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映画ブロガーら有志23名による「10年代映画ベストテン」発表!

「チェ 28歳の革命」と「チェ 39歳 別れの手紙」

2009-02-12 22:29:20 | 映評 2009 外国映画
個人的評価
28歳の革命: ■■■■□□  
39歳 別れの手紙: ■■□□□□

[6段階評価 最高:■■■■■■(めったに出さない)、最悪:■□□□□□(わりとよく出す)]


自称「センスのいい映画ファン」たちによって支持されるオシャレ映画を作るオシャレ作家たちというのはいつの時代にもいる。
90年代にその位置にいたと勝手に解釈する監督は(異論はあろうが)ウォン・カーウァイ、ダニー・ボイル、ソダーバーグ、リュック・ベッソン、タランティーノ、デビッド・フィンチャー、岩井俊二・・・あたりだったのではなかろうか。
90年代オシャレ映画を無理矢理傾向分析すると、「思想性」が皆無だったことではないかと思う。
思想を持つことがオシャレだった60年代、反抗するのがオシャレだった60末から70年代(私の勝手な印象デス)、80年代はよくわからんが、90年代は表面的なオシャレさの一方で中身はスカスカで、しかし空っぽなことが全てだった。
空っぽなだけに映画のデキよりも個人の好みのほうが映画の評価に強く出た。
スカスカな内容に勝手に自分の感性や経験を重ね合わせた映画を傑作と讃え、それができないものをつまらないと斬って捨てた。
自分の場合ウォン・カーウァイには熱狂し、ダニー・ボイルやタランティーノには何も感じなかった。
ソダーバーグは熱狂ではないが大好きだった。
ある自主映画の監督が(私ではない)、『「セックスと嘘とビデオテープ」を見て感銘を受けたが、自分でもできそうな気がして映画を撮り始めた』・・・と言っていた。
判る気がした。金かかってるわけでもなく、何らかの特殊技術がないと話にならないわけでもなく、カメラワークや映像が凄いんでもなく、「メメント」や「運命じゃない人」みたいなちょっとやそっとじゃ真似できない凝りまくった脚本てわけでもない、なんかウチらでもできそうじゃね??と思わせる「手の届きそうな凄さ」がソダーバーグ(と岩井俊二)にはあった。

ところでソダーバーグを90年代オシャレ監督の代表のように書いてはみたものの、「セックスと~」は89年、「アウト・オブ・サイト」が98年で、その間は大した映画を撮っていない。むしろ90年代は彼にとっての潜伏期間だった。
ブレイクしたのは2000年。「トラフィック」と「エリン・ブロコビッチ」が2001年のアカデミー授賞式でダブルノミネートされた。この「社会派映画」の範疇に入れていい二作品が評価された。
私の先ほどのいい分に反し、オシャレ監督らしからぬ映画でトップ監督に登り詰めた。
ただ個人的にはどちらもツバ飛ばしながら社会正義を語るような暑苦しくうさん臭い社会派映画ではなく、軽妙な会話が心地いい「エリブロ」も、旬の俳優たちがイイ感じの映像の中で黙々とかっこよく立ち振る舞う「トラフィック」もやっぱりオシャレ監督の作品だった。
社会も政治もオシャレに語れる社会派映画革命の年が2001年だったのかもしれない。
その路線で走るのかと思ったら、オーシャンズ内輪ウケシリーズ(※「11」は大好きである。けど「12」「13」は観る気しなかった)だったり、「ソラリス」のリメイクだったり、40年代ハリウッドにオマージュ捧げ過ぎな「さらばベルリン」だったり、オシャレでも巨匠でもなくただのシネフィル小僧というか知的なタランティーノみたいな感じになってしまった。
ものすごく深読みだが、2001年といえば9.11の年である。社会をオシャレに語る方向性を固めた矢先に、社会も政治もオシャレに語っちゃいけない雰囲気が溢れてしまい、しばらく遊んでいたのかもしれない。

