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メカゴジラの逆襲 [ゴジラ・キング・オブ・モンスターズ鑑賞前の怪獣復習コーナー]

2019-06-26 09:57:00 | ビデオ・DVD・テレビ放映での鑑賞
【怪獣とおっぱい】
この映画は怪獣好きな男子にとって「性への門」だった。ほろ苦い思い出とともに。
この映画は海外含めた全ゴジラ映画の中で唯一の大人の女性のバストトップが、平たく言えばオッパイが映る作品なのである。いやアニメ版ゴジラは観てないから、少なくとも実写ゴジラではとしておこう。日本の実写怪獣映画全てを含んでも(どこまでが怪獣映画なのかの線引き問題はあるけど)これが唯一だろう。
私はメカゴジラの逆襲は子供の頃、映画でなくフォトブックで出会った。実写映画のキャプチャを漫画風のコマ割りにして、吹き出しや擬音を追加した本である。その鮮明でない画質の中に確かに女性のバストを見て、立ち読みだったからしっかり見る事も読み返すことも叶わず、いつかあの映画をちゃんと観てやるんだという決意を胸に。
そして中学か高校のころ、近所のレンタル屋でついに念願の「メカゴジラの逆襲」を借り、いつもの怪獣映画借りてきたんだ~的な無邪気な怪獣好きを装って、心はオッパイしかなかった。
そしてついに描かれるそのオッパイシーンは!!…そこは本編を実際にご覧になっていただき、多分私と同じ感想を抱くと思うので、そっと胸にしまっていただきたい。
 
【やるせなき怪獣映画】
そんな自分のほろ苦い思い出と何かリンクでもするかのように、作品の物語も今見返してみるとこれは悲しみばかりが溢れる異色のゴジラ映画だった。
宇宙人によってアンドロイドにされてしまった女性真船桂と、その父親で学界を追放され人間への復讐に燃える科学者の真船博士。博士は終盤宇宙人の基地に乗り込んで捕まる主人公に「なにもかも遅すぎた」と虚ろな目で話す。
博士が発見し桂の脳波を通してリモートコントロールされる恐竜チタノザウルスもまた、本来は善良な恐竜なのに人間と宇宙人によって利用される悲しみがある。
同じく桂によってコントロールされるメカゴジラも、ただの感情を持たないロボットのはずが、博士や桂の負の感情の権化に見えてくる。
主人公の青年は破壊され機能停止寸前の桂を抱きしめ、「たとえアンドロイドだろうと僕は君が好きだ」と語るが、もはや桂を救うすべはない。桂も、彼女を愛した青年も、チタノザウルスも、戦いの果てに全てを失う。
一番悲しいのは博士だ。彼は愛した娘も、自分の研究者人生の全てだったチタノザウルスも失い、挙句自らの命も失う。
演じているのはゴジラ映画でおなじみ平田昭彦で、人類への恨み怒りを語る説明台詞の演技・演出は苦笑ものの酷さではあるが、その最後には胸をかきむしられる。平田昭彦は54ゴジラでは自らを犠牲にしてゴジラを葬る芹沢博士を演じた。昭和ゴジラ最終作でも科学者を演じる彼はまさにゴジラ東宝特撮とともに生きた役者だった。54ゴジラは善人だったが、以降の作品では悪役も多い。
自説を否定され、宇宙人の側につく科学者という点で、平田昭彦が「地球防衛軍」で演じた科学者に相通じる部分を感じる。しかし、「地球防衛軍」では宇宙人に利用されていた己の過ちに気付いて、自らを犠牲にして(平田昭彦はこのパターン多いな)宇宙人の基地を爆破したことで、最後に魂が救済されていた。
「メカゴジラの逆襲」の真船博士には魂の救済すら与えられない。彼は復讐の鬼と化すことで文字通りなにもかも失うのだ。この映画では怪獣を含め全てのキャラクターに魂の救済は与えられない。
ゴジラですら戦いの後は夕日の太平洋の中を1人寂しく、相棒のアンギラスも悪友のラドンもいない中で帰って行く。勝利はしたが虚しさしか残っていないような余韻。
これが昭和ゴジラの最終作であり、本多猪四郎の監督としての最後の作品となった事も合わせて、やるせなさに満ち溢れた重く悲しい作品として、そして後にも先にもない唯一無二の怪獣映画の傑作なのだ。しかしその絶望的な雰囲気ゆえに、過小評価されている感がある。
 
【悲しみを引き立てる大炎上特撮】
この映画の物悲しさは、中野昭慶特技監督の特撮が助長している。中野監督の特撮はミニチュアが派手に火を吹き上げて爆発するのが特長だ。
ミニチュアなので現代のシンゴジラなどの特撮と比較するとショボかったりチャチかったりと見えてしまうが、現代のCGの炎には絶対出せない本物の炎の熱感がすごい。着ぐるみに入る人には地獄のような現場だっただろう。
中野特技監督の「メカ逆」の凄さは、ただ火柱がでかいというだけではない。メカゴジラのビームを浴びた鉄筋コンクリートのビル郡が、ガスタンクでも可燃物製でもないのに、どこからそんな火が上がるんだと疑問に思うくらいにボッカンボッガンと景気良く破壊されていく。世界のあらゆるものは火を吹いて爆発するためにそこにあるかのように。
狙いではなく結果論かもしれないが、この特撮のリアリティのない壮絶さが、物語の対比となって物哀しさをより高めているように思えるのだった。
 
