文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

「銀河鉄道の時刻表」2月7日。

2012年02月07日 23時01分40秒 | 日記

gooにおける昨日のアクセス数は、以下の数字でした。


 


26日のアクセス数 閲覧数:12,754PV    訪問者数:908IP


順位: 465 / 1,681,065ブログ中 (前日比 ↑)


過去2週間の閲覧数の合計は153,871PV、訪問者数の合計は12,110IPです


 


一方昨日のアメーバは、閲覧数:690 訪問者数:444


 


gooの、ページごとの閲覧数ベスト20は以下の通りです。


 


1米韓FTAは悲惨 TPPの敵は民主主義…1...30 PV


2続くウォン安、日本なぜ為替介入しない?…...30 PV


3スマホシフトにドコモの誤算 他…日経新聞2...28 PV


4トップページ28 PV


5日本は経常赤字に陥るか…日経新聞2月5日9面...27 PV


6なぜ日本は破綻寸前なのに円高なのか 藤巻...25 PV


7宮城に太陽電池工場昭和シェル系が検討…...23 PV


8「神の粒子」に挑む 浜ホト魂…日経新聞2月...21 PV


9住友化学や産総研など 大型有機EL省エネ...20 PV


10キッチンで野菜栽培 パナソニックが小型装...19 PV


11理研発VB米国で治験免疫抑制剤 服用短く...18 PV


12「芥川の電子書籍」発行のお知らせ。17 PV


13パワー半導体に参入 富士通セミコン…日経...16 PV


14半導体材料2エ場閉鎖 SUMCO他…日経...15 PV


15「みさおふくまる」伊原美代子著…日経...15 PV


16「銀河鉄道の時刻表」2月5日。14 PV


17阪急阪神百貨店の新社長他…朝日新聞2月3...14 PV


18「コダック破綻」で見直された「富士フイル...12 PV


19経済気象台 民意と官意…朝日新聞2月3日16...12 PV


20燃料電池車 水素供給システム…日経新聞2月...12 PV


 


■「文明のターンテーブル」電子書籍出版のお知らせ


文芸社サイトBOON-GATEにおいて、「文明のターンテーブル」電子書籍が発売されました。


偶然完全 勝新太郎伝 田崎健太〈著〉…2/5、朝日新聞・読書欄から。

2012年02月07日 21時45分04秒 | 日記
講談社・1995円/たざき・けんた
68年生まれ。ノンフィクション作家。サッカー、野球などスポーツを中心に手がける。『CUBA ユーウツな楽園』『W杯に群がる男たち』『辺境遊記』など。

…前略。   文中黒字化は芥川。

衣装やセットが常に新品で感情表出もパターン化された日本のテレビドラマにうんざりしていた評者にとって、セリフもろくに聴き取れず暴力シーンもやけにリアルなこのドラマは画期的だった。こんな実験的な作品が平日21時から放映されていたのも、昭和という時代の混沌ゆえか。

勝は物語を脚本として構成せず、現場で即興的にせりふや場面を演出し、俳優の素の部分を取り込みながら、それを積み重ねていく手法を好んだ。それは従来にないリアルな質感を生み出したが、半面、制作進行は滞り、予算は超過しがちだった。結果、視聴率は低迷し番組は打ち切られてしまう。

…後略。

〈評〉斎藤 環 精神科医

「曾根崎心中」 角田光代〈著〉…2・5、朝日新聞・読書欄から。

2012年02月07日 21時37分52秒 | 日記
近松門左衛門原作、リトルモア・1470円/かくた・みっよ 67年生まれ。作家。『八日目の蝉』 『森に眠る魚』

恋によって瞬く生の凄まじさ

読み始めると、ページをめくる手が止まらなくなった。近松門左衛門と曽根崎心中については高校の授業で覚え聞いた程度で、原作を手にとる機会など一度もなかった。角田さんという名手が書き下ろしてくれなかったら、恋の力というものに想いを巡らすこともなかっただろう。

時は江戸時代、遊郭にいる女達の日常から物語は始まる。堂島新地という閉ざされた土地のさらに小さな単位である遊郭は、庶民の日常と切り離された異空間であり、女達は文字通り寵の鳥が鳴くようにとりとめのない会話に花を咲かせていた。