そしてチェ・ゲバラの二部作を携えたソダーバーグが来た。
革命家ゲバラである。革命といえば「思想性」は絶対ついて回る。ましてゲバラならそれは反米思想と言ってもいい。
アメリカの仮想敵国筆頭クラスのキューバの英雄をアメリカ人が描くのだ。いったいどんな映画になるのやら・・・とそれなりにワクワクしながら見たのだが、少なくとも「28歳」はやっぱり「センスのいい」「オシャレな」映画だった。
寄らず引かずのカメラはくど過ぎず、ぬる過ぎず。「熱いってダサイよね」という少し前の街角若者感覚を感じる、イイ感じの距離感。
若き日のカラー映像と、革命後の国連演説前夜のモノクロ映像との対比も映像センスがよく、ベニチオ・デル・トロの抑えた演技と革命の成り行きを黙々と追う物語は、どこかしらかっこ良さが匂い立っていた。
そしてオシャレ監督らしくキューバ革命を扱った映画でありながら、見事に思想性を排除していた。カストロはゲバラの上官でしかなく彼の思想はほとんど語られること無く、彼に対する映画の作り手の評価も無い。なぜキューバに革命が必要だったのか、バチスタ政権は何をしていたのか、アメリカは中南米に何をしていたのか、ほとんど語られること無く、物語は革命に身を投じた男を淡々と追う。ゲバラ自身が寡黙な男だから彼の口からも何かしらのメッセージじみたものが語られることも少ない。
アメリカでもキューバ革命を映画にできることを、思想なき革命映画を作れることをオシャレ監督ソダーバーグが証明したのである。

だが「39歳」はいったい何だったんだろう。ゲバラマニアの自己満足にしか思えなかった。
キューバ革命を成功に導き、一生安泰の地位を捨ててまた革命戦に身を投じた男の、最期の何ヶ月。映画冒頭でカストロが読む手紙がすでに映画の全てであり、映画の9割9分が蛇足であった。
オシャレ監督らしく歴史的政治的背景を何も語らないから、寡黙なゲバラの悪戦苦闘は、ただのおっさんの悪戦苦闘と何ら変わらない。英雄ゲバラの人間くささを描くためとはいえ、やってることはただ要領が悪くて愚痴ってばっかにしか見えない。ゲバラ日記にそう書いてあったからそう描いただけなのかもしれないが、もっと彼が何を感じ何を考えていたのか映画で語ってくれてもよさそうなものだった。とはいえ、そんな物語にするとオシャレ作家の方法論に反するような気がするから、39歳の描写は別に間違いでは無いのだろう。とするとそもそもなぜ退屈なボリビア編だけで一つの映画にしようとしたのだろう。
28歳をもっと長い映画にして39歳を20分くらいに編集してエピローグにすれば充分だったんでは・・・と思えてならない。
とはいえラストシーンで、カストロとボロ船でキューバに渡った場面が差し挟まれると、さすがにちょっとグッとくるものがあった。ここも説明無く差し挟まれるのがなんとなくオシャレだった。「28歳」観といて良かったと思った瞬間。

ともかく、ちょい迷走感ただよっていたソダーバーグが「オシャレ監督なのに社会派」という今世紀始めに確立した妙な立ち位置に戻ってきたのが興味深い二部作であった。

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4 コメント

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TBありがとうございました。 (sakurai)
2009-02-16 20:07:46
私もあの手紙以外には、何も言うべきことは必要なかったような気もしました。
でも、グチも悪戦苦闘もいい味付けだったんではないでしょうかね。
あれがないと、本当に神様みたいなもんになってしまいそうですからね。
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コメントどうもです (しん)
2009-02-17 01:48:06
>sakuraiさま

なんか二部作にする意味が興行的なこと以外で何かあったのかな・・・1部でまとめられる内容じゃないかな~と思いました。
返信する
オサレ (aq99)
2009-03-13 23:04:41
やっぱり見なくてよかった~。

しかし90年代のオシャレ監督のオしゃれ作品群。
映画回顧されてる、しんさんならではの発見ですね。
こないだ、スピルバーグの「コロンボ」を見たけど、ものすごいクラッシクな感じがしてびっくりしたんやけど、これらのオしゃレ作品もクラッシクになる日があるんかなぁ~。
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コメントありがとうございます (しん)
2009-03-14 13:06:19
>aq99さま
ヌーベルバーグもアメリカンニューシネマも古くさくなっちゃったから、オシャレ映画はいつか忘れられ、ほほう時代を感じさせますなあ・・・と言われる日がくるんでしょう
時代が過ぎてもいいものをクラシックと呼ぶのなら、オシャレ映画はそうはならんだろうと思います
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