【音楽・ゴジラゴジラゴジラの子はミニラ】
もう一つ、音楽について。この映画は昭和ゴジラの最終作でありながら、その後のゴジラ映画に決定的な影響を与えている。
本作では有名なゴジラのテーマが、ゴジラの登場シーンやゴジラとメカゴジラの対決シーンでかかる。
有名なゴジラテーマとは、「ゴジラゴジラゴジラの子はミニラ、ゴジラゴジラゴジラの敵モスラ」と歌詞をつけたくなるあの曲だ。
いまやゴジラといえばこの曲、というイメージだが、実はこの曲は昭和ゴジラシリーズにおいては、54ゴジラで使われて以来一度も使われず、80年のメカゴジラの逆襲で、四半世紀ぶりに使用されたのである。
しかも54ゴジラにおいては、ゴジラという怪獣のテーマとしてではなく、むしろゴジラと戦う自衛隊のテーマ曲だった。メカ逆で初めて怪獣ゴジラのテーマとして使われたのだが、この作品のゴジラは宇宙から来た悪者と戦う正義の怪獣であり、悪と戦う正義側のテーマという使い方においては54ゴジラとの間で一貫性が保たれている。
 
それが「ゴジラVSビオランテ」(89)で、音楽担当のすぎやまこういちがこの曲を人類の敵ゴジラのテーマとして使った。ちゃんとゴジラ映画観てたらこの曲は正義の曲なんだとわかる筈だが…となにやら歴史の改ざんの現場に立ち会ったような気分になった。キンゴジやモスゴジのゴジラテーマの方があってるのに…
とは言え、この時期すでにゴジラといえばあの曲という空気はあったような気がしないでもない。テレビのバラエティ番組等でゴジラ的な演出の際に使われていた気もする。
また、伊福部昭がビオランテより前に発表した交響曲「SF交響ファンタジー」(伊福部特撮映画音楽を組曲風に再編成した三曲からなる交響曲)の第1番において、これまた有名なゴジラ出現の重低音のショートモチーフに続けて「ゴジラゴジラゴジラの子はミニラ」を演奏する構成になっており、伊福部自身が善悪に寄らず怪獣ゴジラのテーマとしてあの曲を認知していた節もあるし、すぎやまもSF交響ファンタジーに影響されたのかもしれない。
ともあれ、ビオランテに続く「ゴジラVSキングギドラ」で作曲が伊福部本人に変わってからも、怪獣ゴジラ君のテーマはあの曲が使われるようになる。
以降は作曲担当が誰になろうとも、使われるようになり、最近だとスピルバーグの「レディ・プレイヤー・ワン」のメカゴジラ登場シーンや、「ゴジラ キングオブモンスターズ」でも使用されており、もはや「ゴジラゴジラゴジラの子はミニラ」は世界的に怪獣ゴジラさんのテーマとして認知されている。
(レディプレに関してはメカゴジラテーマ使えよ~とも思うのだけど)
そうしたあの有名曲とゴジラというキャラクターを最初に結びつけたのは「メカゴジラの逆襲」なのである。
 
話は逸れるが、折に触れて言っていることではあるが、昭和34年を舞台にした「ALWAYS 続・三丁目の夕日」のゴジラ登場シーンで、あの重低音のショートモチーフがかかるのは、この時点でまだ作曲すらされていない曲なので明確に歴史的事実に反しており、またゴジラの都市破壊シーンで「ゴジラゴジラゴジラの子はミニラ」がかかるのもこの時代のこの曲の解釈から言って間違っているのだ。
メカゴジラの逆襲に話を戻すとしばらく怪獣映画から遠ざかっていた伊福部が、やはりしばらくぶりに怪獣復帰する本多猪四郎演出の映画で久しぶりに新曲を沢山披露し、思えば54ゴジラのテーマの再使用、54ゴジラの監督、音楽、54ゴジラの科学者役がまた科学者役として出演など、実は昭和ゴジラの原点に携わった人たちによる、斜陽化した怪獣映画の挽歌のような趣きがあるのも、メカゴジラの逆襲の魅力である
真船博士の回想シーン
博士の向かって左のイラストはチタノザウルスだが、右はテレスドンじゃないのか?!
 
真船桂さん。美人。藍とも子。
 
54ゴジラとは打ってかわって悪の笑みを見せる平田昭彦さん演じるマッドサイエンティストの真船博士
 
桂さんがチタノザウルスは悪い怪獣になってしまう、キングギドラやラドンやマンダのような…と説明するシーンの説明補足カット。
マンダというチョイスが渋すぎませんか!?桂さん!
 
結局見せてしまう問題のセクシーシーン
中学男子はこれでも燃えるのである
 
炎の圧力がハンパない中野特撮
 
 
全てを失い絶命する真船博士。嫌な後味だけを残す
 
体内のメカゴジラコントロール装置を自らの命と引き換えに破壊する桂さんに、愛を打ち明ける主人公の悲しすぎるシーン
 
コントロールが解かれ本来のおとなしい恐竜に戻っていたはずだが、怒ったゴジラの容赦ない熱線にさらされ、なすすべも無く絶命するチタノザウルス。ひどいよゴジラ
 
本多猪四郎監督の監督生涯のラストカット。
美しく、悲しい
 

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