外の世界への扉を開くのは、恋である。客として何人の男がやってこようと彼女らの扉は一向に開かれないのに、恋をすることによって固く閉ざされた扉はあっけなく開き、それどころか、ためにため込んだ力を一気に発散させるかのように、ここではない別の世界へとぶっ飛んでいく。頂点に達したときには彼岸へさえも旅立たせてしまう恋のエネルギーは、一見するとどろどろした心中話を真っ向から突き抜いて、後味の悪さを一滴も残さない。

遊郭の女達は新地を出て橋を渡ることを夢見ている。しかし、ただ橋を渡ってもダメなのだ。好きでもない男に身請けされて、目も耳も感覚も閉じたまま背負われるように橋を渡るのではなく、自ら扉をこじ開けて、全身で世界を見に行く必要がある。死んだように生きるくらいなら、生きるべくして死ぬ道を選ぶ。恋によって支えられた生の瞬きの凄まじさが小説のなかに横溢していて、それゆえに残酷でせつない。

こうした想いを受ける側の男達の不甲斐なさが気になる。徳兵衛も九平次も、遊郭に出入りする助平どもも、内から光を放つ女達のかっこよさ潔さに比べたらどうにも頼りない。かくいう自分もその一員だとしたら、色々と省みなくてはいけないだろう……。

評・石川 直樹 写真家・作家

最後のマリア・カラス 木之下 晃著…2/5日経新聞・読書欄から。

2012年02月07日 18時14分22秒 | 日記
20世紀を代表するディーバ (歌姫)による1974年10月の東京公演を追った。

このときの日本公演がガラスの最後の公式コンサート。
ホテルでの快活な笑顔や舞台上で絶唱する姿をベテラン音楽写真家がとらえた。

目も鼻も□も「何もかもが並はずれて大きい」。初めてカメラを向けた瞬間を著者はこう回想する。
華麗な歌声だけでなくカリスマ性のある容姿や人生が世界を魅了した。巻末に年譜も収録。

(響文社・2700円)

日本の断面図はシュールそのもの。

2012年02月07日 12時41分14秒 | 日記
国会に於いてまでも、つい昨日言った事を言わなかった様な顔をして、様々なやり取りをしている、むくつけき政治屋たちや拝金野郎達や悪党どもやetc>が跳梁跋扈している日本で。

一方、この20年、特に美しくなった…アジアで最も美しい女性が、ごまんといる国になった日本…女性たちの、優しさ、細やかさを、芥川は、最近、とみに思う。


「長く働きたい」の裏にある本音…2/13号週刊アエラ特集記事から。


夢見る早慶女子「一般職」に殺到

女子大学生の一般職人気が高まっている。早稲田や慶応に代表される
難関大学も例外ではない。「体を壊してまでバリバリやりたくない」。
それはごもっともなんですが……。 編集部甲斐さやか写真山本倫子

以下…本文略。

これらの記事を読んでいる時、芥川が感じていたものこそ、シュールそのものだった。

プチブルの幸せから遠くに在り続けた人生を送っている芥川だから、そのシュールさに気付くのかもしれないが。

読者の方は何度か目にした様に、芥川は、この断面図を、早くひっくり返した方が…真逆にした方が良いと思うのだ。

冒頭の様な野郎どもは、皆、漁師や農夫にして、とことん肉体労働に従事させる…現代は、ゲームやら何やら、この体持てあましが、その頭脳構造の本質である連中に、相応しいというよりも、その為の様な、ゲームが一杯なのだから、休みの日に、体を持て余して悪さをする事も無い訳だし。

本当に、冗談では無く、真剣に、一刻も早く、男と女の役割を、真逆にするべきだと思うのである。

男の中で突っ張る必要も無く、女は、その、掛値なしの優しさ、細やかさ、勤勉さ、忍耐強さで、優秀な者を選抜して政治を司り、野郎どもは、野で、海で、山で働く…合間には、お似合いの、ゲーム遊びを幾らでも、死ぬほどすれば良く。

