといて、もう!!
>健太郎様
イギリス人(全員じゃないだろうけど)ってなんて小さいんでしょう。
これも全イギリスの意見じゃないだろうけど、歴代アカデミー受賞作で一番ダメなのが「ブレイブハート」で、理由がイングランド・バッシング映画だから、ってなんかで読みました。
まあ誇り高い民族ということか・・・
僕は別に日本が敵でも、バカにされてても、映画として面白けりゃ楽しんで観れるんですがねぇ
だいたい現代のキングダム・オブ・ヘブンで争乱が絶えない元凶とも言えるのがイギリスじゃないのか!!?二枚舌外交とか歴史で習ったさ
こちらからもさせていただきますね。
読んでいて納得する部分がいろいろとあり、とても面白かったです。
オーランドに対してのドラマチック性が、主役のわりになかったのは
私もとても気になりました。ラストメッセージは強く打たれるものはありましたが。
宗教関係を映画で描くのは、いっそタブーにすら見えるほど難しいものがありますよね。
また遊びにこさせていただきますね。
とても面白い評論でした。
そしてグラディエーターも好きっす。
そういう見方もあったのかと、感心した次第。
かっこいいきめ台詞は(西洋)歌舞伎の世界ならでは、なんですね。
また笑わせてください。
オーランド・ブルームでは荷が重かったですよね。味方を説得する演説も声も小さかった気が、あれじゃ皆に聞こえないなぁと思いました。
リドリー・スコット作家論も期待してます。
すいません。評論なんてもんじゃないです・・・
そちらの記事も素直で面白いので、時々おじゃまいたします
>chishi様
ブラックホークダウンは大好きです。異様な映画でしたよね。3時間延々戦闘・・・。まともな神経じゃ撮れない
>マダム・クニコ様
かっこいい決め台詞は歴史ものの必殺技ですね
>カヌ様
もっと小物っぽく、根回しとかして一つにまとめたら、ある意味面白かったんですがね・・・