前章についての芥川の評。

2012年02月07日 11時07分56秒 | 日記
芥川は全共闘運動について同級生達の多くが様々な影響を受け、参加しない事を選択しても…参加しない理由と言うか哲学が必要だった難儀な時代の…同世代でありながら「全く実感はわいてこない」人間なのである。

それは何故かと言えば、例え、それが家庭的、個人的な事情がもたらしたものであったとしても…芥川は、人が大学生に成る歳に、家を出ざるを得なかった事は、読者の方は御存知の通り…その過程で京都に居た或る時に「僕は大学に行く必要はないな」と思い、それを実行した人間だからである。

だが、同級生達の多くが…偶々、故郷に帰った時に、中心街を騒然とデモ行進していた東北大学生の一団の中に、同級生の顔を見たりしていた…そう言う面では全くの同世代の人間として、この著者と、評者に言いたい事があるのだ。

犬畜生にも劣る様な犯罪者や、本当の低能が、匿名性を良い事に、好き放題な事を声高に言ったり、本当に下種な拝金主義者たちが、情報商材等と称するものを売り付ける為に、下らぬ事をしているネットの世界で、

ただで、真実を書いている事に、嫌気が差して来ている、この頃なので、あんまり、真実を書きたくは無いのだが。

気を取り直して書けば、この著者が、その事が分からないのは当然だとしても、いつも力の入った評を書かれる中島さんが、その事にきづいていないように感じられるのは、少しばかり怪訝な感じがした。

読者の方は御存知だと思うが、芥川の同級生に、本当の大器晩成型の親友が居たのである。

彼は、芥川とは違う意味で個人的な=家庭的悩みを抱えていて、それが自分の人生を決定する本当の要因にも成った男なのだが。

同級生の前から姿を消し消息を絶っていた芥川の実家宛てに、彼が、葉書や封書を頻繁に寄こして来ていたのが、丁度、全共闘運動が全国の大学を席巻していた時だった。

因みに、彼は、日本有数の超優秀校で、前記の様な個人的な理由で一浪した後に、才能を開花させ、全校で一番と成り、東大でも何処でも好きな所に行けば良い、と言うポジションに居た男である。

著者である佐藤信君、及び、中島さんよ。

全共闘運動が、同級生達に、大きな試練を与えたのは、彼らが、受験勉強を終えて大学に入学した途端に、運動者たちから、突き付けられた問い…「自分たちが、東大、京大、東北大、etc.で在る事は、結局、大衆を差別する側に回るだけではないか」に在ったのだと、芥川は確信している。

この問いを瞬時に打ち砕く哲学を高校生時分に打ち建てていたのは芥川位のものだったろう。

真面目な人間、真剣に学問に取り組む人間は、誰もが、この問いの前に立ち往生し、多くのものが運動者たちの戦列に加わったというのが、唯一の真相であると芥川は確信している。

この時、芥川の無二の親友が、期待していた答えについては、芥川が、書き出し始めた「芥川の電子書籍」の中で、いつか書く事にする。



「60年代のリアル」 佐藤信〈著〉…2・5、朝日新聞・読書欄から。

2012年02月07日 10時28分05秒 | 日記
ミネルヴア書房・1890円/さとう・しん 88年生まれ。『鈴木茂三郎 1893ー1970』

連帯呼ぶ「肉体感覚」の手ごたえ

著者は1988年生まれの大学院生。60年安保闘争や全共闘運動の話を聞いても「全く実感はわいてこない」。

著者は50年前の若者を見つめながら「同年代の者として、共感できるのか、できないのか」を問う。資料をかき分け、当時の若者を追体験した結果、彼/彼女らが求めていたものは、現代の若者とも共通する「肉体感覚」だったのではないかという結論に至る。

当時の学生のデモ隊は、スクラムを組み、シュプレヒコールをあげながらジグザグに走った。そこに加わった個人は、次第に隊列全体に溶け込んでいく。どこまでが自分で、どこからが他者なのかは不透明。心に宿った疎外感から解放され、実存のリアルな手ごたえが得られる。

ここに「肉体感覚」を通じた「連帯」への希求が生まれる。受験勉強で他人と競い合ってきたバラバラの個が、運動によって手を取り合い、一体感を獲得する。他者とつながり、感覚に訴えることで、存在を確認しあう。そんな運動は、あらかじめ政治的な「成功」から見放されていた。

彼/彼女らの「正しさ」は政治の中にはなかった。徹底的に皮膚を擦りむきながら権力にぶつかる「肉体感覚」そのものが「正しさ」だった。そして、―その「正しさ」は必然的に手触り感のある暴力へと傾斜していった。この若者と同じ「肉体感覚」を求めたのが三島由紀夫だった。彼は全共闘に対して肉体的共感を抱き、割腹によって、究極的な肉体の露出を実現した。

しかし、「リアル」のあり方は、闘争の中で変質する。安田講堂攻防戦では火炎瓶が飛び交い、機動隊はガス銃で狙い撃ちした。これはゲバ棒とは異なる脱肉体化したゲーム的暴力だった。結果、「情動的な塊」は「冷徹なバラバラの銃弾」へと解体され、あさま山荘事件へと行きつく。

個は肉体で世界と切り結ぶのか。60年代のリアルは、若者の皮膚感覚を刺激し続ける。

評・中島 岳志 北海道大学准教授・アジア政治



「山懸有朋の挫折」 松元 崇著…2/5、日経読書欄から。

2012年02月07日 10時15分29秒 | 日記
明治維新以降の地方自治の歴史   文中黒字化は芥川。

日本経済新聞出版社・2800円
▼まつもと・たかし 52年生まれ。内閣府事務次官。

昨年末の大阪府知事・大阪市長のダブル選挙以降、地方分権への関心が高まりつつある。地方分権改革が進まない背景には、利害対立のみならず、歴史的経緯もあるようだ。本書は、明治維新以降の我が国の地方自治の歴史を山懸有朋を通じて描いたものであり、様々な視点から楽しめる。

1つには、元帥陸軍大将として軍部を司り、政党政治を批判する元老として政局に影響を与えた人物として有名な山懸の、違った一面を明らかにした点である。普通選挙を激しく嫌った山懸は、国政選挙より資格制限が緩く多くの人が投票できる選挙に拠る市町村の議会に権限を与え、これを立憲制の学校として国民意識を育もうと当初腐心した。しかし、政党が台頭し、地方へ露骨に利益誘導したり地方人事に介入するようになると、地方自治確立への山懸の熱意は失われていった。

2つには、今日にも名残がある中央集権的な制度が、どんな契機で形成されていったかを深く理解できる点である。山懸に見放された地方自治制度は、大正期以降、地方の貧困克服を狙いとして、国の救貧行政の拡大を通じて集権化していった。政党が中央官僚OBを町村長に据えて地方行政の効率化を図ろうとしたが、これによりむしろ地方は国の末端行政機関と化した。高橋是清は「自力更生」を目指す地方対策を試みたが未完に終わり、その後国への財政依存を高める結果となった。今日、地方分権を求める声が高まっていながらいまだ不徹底なのは、こうした第2次大戦前に打ち込まれた襖の呪縛からまだ逃れていないからだと、本書は教えてくれる。

3つには、「地方自治」の真意は何かを、本書を読むことで改めて深く考えさせられる点である。明治維新当時、明治政府の統治体制が未整備だったが各地には江戸時代からの自治組織があった。そこには、国に依存する発想はなく、自らの制約の範囲内で自律的に地方自治を全うする姿があった。今日はどうか。地方分権といいながら、何かにつけ国のせいにし責任転嫁していては改革は貫徹しない。自己決定だけでなく自己責任の発想が、今日の地方自治に欠けていることを痛感させられる。

評者:慶応大学教授 土居丈朗

Akutagawa provides the one who bought the book of the preceding chapter

2012年02月07日 08時49分12秒 | 日記

Akutagawa provides the one who bought the book of the preceding chapter at 10,000 yen the photograph of the very beautiful heron.

The heron stood on the stone of the valley stream and greeted him.

He appeared to celebrate that I left hospital.

" The person who catches a bird " who is the name that he can have taken this heron took from the character in " night of the galaxy train ".

Akutagawa's readers know that this heron appears in front of him in the valuable scene in his life.